105 小さな恋のメロディ(2)
「でも、どうして予定とちがう曲を歌ったんだい?」
「だって、そういう気分だったんですもの!」
あの波乱の音楽会から数日、オズフリートは父に連れられて王宮を訪れたリリスと共に庭園を散策していた。
きっとオズフリート以外の者にも散々同じ質問をされた後だったのだろう。
何故予定通り讃美歌を歌わなかったと聞くと、リリスはへそを曲げたようにそっぽを向いてしまった。
「どうしてうたいたい曲をうたってはいけないのかしら! わたしにはさっぱりわからないわ!!」
ぷりぷりと怒りながら不満を漏らすリリスに、オズフリートはくすりと笑う。
初めて会った時に心のない人形のよう――などと思ったのは大間違いだった。
リリスは決められた筋書き通りには動かない。
時にはプログラムを無視して歌いたい曲を歌い、第一王子であるオズフリート相手でも無駄に媚びたり怯えたりすることはない。
いつも周囲の顔色を窺ってばかりの、オズフリートとは大違いだった。
「あっ、あのお花すっごくきれい! オズフリート殿下、あちらにいきたいです!」
リリスがオズフリートの手を引っ張るようにして駆け出す。
リリスのお付きの者は顔を青くしているが、オズフリートはいつになく浮き立つような気分でリリスの後を追った。
「わぁ、お花がこんなにたくさん……すごい!」
色とりどりの花が咲き乱れる区画にたどり着くと、リリスは嬉しそうに歓声を上げた。
「あれはバラで、あれはパンジーで、あれは……なんだったかしら?」
「デルフィニウムだね」
「オズフリート殿下はものしりなのですね!」
無邪気な笑顔を浮かべるリリスに、オズフリートの胸は暖かくなる。
教師に何かを質問された時や要人と話す必要がある時は、間違えたらどうしようとひどく緊張し、指先が冷たくなるような心地を味わっていた。
なのに、今は違う。
リリスと言葉を交わす時は、不思議と気負う必要がないのだ。
きっとこの少女の纏う空気が、そうさせるのだろう。
だが、近づけば近づくほど……オズフリートは自分の空虚を実感せずにはいられないのだ。
「オズフリート殿下は、どんなお花が好きなのですか?」
きっと、リリスからしたら大した意図もない質問だったのだろう。
だがそう問われた途端、オズフリートは言葉に詰まってしまう。
教養として、花の知識は十分すぎるほど頭に入っている。
国花はもちろん、主要家門の紋章にあしらわれた花の情報も完璧だ。
花の種類や花言葉に伝承、開花時期や生息地方だって一瞬で事典を引くように頭の中に思い浮かべることができる。
だが……「自分の好きな花」だけはどうしてもわからなかった。
模範解答としては、国花の名前を答えればいいとわかってはいる。
だが、リリスの曇りなき瞳に見つめられると……自分の口に出そうとしている言葉が、ひどく空虚なものに思えて仕方ない。
……色とりどりの花を綺麗だと、好きだと思うような心の余裕さえなかったのだ。
押し黙ってしまったオズフリートに、リリスは不思議そうに首を傾げた。
「殿下?」
「いや……リリスは、どんな花が好きなのかな?」
彼女に対して嘘をつく気にもなれなくて、オズフリートは質問を質問で返す、という姑息な手を使ってごまかした。
するとリリスはぱっと顔を明るくして、満面の笑みで応えてくれる。
「私はアイリスの花です! ……お母様と、同じ名前、だから」
「ぁ……」
どこか寂しそうにそう呟くリリスに、オズフリートは彼女の母親の情報を思い出す。
アイリス・フローゼス――フローゼス公爵夫人は、数年前に流行り病でこの世を去っている。
公爵とは身分違いの結婚であり、周囲にも散々反対されていたらしい。
そのせいで今でも公爵夫人の早逝を「身分不相応な待遇を望んだ罰だ」などとうそぶく者もいる。
だが、彼女を良く知る者たちの話では……明るく、心優しい女性だったようだ。
きっと、今のリリスのように。
「リリス……」
いつもならすらすらと出てくるような、慰めの言葉が出てこない。
こんな風になってしまうのは、オズフリートには初めてのことだった。
リリスは涙を耐えるように俯きかけたが、何かが目に入ったのかぱっと顔を上げる。
「アイリスの花……!」
駆け出したリリスの後を、オズフリートも慌てて追いかける。
果たして屈みこんだリリスの視線の先には、確かにアイリスの花が咲いていた。
「……この花を見ていると、お母様が今でもお空からみまもってくださるって、思えるんです」
ぽつりと呟いたリリスに、オズフリートはやはりどう言葉をかけていいのかわからなかった。
教科書通りの対応ならできるだろう。だが彼女相手に、そんな心の無い言葉をかけたくはなかった。
どうしようかと視線を彷徨わせたオズフリートの視界に、純白の花が映りこむ。
あれは……白百合だ。
立ち上がり、心の中で謝りながら白百合を一輪手折る。
そして、不思議そうにその行動を目で追っていたリリスへ差し出す。
「僕の、好きな花」
正確には、今……好きになった花、なのかもしれない。
何色にも染まることなく、力強く、美しく咲きほこる純白の花。
先日の音楽祭の折に渡せなかった花束の代わりに、オズフリートはリリスに手渡す。
「君に……似ている、気がするんだ」
おそるおそるそう告げると、リリスはじっと白百合を見つめた後……照れたようにはにかんだ。
「……ありがとうございます、オズフリート殿下」
その表情を見ていると、オズフリートの胸にまた暖かなものがあふれ出した。
リリスの傍に居ると、心の底に押し込めていた感情が蘇ってくるようだ。
もっと、リリスの傍に居たい。
この時オズフリートは、確かにそう思い始めていたのだ。




