101 彼が選んだ結末
「イグニス!?」
イグニスの体は、またたく間に燃え盛る黒炎に包まれてしまう。
リリスは必死に彼の元へ駆け寄ろうとしたが、オズフリートにきつく抱きしめられ、引き止められてしまう。
燃え盛る黒炎を見て、レミリエルは高笑いを上げた。
『旗色が悪くなったとみて、自殺ですか? 悪魔とはとんだ腑抜けた――』
そこで、レミリエルの言葉がぴたりと止まる。
ごうごうと燃える黒炎が、明らかに勢いを増したからだ。
――……そうよ。イグニスのことだもの、何か考えがあるはず……!
リリスはオズフリートと共に、じっと黒炎を見つめた。
礼拝堂の高い天井に届くほどに燃え盛る黒い炎。
立ち上る黒炎を引き裂くようにして、まず姿を現したのは……黒々とした巨大な翼だった。
「あれは、まさか……」
信じられないといった様子で、オズフリートがぽつりと呟く。
あれだけ燃え盛っていた黒炎が、徐々に収束している。
いや……違う。吸い込まれているのだ。
炎の中から現れた、漆黒のドラゴンに。
「イグニス……?」
リリスの呟きに応えるように、ドラゴンの首がこちらを向く。
鋭く光るその瞳は、彼と同じく血のような赤色だった。
リリスと黒竜の視線が合う。
その竜が「任せろ」とでもいうように、軽く頷いたようにリリスには見えた。
『なっ!? その姿は……低俗な悪魔が、そんなはず――』
現れた黒竜に、レミリエルは明らかに狼狽した様相を呈していた。
その隙を、黒竜は見逃さない。
レミリエル――白竜の喉元へ、黒竜が食らいつく。
白竜は必死に暴れ、二頭の竜はもつれあうように床に倒れ込んだ。
礼拝堂が破壊され、激しく土ぼこりが舞い上がる。
「リリスっ……!」
リリスを抱き込むようにして、オズフリートが柱の影へと飛び込む。
先ほどまで二人がいた場所に、衝撃で破壊された礼拝堂の一部が飛んできたのだ。
二頭の竜は激しく咆哮を上げながら、相手を絶命させようと暴れている。
その姿を目に焼き付けながら、リリスは渾身の力を込めて叫んだ。
「やりなさい、イグニス! その天使を打ち倒すのよ!!」
その声に呼応するように、黒竜が白竜の喉笛に噛みついた。
白竜は抵抗するように大きく爪を振り上げ、その途端辺りはまばゆい光に包まれる。
「まずい……リリス!」
オズフリートがリリスを守るように床に押し倒す。
リリスはひゅっと息を飲みながら、どこか既視感を覚えていた。
――この光……そうだ。前に、私が死んだ時と同じ――!
一度目の死の直前に見た、目を焼くような光とよく似ている。
思わず体を強張らせたリリスを、オズフリートが強く抱きしめる。
――また、死んじゃうの……?
無意識にぎゅっと目を瞑り、リリスは目の前のオズフリートにしがみついた。
だが唐突に、あたりを焼き尽くすような光が消えた。
「え……?」
おそるおそる、リリスは目を開く。
オズフリートも怪訝な表情で、リリスを庇うようにして起き上がった。
リリスは呆然と、酷く破壊された礼拝堂を眺めた。
先ほどまで激しい戦闘を繰り広げていたはずの黒竜と白竜は、跡形もなく消えていた。
……その痕跡すら、残さずに。
「……イグニス?」
そっと呼びかけても、答える声はない。
……それだけじゃない。
リリスの体を、心を、激しい喪失感が支配する。
まるで自分の一部を持っていかれてしまったかのように、大切なものがなくなってしまったようだった。
それに、ずっと感じていた……彼の気配が感じられない。
「イグニス? どこなの? 返事をしなさい! イグニス!!」
リリスの叫びが、むなしく礼拝堂にこだまする。
……気づきたくなかった。でも、本能的にわかってしまった。
イグニスは、もういない。
文字通り死力を尽くしてレミリエルと戦い、消えてしまったのだ。
「そんな、嘘……」
リリスは呆然とその場に崩れ落ちた。
――『お前と過ごした時間、そんなに悪くなかった。……じゃあな』
あれは、彼なりの別れの言葉だったのだろう。
あの時から、イグニスは覚悟を決めていたのだ。
……自分の存在を犠牲にしてでも、レミリエルを葬ることを。
「嘘、嘘よこんなの……」
リリスの運命を捻じ曲げた元凶――レミリエルは消えた。
悪魔であるイグニスもいなくなり、もういつ魂を喰われるのかという恐怖に怯えることもない。
それなのに……少しも嬉しくなかった。
まるで半身を失ったかのような喪失感に苛まれ、リリスはその場に泣き崩れた。