106 小さな恋のメロディ(3)
周囲の思惑もあってか、それからもオズフリートとリリスは顔を合わせることが多かった。
時がたつにつれ、少しずつリリスの破天荒な振舞いに苦言を呈す者が増えていく。
だが、それでもリリスは変わらなかった。
「だって、わたしはわたしなんだもの。無理に別人になろうとする方がおかしいのよ!」
いつものように態度を注意された後だったのだろう。
もぐもぐとお菓子を頬張りながら、リリスはぶつぶつと不満を漏らしている。
その様子を微笑ましく思いながら、オズフリートはそっと口を開いた。
「……そうだね、リリスはリリスだ。他の誰でもない」
彼女は確固たる「自分」というものを持っている。
それが、オズフリートには羨ましく思えた。
彼女のように思うがままに生きたいと願っても、オズフリートには一歩を踏み出す勇気がなかったのだ。
皆に期待されている「優秀な第一王子」という仮面を脱ぎ捨ててしまったら、空虚な自分にはいったい何が残るのだろう。
だからこそ、オズフリートにはリリスが眩しくて……少しでも長く一緒に居たいと思ってしまうのだ。
彼女と一緒にいるときだけは、オズフリートも少しだけ、自分が人間らしくなったような気分を味わえるのだから。
「殿下、こちらは侯爵令嬢の――」
「あちらのご令嬢は外務大臣の姪にあたりまして――」
「今度、同盟国の王女殿下が――」
周囲はそれとなく、オズフリートにリリス以外の婚約者候補の少女を引き合わせようとすることが増えた。
だが、どの少女に会っても、リリスと初めて出会った時のような感動は訪れない。
彼女たちは容姿や家柄もよく、音楽会のプログラムで素っ頓狂な歌を歌い出すこともない、模範的な令嬢たちだった。
それでも、オズフリートが傍に居たいと望むのは、いつも予想もつかないことをしでかすリリスただ一人なのは変わらなかった。
そしてオズフリートが10歳を迎えて少し経った頃、いつもよりかしこまった様子の母に呼び出され、真正面から話を切り出された。
「オズフリート、あなたももう10を数える年になりました。立派に成長したあなたを、わたくしは誇りに思います」
「勿体ないお言葉です、母上」
「……もう気づいているかとは思いますが、そろそろあなたの婚約者を決めようと思うの。わたくしとしては、先日お会いした侯爵令嬢が適任だと――」
母の言葉に、オズフリートは少し前に会った件の侯爵令嬢を思い出す。
美しく、上品で、家柄もよい……まさに小さな淑女といった様子の少女だったのを覚えている。
もちろん、とんでもないことをしでかして周りの者を困らせたりもしないだろう。
いずれ王妃となる者、という観点で考えれば、リリスよりもその侯爵令嬢の方が適任であるのは間違いない。
……だが、それでいいのだろうか。
――僕の、伴侶となる相手は……。
件の侯爵令嬢と結婚したとしても、表面上はうまくやっていけるだろう。
……あくまで、表面上は。
お互いに仮面を被ったまま、王と王妃として今まで通り檻の中で生きるのだ。
考えただけで、気が滅入るような人生だ。
――『どうしてうたいたい曲をうたってはいけないのかしら! わたしにはさっぱりわからないわ!!』
――『だって、わたしはわたしなんだもの。無理に別人になろうとする方がおかしいのよ!』
思い浮かぶのは、たった一人のことばかり。
この感情は、憧憬か、それとも恋情なのだろうか。
わかるのは、自分の心がただひたすらに彼女を求めているということだけ。
オズフリートはいつも、周りが望むような選択肢を選んで生きていた。
だが、この日初めて……オズフリートは、母の意向に逆らったのだ。
「母上、僕は……フローゼス公爵令嬢を妃にしたいと思います」
はっきりとそう告げると、母が小さくため息をついた。
「……オズフリート。聡いあなたならわかってくれると思いますが……あの子は、王妃には向きません。無理にその座に据えれば、あの子自身も不幸になるのは目に見えています」
母の言葉に、オズフリートはぐっと押し黙った。
反対されるのを、予想していなかったわけじゃない。
オズフリートも自分の感情を抜きにして考えれば、あのリリスを王妃にしようなどとは決して思わないだろう。
だが、それでも……どうしても、リリスに傍に居て欲しいと願ってしまうのだ。
オズフリートの優秀な頭脳は素早く計算を始めた。
……いかにして、目の前の母を納得させるかについての。
「……ですが母上、もしも彼女が僕以外の王位継承権者と婚姻を結べば、僕たちの立場を脅かそうとするかもしれません」
「っ――!」
母の不安に、弱みに付け込んでいく。
リリスの父は大貴族フローゼス公爵家の当主であり、国王の信厚い宮廷魔術師長でもある。
母にとって、敵に回せば厄介な相手であるのは間違いないのだ。
「フローゼス公爵令嬢の素行なら、これから矯正していけばいい。彼女に足りない部分は僕が補います。ここで彼女を野放しにするのは得策ではないかと」
心にもない言葉を並べ立て、オズフリートは冷静に母の説得を試みた。
幼い頃から洞察力に長けていたオズフリートにとっては、それほど難しくはないことだった。
読み通り、やがて母は観念したようにため息をついた。
「……そこまで言うのなら、あなたに任せましょう。ただし、フローゼス公爵令嬢自身にその気がなければ……あの子があなたの求婚に首を縦に振らなければ、すべて白紙に戻します。……いいですね?」
リリスを妻にしたければ、オズフリートがリリスをその気にさせなければならない。
そう突き付けられ、オズフリートは初めて少しだけ動揺した。
この国では婚約の際に、男性から女性へ求婚するのが習わしとなっている。
果たしてオズフリートがリリスに求婚したとして、彼女は受けてくれるのだろうか。
「王妃? 私はそんなつまらないものにはなりたくないわっ!!」
そんな、リリスの声が聞こえてくるようだった。
――……リリスは、僕のことをどう思っているんだろう。
今までの経験からすると、単なる愚痴の聞き役程度にしか思われていないのかもしれない。
そう思うと、急に彼女に求婚するのが恐ろしくなった。
リリスはオズフリートのことなど、何とも思っていないのかもしれない。
求婚に失敗して別の少女と婚約すれば、今までのように二人で気軽に会うこともできないだろう。
だが、母に啖呵を切った以上、ここで逃げ出すわけにはいかない。
オズフリートは潔く覚悟を決めた。




