111 崩れ始めるシンフォニー(4)
「はずめますて、王子様。アンネど申すます」
初めて相まみえた聖女は……なんというか、想像していた「聖女」というイメージからはかけ離れていた。
どこにでもいそうな小田舎の村娘……といった風貌の少女だ。
周囲の者たちはどこか落胆した様相を見せていたが、オズフリートは逆に安堵した。
彼女になら、話が通じるかもしれない。
もしも聖女との結婚話が持ち上がったら、自分にはリリスという相手がいるのだとしっかり伝えよう。
「聖女様は我々神殿がお預かりして聖女としてふさわしい教育を施します。王子殿下、しばしのお待ちを」
「あぁ、頼んだよ」
オズフリートの気分は明るくなった。
少しだけ、未来に明るい光が見えたような気がしたのだ。
聖女と会ったということをリリスに伝えると、彼女はそわそわした様子で問いかけてくる。
「それで、聖女様はどんな御方でしたの?」
「うーん……少し、変わった感じの子だったかな。大丈夫、すぐに君にも紹介するよ」
きっとあの子なら、リリスとも仲良くなれるだろう。
孤立しがちなリリスにとって、いい話し相手になるかもしれない。
……そんな甘い考えを、抱いてしまったのだ。
だがオズフリートの希望は、すぐに打ち砕かれることとなった。
◇◇◇
「お久しぶりです、王子殿下。お会いできる日を心待ちにしておりました」
一月ほど経って再び姿を現した聖女アンネに、オズフリートは言葉を失った。
たった一月の間に、彼女はまるで別人のように様変わりしていたのだ。
初めて会った時の快活な雰囲気はどこへやら、今のアンネは少し揺さぶれば折れてしまいそうな儚げな雰囲気を纏っていた。
容姿や仕草も洗練され、これなら皆「救国の聖女」だと納得するだろう。
だが、オズフリートにはその変化が不気味に思えてならなかった。
穏やかに見えて、何を考えているのかわからない微笑み。
……まるで、聖天使レミリエルと相対している時のような嫌な空気を感じずにはいられない。
「わたくしのために祝宴を催していただけるのだとか。とても楽しみですわ。オズフリート殿下がエスコートもしてくださるのでしょう?」
彼女の白い腕が、するりとオズフリートの腕に絡められる。
反射的に振りほどこうとするのを、オズフリートはやっとの思いで堪えることに成功した。
「悪いけど、僕には婚約者がいて――」
「まだ、そんなことをおっしゃるのですか」
耳元でひやりとした声に、オズフリートは今度こそ腕を振り払ってしまった。
途端に神殿側の者から抗議するような咳払いが聞こえたが、それどころではない。
目の前のアンネは、まるで聖母のような……それでいて妖しげな笑みを浮かべている。
その瞳に宿る光に、オズフリートの背筋にぞくりと冷たいものが走った。
「……レミリエル?」
まさかという思いでそう呼びかけると、聖女アンネはにこりと笑う。
「わたくしの心は、常に聖天使様と共にあります」
それは、婉曲的な肯定の言葉だった。
その言葉を聞いた途端、オズフリートは血の気が引いた。
オズフリートがのうのうと過ごしていた間に、神殿はアンネという少女そのものを聖天使レミリエルに明け渡してしまったのだ!
アンネの精神はどうなったのか、など聞きたいことはたくさんあったが、あまりの暴挙にオズフリートは言葉を失ってしまう。
そんなオズフリートの手を取って、聖女は美しい微笑みを浮かべた。
「共に、輝ける王国の未来を創っていきましょう、オズフリート殿下。私と、あなたなら最上の未来を選べますわ」
高らかに聖女がそう告げると、その場にいた者たちから拍手が沸き上がる。
だがオズフリートは戦慄したように、ただただ目の前の聖女から離れたいという思いに支配されていた。
……悪い夢なら、馬鹿げた劇の台本だったらよかったのに。
だがこれは紛れもない現実なのだと、待ち受けているのはオズフリートが望まぬ未来だということも、理解せずにはいられなかったのだ。




