112 崩れ始めるシンフォニー(5)
聖女アンネが表舞台に姿を現すようになってから、ますますリリスの立場は悪くなっていった。
もともとリリスを未来の王妃としてふさわしくないと見なしていた者たちは、これ幸いとばかりにオズフリートと聖女の婚姻を推し進めようとし、反対するリリス派との間で小競り合いが絶えないのだ。
聖女……を操るレミリエルは自身に同情を集めるような形でリリスを挑発し、挑発に乗せられたリリスは口汚く聖女を罵り、ますます孤立していくという負の連鎖が続いている。
オズフリートは何とかこの状況を止めようと足掻いた。
だが、あまりに無力だった。
オズフリートの尽力もむなしく、天使の描いた未来図通りに運命は進んでいくのだ。
「……いい加減、諦めたらどうですか。これ以上足掻いても、リリス・フローゼスの立場が悪化するだけですよ」
慈母のような笑みを浮かべ、聖女はそう口にする。
オズフリートは舌打ちして、彼女から距離を取った。
「……うるさい。僕は君を受け入れない」
「自分の立場を考えるべきです、オズフリート。あなたはあなたである以上に、この国の未来を担う王となるべき存在。国の為には、自分の一時の感情など些末事だとは思いませんか?」
うるさい、黙れ。お前の言うことなんて聞きたくはない。
だが残酷なまでに「優秀な第一王子」としての対応が身に沁みついたオズフリートは、聖女を拒絶しきれないのだ。
「何も彼女と完全に縁を切れなどと言うつもりはありません。一時的に婚約を解消し、私を正妃として迎え入れると公言すればいいだけのこと。跡継ぎとなる子さえ私が産めば、あとは好きになさい。フローゼス公爵令嬢を側妃として迎え入れても、愛妾として侍らせても、私は文句など言いませんから」
純粋な少女の体を乗っ取った下種な天使は、無機質な計画書でも読み上げるようにそう告げた。
その何の罪悪感もないような態度に、吐き気すらしてくるほどだ。
「……リリスが、そんな扱いで納得するわけがない」
リリスは気高い公爵令嬢。彼女のプライドの高さは、オズフリートもよく知っている。
苛烈な性格のリリスのことだ、側妃や愛妾などという立場に甘んじるわけがない。
何よりオズフリートは、大切な彼女をそんな風に扱いたくはなかった。
「ならば、潔く手放すことです。今なら傷は浅くて済む。彼女も高貴な公爵令嬢、すぐに新たな良縁に恵まれるでしょう」
「っ……!」
……本当は、わかっている。
今の状況を考えれば婚約を解消し、リリスを手放すのが一番彼女の為になるだろう。
だが、オズフリートはそうしなかった。……できなかった、のだ。
リリスから離れたくない。
彼女が別の男の隣で笑っている姿など見たくはない。
だが、オズフリートがそんな感傷に引きずられている間にも、どんどんと状況は悪化していく。
「見ました? 先日のフローゼス公爵令嬢の振舞いを」
「あんな風に聖女様を罵倒して、みっともないったらないわ!」
「あんな女を未来の王妃と仰いでいたなんて……寒気がする」
「さっさと分をわきまえて身を退けばいいのに。無様ね!」
人々はわざと聞かせるように、口々にリリスを罵った。
膨らみ続ける悪意は止まることを知らないかのように、どんどんと加速していく。
集団を団結させるのには共通の敵を作るのがいいとはよく言ったものだ。
聖女の御旗の元に集まった人々は、リリスという共通の敵を攻撃することで、結束力を高めていく。
リリスへの攻撃はどんどんと激化していき、もはや、オズフリートの手に負えないのは明らかだった。
「……殿下、ご決断を」
その日、聞かされた話の内容に、オズフリートは目の前が真っ暗になるような心地を味わった。
――このままでは、遅かれ早かれフローゼス公爵令嬢は殺される。
膨れ上がった悪意は、今にも破裂しそうな勢いだ。
反リリス派が暴徒となるのは、もはや時間の問題だろう。
溜まり溜まった悪意の矛先がリリスに向かえば……リリスがどんな目に遭うかなど、考えるまでもない。
悔しいことに、オズフリートもそう理解せざるを得なかった。
「すぐにでもフローゼス公爵令嬢との婚約を破棄し、聖女様との婚約を結ぶのです。それに、殿下自らフローゼス公爵令嬢を罰すれば、聖女派の者たちの留飲も下がるでしょう」
オズフリートがリリスとの婚約を解消し、更に彼女を断罪することで、聖女派の者たちはつかの間の勝利を手に入れることになる。
少なくとも、リリスへの攻撃の手は緩むだろう。
「……わかった。リリスとの婚約を解消し、彼女は尊ぶべき聖女を侮辱し、陥れようとした罪で一時的に投獄する」
王宮の地下牢は厳重に警備が敷かれており、ある意味この国で一番安全な場所だ。
あんな暗くて寒々しい場所にリリスを入れたくはなかったが、彼女の安全のためだ。
ほとぼりが冷めたら、すぐに別の場所に護送すればいい。
それまでの辛抱だ……と言っても、きっとリリスには伝わらないだろうけど。
――きっとリリスは……一生僕を許さないだろうな。
オズフリートがリリスを望まなければ、彼女はもっと自由に生きられたはずだ。
自分のエゴが、リリスを不幸にした。
だが、だからこそ……ここでけじめをつけなければ。
舞台を整え、オズフリートは聖女を従え、リリスと相対する。
集まった貴族たちは、まるでショーでも鑑賞するかのように、呆然と立ちすくむリリスを眺めている。
「オズ、様……?」
この状況が信じられないとでもいうような、まるで迷子の子どものように不安そうな表情をしたリリスに胸が痛む。
だが、こうするのが一番彼女の為になる。
自分のことなら、いくらでも恨めばいい。彼女の憎悪なら、喜んで引き受けよう。
意を決して、オズフリートは決定的な言葉を口にした。
「フローゼス公爵令嬢リリス。君との婚約を破棄する」
彼女への捨てられない想いを悟られないように。
一片の愛情すら感じさせない冷たい声で、オズフリートはそう告げた。




