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摩天楼とビスケット  作者: 平谷望
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ビスケット


 例のごとく材料をスーパーで集めた二人は、キッチンの前に立ち尽くしていた。語が不安そうな顔をしながら新田を見ると、新田は作業の行程を脳裏に巡らせているようで、顎に手を当てながら思案していた。


『……よし、多分フライパンとグリルが使えるなら行ける……はず』


「……」


 語が無言で魚を焼くためのグリルを開けた。一回も使ったことがないので、どういう原理で動くのかは分からないが、つまみを回せば一応動くらしい。それを一瞥した新田は、軽い笑みを浮かべながら、これから作るお菓子の名前を上げた。


『今回作るのは……プリンとビスケットとパンケーキの三つだよ』


「……多い」


『まあ、それぞれ少なめに作るつもりだから……』


 ってことで、やろうか、と新田言った。それに合わせて語もため息と共に準備をする。非常にめんどくさそうな顔を語は浮かべたが、内心では少し緊張と期待が巡っていた。


『まずは蒸す過程があるプリンから作っていこうか。残念ながら冷蔵庫とかオーブンが使えないから、蒸すときはフライパンに布を敷いてその上に蓋をして蒸すよ』


「分かった」


『まずは小鍋に牛乳を七十グラム入れて温めよう。計量カップ買ったはずだから、それに合わせてね』


「……」


『温めてる間にボウルに卵を入れて、砂糖と合わせて混ぜよう。泡立てないように気を付けてね』


 料理番組の受け売りで、妙に詳しい新田の解説に従って、語は材料を混ぜ合わせていく。カラメル作りでミスをしかけたが、なんとか新田がリカバリーをして持ち直す。足りない器具は豊富な知恵でなんとか補い、概ね順調に作業が進んだ。

 普通の料理に比べて繊細さがものをいうお菓子作りだが、語は持ち前の順応性の高さでプリンを作り上げていく。


『おおー……上手いね。もしかして初めてじゃない?』


「……初めて作った。指示があるからできるだけ」


『嬉しいことを言ってくれるね。ガイドのしがいがあるよ……あ、そろそろ蓋を開けてもいいかな』


「……出来た」


 初めてにしては随分と完成度の高いプリンに、語は僅かに目を輝かせたが、それを微笑ましく見守る新田の視線を感じて無愛想な顔をした。えー、と新田は文句を言ったが、語にとってその類いの視線はこそばゆいことこの上ない。有り体に言えば恥ずかしいのだ。その視線を振り払うように、語は無愛想なまま次を催促した。


「次は?」


『次はパンケーキ。うまくひっくり返せるか心配だけど……多分大丈夫だよね』


「……分からないけど、頑張る」


『その意気だね。じゃ、まずはさっき買ったホットケーキミックスと牛乳、卵、ヨーグルトを用意してね』


 言いながら新田は、なんだか本当にゲームのアシストキャラみたいだな、と思った。画面に出てくる次の目標を復唱しているような気分だ。ぎこちなくもきちんと行程に沿う語の行動が面白くて、なかなか癖になりそうだった。

 真剣そうに卵を割る語は実に新鮮で、最初に出会った時の死んだ表情とは結び付きそうにない。そんな風に思い返していると、語が次の指示を待っていた。慌てて新田は次の行程を伝える。


『ああ、ごめん。考え事してて……次はそれをボウルに混ぜ合わせようか。少しくらい玉ができても大丈夫だよ』


「…………あ」


『あ!……危ないね』


「……手が滑った」


 混ぜ合わせていく段階で、ボウルを掴んでいた語の手が滑り、危うく中身を飛び散らすところだった。プリンを作った後に洗った手をちゃんと拭かなかったのが悪かったようだ。しゅんとした様子の語を励まして、新田は次の指示を出した。

 パンケーキをフライパンに上げて焼いていくと、やはりひっくり返す所で語が大きく慌てた。


「無理」


『行けるって。早くやらないと焦げちゃうよ。ほら、うまく下に差し込めば……あ、もう少し深く』


「……あー」


『……大丈夫、ちょっと焦げただけだから』 


 もたついてしまった影響で若干表面が黒くなってしまった。語が残念そうな顔をするが、もう一度ひっくり返して裏面の様子を見なければならない。今度こそ、と語はフライ返しを構えた。


「……」


『そろそろいけると思うよ。ひっくり返して見てみよう』


「…………出来た」


『おおぉー……ナイス!』


 満面の笑みで新田が語にサムズアップすると、釣られて語は軽く笑った。ごくごく自然な、年相応の微笑だった。あまりにもレアなその笑みを噛み締めながら、全く気にしていないという体を繕いながら、新田は最後の調理に取りかかる。


『……さ、さて、次はビスケットだよ。これはちょっと作るのに難が結構あったけど、多分行ける……と思う。オーブンはグリルで多少代用が効くはずだから、その方向で行こう』


「分かった」


『じゃ、まずは卵をボウルに入れてほぐそう。次に砂糖を入れて混ぜ合わせたら、サラダ油とフライパンの余熱で溶かしておいたマーガリンを混ぜるよ』


「……ちょっと面倒」


『まあまあ、順番通りやっていこうか』


 真剣な表情で語は材料を混ぜ合わせていく。最初は怪我をしないか心配をしていたが、この様子ならば大丈夫だろう、と新田は思った。幾つかの失敗を通して、語の意識はしっかりと失敗を避けている。


『次は薄力粉を六十グラム入れて……そうそう』


「……一気に粉っぽくなった」


『それをさっき買ったゴムべらでよく混ぜよう。多分パン生地みたいになるはず』


「……」


 ニコニコと機嫌のよさそうな新田と真剣な表情の語との対比はまるで兄と妹のようだったが、二人に共通している点は自殺の一点のみである。そんな物騒なもので交わった二人は、最後のお菓子を順調に作っていき、後は型を取って焼くだけになった。

 語が買おうとした型は基本的に丸や四角の、ある意味語らしい物だったが、現在目の前にあるのは星形やハート型のものだ。


「……」


『やっぱりお菓子は可愛くなきゃね。本当は色もカラフルにしたかったんだけど、手間がかかるし残念だよ』


「……あまり可愛いのは好きじゃない」


『そうなの?』


 熱い新田の押しによって購入されたこれらの型だが、語は不満なようだった。語からすればビスケットの形なんて別に味に関係しないし、どうでもいいと思っていたのだ。それを知らない新田は不思議そうにこう言った。


『可愛いの、似合うと思うんだけどなぁ』


 語は客観的に見て、可愛いと形容される容姿をしている。低い背格好と肩甲骨まで伸びた黒髪、端正な顔立ちに眠そうな目が似合っている。ただ、髪の毛が跳ねているのと瞳が死んでおり、隈がかかっているのがその可愛さを拒んでいるのだ。

 新田の言葉を聞いた語は一瞬無表情になり、呟くようにこう言った。


「……私には、似合わない」


 断言するような、突き刺すような一言に、新田は思わず少し怯んでしまった。なんだか触っていけない場所に触ってしまったような……竜の逆鱗に爪先を掛けたような感覚だった。

 取り敢えず、ごめん、と謝罪を口にした新田に、語は少し無言になってから同じく、ごめん、と返した。


『えーっと……まあ、型を取ろうか』


「……うん」


 ほんの少し重くなった空気の中、語は生地の型をとり、鉄のトレイにそれらを乗せてグリルの中へ送った。新田の指示通りつまみを回して生地を焼き始めると、久しぶりの沈黙が顔を出した。数分間、こんな沈黙が続けば気まずいどころの話ではないだろう。


 それを当然理解していた新田は、何か話題はないかと考えていたが、何か適切な話題が出る前に、語の方から声が上がった。いつか聞いたような少し掠れた声で、自嘲気味な色を含んだ声だ。


「……可愛くないのが似合ってれば……良かったのに」


『……』


 この言葉に反応できる脳を、新田は持っていなかった。どれだけ語彙や知識を溜め込んでいても、こんな一言に返す言葉が見当たらないのだ。新田は自分を情けないと思った。そう思うと同時に、それでもやらなければならないと思った。この少女を取り巻く闇を除かなくてはならない。だが、一瞬だけその心に迷いが生じた。


 ――僕に、できるだろうか。


 弱々しい迷いが新田の透明な体を巡って、そして消えた。できる、できないではなく、やらなくてはいけないのだ。語は自分のようになってはならない。この地獄に彼女を送り込んではならない。確かな意思を微笑みに変えて、新田は口を開いた。


『……布か何か手に巻いてミトン代わりにしておかないと、取り出せないよ』


「……分かった」


 笑う新田の瞳に、もう迷いはなかった。



「……凄い」


『うん、壮観ってやつだね』


 二人が囲む足の短いテーブルの上には、手作りのお菓子たちが並んでいる。揺れるプリン、はちみつを垂らしたパンケーキ、可愛らしいビスケット。それをどれだけ見つめても、味のひとつも感じられないことくらい新田には分かっていたが、それでも見つめざるを得なかった。

 先程の重い空気を霧散させて、明るい空気が食卓に満ちる。


 作るのに大分時間が掛かってしまったが、無事にお菓子たちは完成したのだ。それをより一層噛み締めているらしい語は、期待のこもった瞳で新田を見た。


『ん?……あぁ、勿論食べてもいいよ。僕に許可なんてとらなくても、君が作ったんだし、好きに食べなきゃ』


「……それじゃあ……いただきます」


 語の手がスプーンに伸びた。作った物の順番通りに食べるつもりのようだ。緊張した面持ちで語はプリンの一角を削り取り、口元に運んだ。意を決し、それを口内に放り込むと、ぱっと顔を明るくした。口に出なくても、美味しいということがわかる。


『ずばり、どう?』


「……すごく美味しい」


『料理人の腕が良いんだね』


「……私は言われた通りにしただけ」


 それが意外に難しいんだよ、と新田は笑った。言われたことを言われた通りにやるのは、実際考えるより難しい。それを実際にこなしてみせた語は、案外料理の才能があるのかもしれないな、と新田は思った。とはいえ語からすれば、新田が居なければお菓子作りのおの字もこなせないと思っている。


 絵を模写するように、手順を模写した相手が良かったと思っているのだ。そう言われると新田はどうにもこそばゆくて、困ってしまう。語は味わいながらプリンを完食すると、次にホットケーキへフォークを伸ばした。金色の蜂蜜ごと柔らかいそれを切り分けると、大きく一口に頬張った。


 途端にその顔は大きく弛み、甘いものが好きというのが如実に見てとれる微笑みに変わった。


『うーん、美味しそうに食べるねぇ……』


「……あげられればいいんだけど」


『まあ、しょうがないよ』


 自殺したんだし、と先に続く言葉を新田は飲み込んだ。重々しい言葉はこの場に相応しくない。甘い笑顔でホットケーキを頬張る語に、微妙な表情をさせたくないのだ。


 パクパクと語はホットケーキを口に運び、満足そうな顔で完食した。続いてビスケットを、といきたかったが、語の小さな胃袋では少々完食は難しそうだった。というのも、出来上がったビスケットは思ったより数があり、二十枚近くあったのだ。


『あー……食べきれなかったら、あとで食べても良いんだよ?ビスケットは前の二つと違ってかなり日持ちするし』


「……」


 正直、あまり残したくはない。が、無理やり食べるのも難しい。語は少し考えて、新田の言葉に頷いた。甘いビスケットを何枚か口に運ぶと、残った物は透明な袋に詰めて、その口を縛った。


「……甘くて美味しい」


『なら良かった。思ったより沢山作れちゃったのは誤算だけど、君ならちゃんと全部食べてくれそうだよ』


 語は勿論、という意思を伝えるために深く頷いた。お菓子作りが終わり、それを食べ終わったとなると、そろそろ次の予定が近いだろうか、と新田は思った。


『次は一応どこかの劇団が近くで劇をするらしいから、それを見に行くつもりだよ』


 予め予定を伝えておこう、という新田の考えだったが、それを伝えられた語はなんだか微妙な表情だ。まさか、劇になにか嫌な思い出があるのだろうか、と新田は危惧していたが、語の口から溢れた言葉でほっと安堵の息を吐いた。


「……疲れた」


『あー……』


 目の前の語は、とてもではないが体力がある方とは思えない。むしろ平均より体力が無さそうだというのは、日常の食生活で大体想像がつく。特に今日は初めて尽くしだったので、余計体力を使ったのだろう。劇は今週一杯やっているらしいので、急いで見に行く必要もないだろう、と新田は思った。


 が、そうなれば問題になるのは残りの時間である。ゲーム機のひとつでもあれば……いや、何ならば本のひとつでもあればこんなに苦心することは無かったのだろうが、無い物ねだりをしてもしょうがない。


 それは語も同じようで、自分以外の人間との時間の過ごし方が分からない彼女は、どうすればいいかを考えていた。両者お互いに暫くの無言が続いたが、それを新田が先に破る。昨晩のことを思い出したのだ。


『……そうだ』


「ん」


『君、今日こそはお風呂に入った方がいいよ。衛生的にね』


「……」


『大丈夫だって。絶対覗かないから』


 語は暫く無言で何かを考えて、静かに頷いた。続いてテーブルから立ち上がり、風呂の準備をする。それを視界に入れないように、新田は一旦家の外に飛び出した。ふわりと質量のない体が、住宅街の空を舞う。


『……』


 新田が見上げた空は少しだけ傾いた太陽に、幾つかの雲が浮かんでいる。宙に浮かびながら青い空を見上げると、そこに吸い込まれてしまいそうな予感すら感じる。


 ずっと昔……ずっとずっと昔に見上げた空が、鮮明に戻ってくるようだった。


 そんな空の傍らに、静かな月が浮かんでいる。このまま飛んでいけば、もしかしたら月まで飛べたりするのかな、と新田は子供のようなことを想像した。

 ほんの少し、新田は自分の高度を上げて、目を瞑った。


 あの日――自分が自分を殺した日。その時の怒りと、諦観と、ありったけの絶望が蘇ってくる。


 自分を指差して怒鳴る両親。ずぶ濡れのまま落書きまみれの机を見下ろす自分。笑い声が聞こえてくる。くしゃり、と不合格通知を握りしめて、高い場所から世界が――


『……どのくらい待ってればいいかなぁ』


 それらを全部噛み千切って、新田は言った。その言葉には二つの意味があって、けれどもその片方にだけ目を向けた彼は、いつもの笑顔で空を飛んだ。その笑みを見つけてくれる人間は、誰一人居なかった。

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