115 歪んだ愛のレクイエム(2)
魔術師に任せるだけでは、いつまたリリスに会えるかわからない。
いてもたってもいられず、オズフリートは自らも研究に携わるようになった。
魔術に関しては基礎的な分野しか学んでいなかったが、幸いにも時間はいくらでもある。
寝食も忘れるほど、オズフリートは研究に没頭した。
あっという間に、時間が過ぎていく。
怪しまれないように最低限の公務や社交はこなしつつ、オズフリートはただひたすらリリスとの再会を夢見て研究を続ける。
そのうちに、オズフリートは自身に関するある変化に気づかざるを得なかった。
「どうも『いつまでも若々しい』と褒められることが多くて、お世辞かと思っていたけど……よく見ると、本当に変わっていないんだ」
年月が過ぎるごとに、見知った者たちは年を取り、様相も変わっていく。
だが、オズフリートの容姿は王都を出た時とほとんど変わらなかった。
容姿だけではない。もうそれなりの年齢であるのに、一向に体力の衰えを感じることはなかった。
雑談のようにそう零すと、魔術師は少し考えた後、意外なことを口にした。
「あくまで仮説ですが……あの魔道具の影響が及んでいるのではないかと」
「リリスの棺?」
「そうです。あの棺は、中に収めた物の時間を止める作用を持っていますが……おそらくその作用が、わずかながら漏れ出ているのではないでしょうか。時間を止めるまでには至らなくとも、近くにいるあなたの成長や老化を大幅に遅らせるような形で」
「……なるほど」
「本来ならそのような効果は想定していなかったのですが……これも、フローゼス公爵令嬢の内に眠る莫大な魔力の恩恵なのでしょう」
魔道具を動かすには、それなりの魔力の供給が必要になってくる。
だが、リリスの眠る棺に関しては外部から供給してやる必要はなかった。
オズフリートにとっては信じられないことだったが、どうもリリスの内にはとんでもない量の魔力が眠っているようなのだ。
何十年も時間を止め続けるガラスの棺を稼働させても尽きることない、莫大な魔力が。
しかし、生前のリリスは魔術に関しても疑いようのない落ちこぼれだった。
魔力測定でも平均以下だったと聞いているし、いったい何故、どこからそんな力が――。
「……あの悪魔か」
リリスを追うようにして、現れた悪魔。
悪魔は人間に力を分け与え望みを叶えた後に、その魂を喰らうと聞いたことがある。
今リリスの中に眠る魔力は、あの悪魔が与えた物なのだろうか。
……まぁ、なんだっていい。
いつものようにガラスの棺の中で眠る想い人を眺めながら、オズフリートはそっと彼女に語り掛けた。
「でも、これでよかった。リリスが目覚めた時に、僕のことがわからなかったら悲しいからね」
たとえ時の流れから置いていかれようとも、リリスさえ戻って来てくれるのならそれでいい。
できれば、彼女と死に別れた時からあまり変わらない姿で再会したかった。
……とはいうものの、研究は思うように進んではいない。
死者蘇生という禁忌の道に足を踏み入れはしたものの、やはり立ちはだかる壁は高かった。
オズフリートが欲するのは魂の無い人形ではない。
会いたいのは色あせた世界に色を付けてくれる、オズフリートが到底思いつかないようなことをしでかすリリスなのだから。
紛い物などいらない。
心から楽しそうに笑うリリスの笑顔が、どうしてももう一度見たかった。
「時を遅らせる、時を止めることができるなら……時を戻すこともできるんじゃないか?」
「時戻しは死者蘇生に匹敵する禁忌とされ、神殿から厳重な禁止令が出ています」
「それは知っている。禁忌なんて今更だろう。できるかできないかで答えてくれ」
「……理論上は不可能ではない、とだけ」
オズフリートと協力関係にある魔術師は、どうも時間に関する魔術に秀でているようだった。
リリスの眠るガラスの棺も、彼の研究成果の一つだ。
だがあまりに禁忌に近づきすぎたため、彼は魔道研究所を追放された。
オズフリートにとっては、この上なく幸運な巡り合わせだったと言わざるを得ないのだが。
「方向性を変えよう。死者蘇生はどちらかというと神の御業……神殿の得意分野だ。それよりも、時を戻す方法を真剣に検討したほうが早い。できるだろう?」
「時戻しはまさに世界を巻き込む大魔術です。失敗すれば、この世界の理を――最悪、この世界自体を壊してしてしまう可能性もありますが」
「それが何か? 今更失うものもない」
何でもないことのようにそう言ったオズフリートに、魔術師は笑った。
「……仰せのままに、我が君」
元々魔術師の得意分野だったというのもあるだろう。
少しずつ時戻しに関する研究は進んでいき、オズフリートはリリスに会える日を心待ちにするようになった。
リリスを取り戻すためならどんな手でもいとわない。
オズフリートは王位継承権を放棄したとはいえ王族の血を受けていることには変わりがない。
この国には、かつての王たちによって封じられた禁忌の魔法がいくつも存在する。
王族の血によって封印を解き、いくつもの遺跡を、墓を暴いた。
何度も危険な目に遭ったが、一度も諦めようとは思わなかった。
リリスが受けた苦痛に比べれば、こんなものは何でもないのだ。
やがて……オズフリートはやっと厳重に封じられていた古の魔導書にたどり着いた。
「クロノスの秘術――これか……!」
失敗すれば世界が壊れてしまう、禁忌の時戻し。
だがオズフリートにとっては、世界よりもリリス一人の方が重かった。
「……もうすぐ会えるね、リリス」
オズフリートが魔導書を持ち帰ったことにより、研究は飛躍的に進んだ。
この頃になると、オズフリートは病気療養を理由にほとんど人前に姿を見せなくなっていた。
既に「若々しい」では誤魔化せなくなりつつあったのだ。
王位継承権を放棄してから数十年もたつのに、オズフリートの姿はあの頃とほとんど変わりがない。
昔の顔見知りが見れば、異様に思われることは間違いないのだ。
だが、気を付けていてもどこからか噂は漏れてしまうのかもしれない。
都の異端審問官がこの地に向かっているとの報が入り、オズフリートは舌打ちした。
「どうも王妃――聖女の直属の異端審問部隊のようですね」
「さすがに派手に動きすぎたか。まったく、どこまでも邪魔をしてくれる……!」
聖女の体を乗っ取ったレミリエルの、寒々しい笑みが蘇る。
おそらく彼女は、オズフリートの企みに気づき打ち砕こうとしているのだろう。
だが、ここで退くわけにはいかない。
時戻しの研究はあと一歩、という所まで進んでいるのだ。
聖女にも天使にも神にさえも、邪魔をさせるつもりは無い。
「背に腹は代えられません。居所を移すべきかと」
「そうだな。……あまり、リリスに負担はかけたくないんだけどね」
異端審問官の手から逃れるために、オズフリートと魔術師は研究の拠点を移すことに決めた。
それが、狡猾な天使の策とも気づかずに。