123 眠れる王子様
「……もう一度言ってもらえるかしら」
「真実の愛のキス……トゥルーラヴキッスですね」
「二回も言わなくていいわ」
こいつの言うことに期待した私が馬鹿だった……。
リリスはため息をついたが、イグニスは至極真面目な顔で眠ったままのオズフリートを見やった。
「いやいや、こういうのって意外とあなどれないんですよ。眠り姫も眠り王子もそんなに変わんないっしょ。ダメもとでやってみたらどうです?」
普段のリリスだったら、「二度とそんな馬鹿なことが言えないようにお仕置きが必要ね」と一蹴していただろう。
だが、リリスは追い詰められていた。
もはや打てる手はすべて打った後なのだ。
確かに昔話には、王子様の口づけで目覚めるお姫様の話がいくつか存在するが……そんなにうまいこといくとは考えられない。
だが、どんなに馬鹿らしい提案にでも……藁にでも縋る思いで縋りたいのである。
オズフリートが目覚めるのならば、どんな手も厭わないと決めたのだから。
「……わかったわ。これは、あくまで人命救助の為よ。人工呼吸みたいなものだから! 仕方ないわね!!」
「はいはい、お優しいお嬢様のお心づかいに王子も飛び起きるに違いありませんよ」
リリスはおそるおそる室内を見回し、自分とイグニス以外誰もいないことを確認する。
外に護衛の者がいるだろうが、扉を閉じていればわからないだろう。
「……あなたは扉の前で、誰かがこないかどうか見張ってなさい。いいこと、誰かが来たらすぐに知らせるのよ!」
「はいはい、お嬢様の仰せのままに」
にやにやと笑うイグニスを扉の方へ押しやり、リリスはそっとオズフリートが眠るベッドに腰掛けた。
オズフリートは相も変わらず、穏やかな表情で眠っている。
そっと額に流れる前髪を指で掬い、リリスは囁く。
「……起きるなら今の内ですよ」
思えば、彼のこんな無防備な寝顔を見たのは、今回が初めてなのかもしれない。
一周目の時も、二周目の今も、だ。
「私たち、ずっと一緒にいたのに……まだまだ知らないことがたくさんあるとは思いませんか?」
リリスもオズフリートも、きっと互いにたくさんの秘密を抱えている。
そのすべてを打ち明けるつもりは無いが……もう少し、彼のことを知りたかった。
「私も、もっとあなたのことを知りたい。だから……このまま目覚めないなんて許せないの」
初めは、友情のようなものだった。
周囲から孤立しがちなリリスのことを、幼い頃からオズフリートはいつも暖かく迎えてくれた。
彼に求婚された時、「これで王妃になれば皆を見返せる!」と燃え上がったのも確かだ。
でも、それだけではない。
彼が、自分を選んでくれた。初めて、他者に認められたような気がした。
「オズフリートだから」リリスは彼の求婚を受け入れたのだ。
今なら、そうわかる。
「あなたを信頼していたから、裏切られたことが許せなかった。でも……たぶん、深い事情があったんですよね」
オズフリートは婚約者であったはずのリリスを冷たく切り捨てた。
信じていた相手に裏切られたからこそ、リリスは殺したいほど彼を憎んだ。
それからはずっと、如何にして彼に復讐を遂げるか。そのことばかり考えていた。
だが、オズフリートにはオズフリートの、何か事情があったのだろう。
それも、しっかり聞き出さねばなるまい。
「おい、早くしろよ」
「うるさい! あっちむいてなさい!!」
ニヤニヤしながら急かしてくるイグニスを怒鳴りつけ、リリスは顔を赤らめながらオズフリートに向き直った。
顔が熱い。胸がドキドキと高鳴っている。
これは、殺意……ではないのかもしれない。
――緊張……しているのかしら。いいえ、そんな必要はないわ。これはあくまで人工呼吸なんだから!
真実の愛なんてわからない。
おとぎ話のようにうまくいくかなんてわからない。
だが、リリスはなんとしてでもオズフリートに目覚めてもらわなければ困るのだ。
――私は、あなたのいない未来なんて考えられない。
だから、早く戻ってきて欲しい。
「……オズ様。私の未来はあなたと共に」
そう呟き、リリスは意を決して覆いかぶさるようにオズフリートに顔を近づけた。
心臓が破裂しそうなほど鼓動が高鳴っている。
一瞬……ほんの一瞬でいい。
羞恥心で悶えたくなるのを堪え、リリスはぐい、と更に顔を近づけた。
そして、二人の唇が重なる寸前――。
ぱちり、とオズフリートの目が開いた。
「!!!?」
だが、勢い余ったリリスは止まれなかった。
驚きと混乱で、一瞬で離れようと思っていたのも忘れてしまう。
唇を重ねたまま驚きに目を見開いていると、オズフリートの手がそっとリリスの背中に回る。
彼が抱き寄せようとしたところで、正気に戻ったリリスはその場で飛び上がった。
「ひゃあああぁぁぁぁ!!?」
そのまま勢いよくベッドから転がり落ちたリリスに、一部始終を見ていたイグニスがゲラゲラと腹を抱えて笑う。
オズフリートはぼんやりとした瞳でリリスを見つめ、ぽそりと呟いた。
「……リリスみたいな天使がいる。おかしいな、僕は天国になんて行けるはずないのに」
そのぽやぽやした発言に、怒りと羞恥心が天元突破したリリスは大声で叫んだ。
「こ・れ・は、現実です!!」
「ぇ…………え、ええぇぇぇぇ……!!?」
目を白黒させるオズフリートに、リリスの胸はじわりと熱くなる。
……オズフリートが生きている。目の前で動いている。
それの光景を見ただけでたまらなくなって、リリスは勢いよくオズフリートに飛びついた。
「オズ様の馬鹿! あなたを殺すのは私なんですからね! 私以外の者に殺されるなんて絶対に許しませんから!!」
「う、うん……? ………ありがとう、リリス」
オズフリートがおそるおそると言ったように、リリスの背中に腕を回す。
そのぬくもりがまるで奇跡のように思えて、リリスはぎゅっと彼に抱き着く力を強めた。
騒ぎを聞きつけた者が集まってくるまで、リリスは決してオズフリートから離れようとはしなかった。