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【コミカライズ完結記念】名前のない関係

「お越しいただけるのをお待ちしておりました。リースリー……おっと、シュルツ夫人。どうぞこちらへ」

「ふふ、ありがとうイグニス」


 くすぐったそうに微笑む目の前の女性に、イグニスは感慨深い思いで目を細めた。

 イグニスがリリスと出会ってから、既に十年の月日が経っている。

 リリスの友人である目の前の女性――レイチェルも、今やどこにだしても文句のつけようがない完璧な淑女へと成長を遂げ、つい先日婚約者であるギデオンと結婚したばかりだ。

 十年ほど前に「レイチェルを口説いてギデオンとの婚約を台無しにしろ」と命じられた時はどうしようかと思ったが、今だったら喜んで口説ける自信がある。

 ……さすがに、その後のことを考えると行動に移そうとは思わないが。

 他愛のない話をしながらレイチェルを案内し、リリスが待っている部屋の扉を開ける。

 扉の開く音に気付いたのか、すぐにリリスはこちらを振り返った。


 窓から差し込む光が、艶やかな銀髪を神々しく輝かせる。

 今や「まるで女神のようだ」と民に愛される王太子妃へと成長を遂げたリリスは、イグニスとレイチェルの姿に驚いたように目を丸くし――。


「ちょっと、どこ行ってたのよ! こっちは大変だったんだから!!」


 ……「たおやかな王太子妃」とは程遠い、荒れ狂う子犬のようにギャンギャンと喚きだした。



 ◇◇◇



「まぁ、それは大変でしたのね。お労しやリリス様……」

「本当よ! イグニスが勝手にいなくなるからそこら中めちゃくちゃになっちゃったじゃない!」

「……なんで俺が席を外した十分足らずの間にここまでめちゃくちゃになるんだ?」


 レイチェルによしよしされながらソファにふんぞり返るリリスを眺め、王太子妃付きのメイドたちに片付けの指示を出しながらイグニスは嘆息した。


 無事にオズフリートの妃となったリリスは、「皆に愛される女神のような王太子妃」として慕われている。……あくまで、表向きは。

 確かに見た目だけなら、「女神のよう」と称されるのもわからなくない。

 外見だけを見ればリリスは美しく成長した。

 だが幸か不幸か、中身の方はどこまでも唯我独尊ゴーイングマイウェイのままだったのである。


 オズフリートと結婚し王太子妃となったリリスは、こうして王宮で暮らすようになった。

 当然王太子付きの使用人も山ほどいる中で、イグニスは「とうとうお役御免か……」と寂しいようなほっとするような気分を味わったのだが……。


 ――「何言ってるの。こいつは私のペットみたいなものだから当然連れて行くに決まってるじゃない!」


「イグニスの代わりの者をどうするか」と問われたときに、リリスは当然のようにそう返答したのだ。

「王太子妃の傍に若い男が四六時中侍っていたら周囲がどう思うか」とイグニスはなんとかリリスを説得しようとしたが、リリスは頑として聞き入れなかった。

 更にはオズフリートが「イグニスならいいんじゃないかな。……もちろんリリスに何かしたら許さないけど」と許可を出したことで、イグニスは今もこうしてリリスにこき使われている。

 私室にまで自由に出入りし、雑用をこなしたりリリスを宥めたり……まぁ、忙しくも充実した毎日だ。

 周囲もいつの間にかイグニスの存在を当然のものとして受けとめ、リリスに関することなら真っ先にイグニスに指示を仰いでくる始末。

 更に、ここ一年ほどで加わったのが――。


「うー……」

「おーよしよし、リリスが暴れて怖かったなー」


 腕の中に抱えた赤ん坊をあやすと、赤ん坊は安心したように笑った。


「……私は暴れてないわ。おちびを泣き止ませようとしただけよ」

「なるほど、これでその惨状なわけか」


 部屋中にクッションが散らばっているのは何なのかと思っていたが、リリスなりに赤ん坊を泣き止ませようとした結果だったらしい。

 ぷい、とそっぽを向くリリスに、イグニスはくすりと笑った。


「ぁうー」

「おうおう、どした? お腹空いたか?」


 何か伝えようとしているかのように「あうあう」と不明瞭な言葉を発する赤子に、イグニスは優しく問いかける。

 その様子を見て、レイチェルは微笑まし気に笑った。


「ふふ、本当にイグニスに懐いているんですね」

「まぁ……生まれた瞬間からこいつのことは見てますからね……」


 イグニスの腕の中の小さな命は、リリスとオズフリートの間に生まれた子だ。

 何故か出産にも立ち会わされたし、とても赤子の世話に長けているとはいえないリリスを朝も夜も必死にフォローし続けてきた結果、この小さな赤子はイグニスを「身近な存在」だと認識するようになったらしい。

 人間を弄ぶはずの悪魔が今は完全に人間の親子に翻弄されている。……まぁ、そんなに悪い気はしないが。


「そういえば、お前の旦那が帰ってくるのそろそろじゃないか?」


 ふと時計を見上げ、そう問いかけると、リリスは余裕たっぷりにソファの上にふんぞり返った。


「大丈夫。まだ時間があるわ。ね、レイチェル」

「えぇ、到着は夕方ごろになると伺っております」


 現在、王太子オズフリートは地方の視察に出ており、レイチェルの夫であるギデオンと聖女アンネも随行している。

 レイチェルが今日王宮へやって来たのも、リリスとお茶をしがてら彼らを出迎えるためなのである。


「まだ時間があるんだからのんびりしてればいいのよ。イグニス、ケーキを出して――」

「王太子妃殿下、失礼いたします!」


 リリスの言葉の途中で、部屋の扉が慌てたように叩かれた。

 イグニスは慌てて、片手に赤子を抱えたまま対応する。


「どうした?」

「お伝え申し上げます。オズフリート王子殿下よりご連絡がありまして、本日の帰城予定時刻が大幅に早まりそうだと――」

「なんですって!?」


 余裕たっぷりに侍女の報告を聞いていたリリスが、慌てたように立ち上がった。


「そ、それって何時ごろになりそうなの!?」

「……早馬の到着時刻から考えましても、おそらくはもうそろそろ――」

「くっ、まずい……急いで部屋を片付けるわよ!!」


 さすがに強盗が入った後のようなこの部屋の惨状をまずいと思ったのか、リリスはわたわたし始めた。

 赤ん坊をレイチェルに預け、イグニスはとりあえずはリリスを落ち着かせようと試みる。


「そんなに慌てんなよ。あの王子ならお前の状況もわかってくれ――」

「嫌よ! こんなの見られたらオズ様にだらしない女だと思われるじゃない!!」


 頬を染め、そんないじらしいことを口にするリリスに……イグニスは微笑ましいような呆れるような不思議な気分を味わった。


「……わかった。超スピードで片づけるぞ」


 なんだかんだで、イグニスもリリスには甘いのだ。

 親心とも、友情とも、ましてや恋情とは違う。

 そんな、二人の間にある不思議な感情が……きっと今のイグニスの原動力なのだから。


「……とはいっても、あの王子なら全部分かったうえでお前のこと受け入れてくれてるんだけどな」


 リリスのダメな部分なんて、オズフリートはとっくに承知しているというのに。

 リリスがそれに気づく日はいつになるのだろうか。

 そんなことを考えながら、イグニスは戦力にならないリリスを落ち着かせつつ、的確にメイドたちに指示を出していくのだった。



 ◇◇◇



「ただいま、リリス!」


 オズフリートが現れた途端、その場の空気が一気に華やいだような気がした。

 心の奥底にとんでもなくドス黒い感情を抱えているというのに、この王子はそれを押し隠すのが悪魔のイグニスですら舌を巻いてしまうほど上手いのだ。

 待ちきれないとでもいうようにやって来たオズフリートを、リリスは(つい一分ほど前に)美しく整えられた部屋で、完璧な姿勢で出迎えた。


「お帰りなさいませ、オズ様。こうしてお会いできるのを心から待ち望んでおりました」


 オズフリートとリリスが抱き合い、その絵になるような光景に周囲は感嘆の息を漏らした。

 別にオズフリートはリリスがこうして完璧に出迎えようが、ソファに寝っ転がってグータラしながら出迎えようが気にしないだろうが、リリスの方はやはりきちんとして出迎えたいという思いがあるようだ。

「成長したな……」と、イグニスは感慨深くその光景を見つめる。


「お帰りなさいませ、ギデオン様、アンネさん。ご無事で何よりです。お変わりはありませんか?」

「レイチェル! その、ずっと、会いたかっ――」

「レイチェルさん! ただいま帰りました! これお土産で、んめぇですよ!!」

「まぁ、初めて見るお菓子です……!」


 オズフリートとリリスを見て同じようにレイチェルにハグしようとしていたギデオンは、お土産を紹介したかったアンネにいいところを取られ空気と抱き合っていた。

 その様子を見て、リリスが意地の悪い笑みを浮かべる。

 ……やはり、「成長した」は撤回した方がよさそうだ。


「ふふん、ギデオンの奴ざまぁないわ!」

「相変わらず君はギデオンに手厳しいね、リリス」

「気のせいですわ、オズ様。ところで今回の視察はどうでしたの?」

「特に問題はなかったよ。変わったことと言えば、アンネの神力が強すぎて枯れていたはずの土地が一面緑に――」


 オズフリートが話していると、周囲の声に反応したのかすやすや寝ていたはずの赤子がふにゃふにゃ言い出した。


「おっと、挨拶がまだだったね。ただいま、僕の宝物」


 オズフリートが赤ん坊の額に口づけを落とし、控えていたメイドたちがうっとりしたように吐息を漏らす。

 そんな周囲もどこ吹く風で、赤ん坊は懸命に小さな手をパタパタさせていた。


「ほぉらおちび、パパが帰って来たわよ」


 リリスがそう声をかけると、赤ん坊はぱちくりと目を瞬かせる。

 そして、その可愛らしい口が動いた。


「ぱぁぱ?」

「し……喋った!?」


 リリスが素っ頓狂な声を上げ、イグニスも驚愕した。

 なにしろ、この赤ん坊が意味のある言葉らしきものを発したのはこれが初めてだったのである。


「僕がわかるのかい!? もう一度言ってごらん……?」


 オズフリートもよほど嬉しかったのか、珍しく興奮した様子で赤ん坊に語り掛けている。

 そんな周囲を期待を一身に受け、赤子は愛らしく手を伸ばし口を開いた。


「ぱぁぱ、ぱぁぱ!」


 それは感動的な光景だっただろう。

 …………赤子が手を伸ばし、一心に見つめているのが父親でも何でもないイグニスの方でなければ。


「わぁお! こぃが噂の修羅場だが!?」

「やめろ! 洒落にならないだろ!」

「こ、これはまずいですわ……」


 目を輝かせるアンネの口を、ギデオンとレイチェルが必死に塞いでいる。

 オズフリートとリリスは笑顔のまま固まり、イグニスは背筋を冷や汗が伝うのを感じずにはいられなかった。

 ただ一人、小さな赤ん坊だけが楽しそうに笑っている。


「……や、やだな~。ほら、お前のパパはあっちだろ? ほら!」


 ここしばらく忘れていた「迫りくる死」を意識したイグニスは、慌ててこの空気を払拭しようと赤子の視線を無理やりオズフリートの方へ向けた。


「こういう小さい子って、誰かれ構わず目についたものをパパママって言うらしいですよ~。いやぁ、参った参った!」


 なんとかこの場を穏便に乗り切ろうと、イグニスは頭をフル回転させた。

 必死の取り繕いに、リリスがゆっくりと顔を上げる。

 そして、何故かイグニスを睨みつけ叫んだ。


「ずるいわ! なんであんたが先に『パパ』って呼ばれてるのよ! 私だって『ママ』って呼ばれたいのに!」

「やめろ! 誤解を招くようなことを言うな!!」


 ここでリリスが一番言いたかったのは「私だって『ママ』って呼ばれたいのに!」という部分である。

 イグニスは正しくそう理解していた。

 だがこの状況……オズフリートはどう受け取っただろうか。


「あーもー! どうするんだよこの状況……」

「ほら、おちび! 『ママ』って言ってみなさい! ママ!」


 リリスに急かされ、赤ん坊は不思議そうに目を瞬かせた。

 だがその声に誘発されたのか、ゆっくりと口を開く。


「まぁま!」


 赤ん坊は確かにそう口にした。

 ……母親のリリスではなく、イグニスの方を見つめながら。


「……もう好きにしてくれ」


 投げやりになっていつものように抱き上げると、赤子はイグニスの頬を触ってキャッキャと笑った。


「……イグニス、少し話があるんだけどいいかな」

「イグニス、後で覚えてなさい」


 王太子妃夫妻からただならぬ威圧をされ、不憫な悪魔はこの日一番の大きなため息をついたのだった。

本作のコミカライズがまんががうがう内で完結しました!

最終巻は1月10日配信予定です!

ひのすばる先生の描いてくださるリリスたちが本当に素晴らしいので、未読の方もこの機会にぜひぜひチェックしてみてください!

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