117 彼のいない世界で
「リリス様、リリス様もお休みにならないと……」
「そうだよ。リリス様体壊すたっきゃ元も子もね」
レイチェルとアンネに何度も説得されて、リリスはやっと小さく頷いた。
目の前の寝台では、オズフリートが眠っている。
……もう十日も、彼は目を覚まさない。
あの時シメオンによって矢で射られ、オズフリートは倒れた。
意識を失った彼に必死に呼びかけているうちに、レミリエルの結界が解けたのか王宮の者たちが救助に現れた。
……あまりよく覚えていないが、オズフリートから引き離されそうになったリリスは相当暴れたらしい。
最後は王宮勤めの魔術師によって睡眠魔法をかけられ、強制的に眠らされたのだとか。
イグニスとレミリエルの激闘でダメージを負ったのか、リリスたちが救助されてすぐに、旧礼拝堂は崩壊してしまった。
……イグニスとレミリエル――ミリアは、崩壊に巻き込まれて行方不明ということになっている。
教育係を解任されたことで聖女アンネに恨みを抱いたシメオンが、禁忌の術を使って彼女を操ろうとした。
だが辛くもオズフリートによってその企みを看破されたシメオンは、旧礼拝堂に逃げ込み追いかけてきたオズフリートを殺傷しようとした。
オズフリートは怪我を負ったが、シメオンを制圧。だが矢に塗ってあった毒がまわり、昏睡状態に陥った――。
……というのが、表向きの筋書きだ。
真相を知るのはリリスとオズフリートのみ。
オズフリートは眠ったままで、リリスは真相を話すつもりは無い。……というよりも、真相などどうでもよかった。
「オズ様……」
イグニスは消え、オズフリートまでもが覚めない眠りの淵にいる。
目を離せばオズフリートまでもが消えてしまうような気がして、リリスはほとんどの時間を彼の傍で過ごしていた。
――オズ様は、一周目の出来事を覚えていた。なのに、私を助けようとして……。
――『ずっと……謝りたかった。でも、怖かったんだ。君に突き放されるのが、軽蔑されるのが、嫌われるのが……怖かった。だから……ごめん』
あの時の、胸が痺れるような懇願が蘇る。
……彼と話したい。
どうして記憶があることを黙っていたのか。
どうして一周目と違い、リリスのことを大切にしてくれるのか。
どうして、身を挺してまでリリスを助けたのか……。
……いや、本当はそんなことはどうでもいいのだ。
今はとにかく、彼に戻ってきて欲しい。
その願いさえ叶うのなら、他のことなどどうなってもいい。
「……こんなところで死ぬなんて、私は許しませんからね」
眠るオズフリートに聞こえるようにそう告げると、リリスは重い腰を上げた。
◇◇◇
「リリス様! こちらのスイーツはどうですか!?」
「このお肉もおいすそうだよ!」
必死な様子のレイチェルとアンネに勧められ、リリスは曖昧に頷いた。
その様子を見て、ギデオンは苦笑いを浮かべている。
「主食とデザートを同時に勧めるなよ……。お前も、あまり無理するなよ。まずは食べやすいスープやサラダから食べた方がいいんじゃないか」
「……あなたに正論を言われると何となくイラつくわ」
「なんだと!?」
旧礼拝堂からリリスが戻ってからというもの、レイチェルとアンネ……それに二人の暴走を止めようとするギデオンは、ずっとリリスの傍に居てくれた。
今もイグニスとオズフリートのことが気にかかり、ろくに食事もとっていなかったリリスに必死に食事を勧めてくれている。
サラダにスープ、それに肉やスイーツも少しだけ口にして、リリスはフォークを置いた。
「……腹が膨れたらゆっくり寝ろ。オズフリートが起きた時、お前が悲惨な状態だとまた昏倒しかねないからな」
「…………そうね」
ゆっくり休め、と言い残し、ギデオンは渋るレイチェルと騒ぐアンネを連れて公爵邸を去っていった。
屋敷のメイドたちにも「とにかくお休みになってください!」と懇願され、リリスは随分と久しぶりに自室のベッドに横になる。
――『リリス、寝るときはちゃんと腹仕舞えよ』
だがイグニスが残した言葉が脳裏によみがえり、またじわりと涙が滲んでしまう。
「私、そんなに子供じゃないわ……」
そっと毛布を手繰り寄せ、リリスは涙声でそう呟いた。