119 奇跡
リリスは神を信じない。
元々信心深い性格ではなかったが、一周目の人生で神の代行者たる聖女と敵対したこともあり、ますます神に祈るような敬虔な性格からは遠ざかってしまった。
だがそんなリリスでも、無性に何かに縋りたくなることはある。
――どうか、一秒でも早くオズ様が目覚めますように……。
願掛けのように、リリスは祈った。
……母の、墓石の前で。
ここにイグニスがいれば、「いや墓参りってそういうことする場じゃねぇから!」とツッコんだかもしれない。
だがリリスは、たった一人でこの場所に来ている。
「ごめんなさい、お母様。お母様のことは大好きだけど……まだ、オズ様を連れて行かないで……」
墓石の前にしゃがみ込み、リリスは必死にそう懇願した。
神に祈ることもできず、いてもたってもいられず気が付いたらここに来ていたのだ。
オズフリートは目覚めない。それどころか、明日にでも死んでしまうかもしれない。
そう考えると、怖くてたまらない。
――そういえば今までは、私が不安になった時はイグニスが色々作ってくれたっけ……。
リリスがスイーツ作りを命じることも多かったが、イグニスがリリスの機嫌を察知して先んじてリリスの好物を作ることも多かった。
リリスはいつも、彼のスイーツを食べては機嫌を直していたものである。
――イグニスの作ったお菓子、食べたいな……。
イグニスお手製のスイーツを思い出すと、途端に舌がむずむずしてくる。
……それでも、もう二度と彼の作ったお菓子を口にすることは叶わない。
そう思うと、とたんに身を引き裂くような悲しみが襲い掛かって来た。
「いなくなっていいなんて、いつ私が許可したのよ……」
勝手に現れて、彼の口先に騙されて契約して……二周目の世界でもいきなり現れて、イグニスはいつもリリスと一緒にいてくれた。
……ずっと、一緒だと思っていたのに。
勝手にいなくなるなんて、リリスは許してはいない。
「イグニスのばか……ばかばか……あんたの未払い分の給料、私のおやつ代にしてやるんだから……!」
こみ上げる涙をのみ込み、リリスはそう声を絞り出した。
その時、がさりと背後に誰かが立った気配がした。
「はぁ~、少しはしおらしくなってるかと思えば、相変わらずのパワハラ気質。さすがはリリスお嬢様だ」
頭上から降って来た呆れたような声に、リリスは反射的に振り返る。
そして、涙で濡れた瞳を驚きに見開いた。
「俺がいなくて寂しかったんですかぁ、お嬢様?」
そう言ってからかうように顔を覗き込んできたのは、レミリエルと同時に消えたはずの悪魔――イグニスだったのだから。