103 最後の言葉は
「オズ様!? オズ様!」
慌ててオズフリートの体を抱き起すと、彼は息も絶え絶えになりながら懇願した。
「リリス、早く逃げ……」
「っ……!」
そんなこと、できるはずがない。
リリスはオズフリートを守ろうと、矢が飛んできた方向へと視線を走らせる。
果たして、そこにいたのは――。
「レミリエル……。見ていますかレミリエル……! 私はやりました!!」
その陶酔したような声には聞き覚えがある。
震える手で弓を持ち、恍惚とした表情で虚空を見つめるその青年を、リリスは知っていた。
「あなた……シメオン!」
彼はかつてのアンネの教育係であり、リリスの進言によってその立場を奪われた者だった。
リリスの声が聞こえたのか、シメオンは虚空を見つめていた視線をリリスへと戻し、笑みを浮かべた。
「レミリエルを悲しませる悪しき魔女に、レミリエルの意に従わない愚かな王子……。あぁレミリエル……今すぐこの邪魔者どもを排除して見せます。だから……もう一度、私の前にその美しい御姿を現してください!!」
――こいつ……狂ってる!
今のシメオンは、明らかに正気を失っている。
だからこそ、侮れない。
――狙いは私とオズ様……? いいえ、私に絞らせないと!
オズフリートは既に矢を受けている。
レミリエルとの戦いで負った傷もあり、これ以上は彼の命が危ない……!
――私は、もう誰も私から奪わせないわ。
リリスはそっと荒く呼吸を繰り返すオズフリートの体を地面に横たえると、シメオンから視線を外さないように立ち上がった。
「あらあら御機嫌よう。こんなところで会うなんて奇遇ね」
挑発するようにそう告げると、シメオンが不快そうに眉を寄せる。
「……王国の未来を脅かす闇の魔女。貴様は、ここで排除する」
「できるものならやってみなさい。でも、私にビンタされて吹っ飛んでたようなモヤシ坊やにできるかしらぁ? ふふっ、レミリエルに見捨てられるのも納得ね!」
じりじりとオズフリートと距離を取りながら、内心では焦りながらもリリスは余裕の笑みを崩さない。
――オズ様は、私が守らないと……!
彼には、言いたいことや聞きたいことがたくさんあるのだ。
イグニスの時のように、ただ泣いてばかりはいられない……!
――まだ……狙いを私一人に絞らせて……!
シメオンが先にオズフリートを狙うようなことがあってはならない。
リリスは挑発するような言葉を並べ立て、シメオンが激高するのを待った。
「っ、口さがない闇の魔女め……! 貴様から先に消してくれる!!」
シメオンがリリス目掛けて弓を引く。
そして、彼が手を離した途端――。
――来たっ……!
間一髪、体を捻り放たれた矢をかわす。そのまま、リリスは勢いよく駆け出した。
放たれた矢が顔のすぐ横を掠め、髪の毛が数本巻き込まれが……大したことはない。
彼が次の矢を放つ前に、けりをつけなければ……!
「くそっ、もう一度……」
「遅い!!」
渾身の力を込めて、矢をつがえようとしていたシメオンの手首を蹴り飛ばす。
衝撃で、彼の手から弓が吹き飛んだ。
こうなれば、後はもうこちらのターンだ。
「貴様! よくも……ふぐぅ!!」
殴りかかろうとしたシメオンを軽くかわし、リリスは彼の鳩尾に拳を叩きこんだ。
確かな手ごたえを感じたと同時に、シメオンは脱力してその場に崩れ落ちた。
彼が気絶しているのを確認して、リリスは慌ててオズフリートの所へ舞い戻る。
「オズ様、もう大丈夫です! あいつは私が……オズ様?」
そこでリリスは、異常に気が付いた。
顔色が異常に悪い、呼吸も先ほどよりも浅くなっている。
これは、ただの負傷ではない……?
もしや、矢に毒でも――。
「オズ様、しっかりしてください! オズ様!!」
リリスはただ、泣きそうになりながら彼に呼びかけることしかできなかった。
矢は抜いたほうがいいのか、そのままにしておいた方がいいのか。
彼の体に触れると、燃えるように熱かった。きっと、揺さぶったりしてはいけないのだろう。
今すぐ助けを呼びに行きたい。だが、この状態の彼を一人にもしたくない……!
「オズ様、私の声が聞こえますか……? オズ様っ……!」
リリスの呼びかけに応えるように、オズフリートがそっと目を開く。
眼前にリリスの姿を認めて、彼は安心したように笑った。
「リ、リス……よか……た……」
喋るたびに、オズフリートの喉がヒューヒューと嫌な音を立てる。
その様子に、リリスは決意した。
「今、人を呼んでまいります……!」
早く医師に診せなければ、一刻を争うかもしれない……!
だが立ち上がろうとした途端、オズフリートが力の入らない手で、必死にリリスのドレスの裾を掴んだ。
「待って……行か、ないで……」
「でもっ!」
「リリス……ごめん」
それは、確かな謝罪だった。
何故かその言葉を聞いた途端、リリスは凍り付いたように動けなくなってしまう。
「傷つけて、ごめん。守れなくて、ごめん……」
「オズ様……?」
「本当は、ずっと君と一緒に生きたかった。でも……」
「オズ様、喋らないでください! すぐにお医者様を呼ぶから――」
「リリス……君は生きて。今度こそ、生き延びて……」
心臓が大きく音を立てる。
「今度こそ」生き延びろと彼は言った。
今まで、少しずつ心の隅に積もっていた疑問が……繋がっていく。
きっと、彼はリリスやイグニスと同じように――。
「……オズ様、私が死んだときのことを覚えていらっしゃいますか」
意を決してそう問いかけると、オズフリートは切なげに眉を寄せて小さく頷いた。
それだけで、十分だった。
「ずっと……謝りたかった。でも、怖かったんだ。君に突き放されるのが、軽蔑されるのが、嫌われるのが……怖かった。だから……ごめん」
「……もういい。もう、いいんです」
そんなことどうだっていい。
ただ、彼が生きていてくれればそれでいいのに。
「傷が治ったらたくさん話しましょう。だから、今は――」
そっと彼の頭を撫でると、オズフリートは満足そうに目を閉じた。
「……リリス、ありがとう」
それが、最後の言葉だった。
「オズ様、すぐによくなりますから! 勝ち逃げなんてゆるさないんだから……!!」
リリスが耳元でどれだけ騒いでも、彼は浅い呼吸を繰り返すばかりで、目を開けることも言葉を発することもなかった。
半狂乱になりながら、リリスは必死に彼に呼びかける。
そのうちに、礼拝堂の外が騒がしくなってくる。
どうやらレミリエルの結界が解け、城の者たちがオズフリートやリリスを探しに来たようだ。
だがリリスは少しも安心はできなかった。
「オズ様! まだ聞きたいことがたくさんあるんだから!! こんなところで死ぬなんて、私は許しませんからね!!」
駆け付けた者に引き離されるまで、リリスは必死にオズフリートに縋るのをやめられなかった。




