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摩天楼とビスケット  作者: 平谷望
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四十九日と


 次の日の明け方、語の瞳がぱったりと開かれた。世間一般的な、寝ぼけ眼ではなく、白昼のような瞳だ。その目覚め方はまるで、悪夢から目覚めたようだが、それが語の普通だった。ずっと前から、朝はぱったりと起きる。理由はなんとなく察しているが、語自身はどうでもいいと思っていた。


 殆ど太陽が顔を出すのと同じ頃に目を開けた語は、ゆっくりと薄い布団から体を起こし……硬直した。視線の先に新田が居たのだ。分かってはいても、朝一番に幽霊を見るとびっくりする。

 語の視線の先で、新田は何やら座り込んでいた。その背中はやはり暗所で仄かに光っており、輪郭は前屈みになっている。


 何をしているのだろう、と語が疑問を持ったのと同時に、新田が語の視線に気がついた。


『ん?あ、おはよう』


「……おはよう」


 新田の挨拶を適当に返して、語は新田の手元を見た。光を放つ手元は、複雑に屈折し、されど絡み合う事なく離れている。


「……」


『えーっと……あぁ、これ?あや取りのつもりだよ』


 昨日見た映画のワンシーンにあってね、と新田は笑った。当たり前のように言われているが、語には全く検討がついていない。そのことを彼女の顔から汲み取った新田は、昨晩の自分の行動について説明した。


『夜は本当に暇だからね。閉館ギリギリまで映画館に入り浸って、映画見てたんだ。映画館なら僕が幽霊だろうがなんだろうが、変わらない空気を楽しめるし』


 悲鳴がシンクロしたりすると気持ちいい、と新田は笑った。新田は幽霊の便利さを口にしているが、その内心にどこか寂しさが混じっているのを、語は感じた。

 それを知らぬまま、新田は意気揚々と口を開く。


『ってことで、今日は映画館に行こう!大丈夫、観たい映画の上映時間と混み具合は調べておいたよ』


「……わかった」


 やけに素直に頷いてくれたな、と新田は思ったが、素直な分には裏があっても別にいい。予定が決まれば次は朝食だ。新田はスーパーでの会話で、語が朝の食事をあまり受け付けないという話を聞いていたので、朝御飯は果物と牛乳だ。

 その果物とはズバリ、リンゴである。一個のリンゴは医者を一日遠ざけると言われるほど健康に良い果物だと、新田はよく知っていた。


 朝食内容が分かっている語は嫌そうな顔をしながら歯磨きを済ませ、片手に包丁、目の前にリンゴ……そして背後に幽霊をスタンバイさせた。

 昨日のカレーはかなり手間取っていたので、今回のリンゴも少し手こずるかと新田は予想していたが、それは良い意味で裏切られた。


『ここをこう切って……そうそう』


「……」


 元々器用な方なのか、昨日で包丁の扱いをおおよそ理解したらしい語はさくさくとリンゴを切り分け、あっという間に朝食が完成した。おぉー、と声を上げて新田が語を褒めると、語は心なしか堂々とした顔をした。


 自分で切ったリンゴを齧る語を見て一つ頷いた新田は時間を確認しようとした。が、この部屋には時計がない。若干語が視線を下に向けるが……問題ないよ、と新田は言った。


『あんまり倫理的な問題でやりたくないけど……』


 新田の体がふわりと浮いて、頭が部屋の天井を貫通する。そこで数秒停止したあと、ゆっくりと体が地面に降りていった。


『六時半だったよ』


「……幽霊っぽい」


『いや、幽霊だよ』


 上の階の住民には悪いが、時計を借りさせてもらった。その様子を見た語は、幽霊らしい行動をまじまじと見て内心驚いていた。新田があまりにも陽気に振る舞っているので、実は幽霊でもなんでもなく普通の男なんじゃないか、と小さく考えていたのだ。

 それが随分と意外だったらしい新田も驚きに少し笑っていた。


『ま、それはさておいて。映画の上映は9時だから、食べたら準備しよう』


「分かった」


 語の返事を確認して、新田はもう一度今日の予定を思い返した。時間とルート、楽しさと掛かる費用。それとこれまでの語の様子を鑑みて、出来る限り最良の道を考えたつもりだ。目指すは、語の死を避けること。もっと長生きしたいと思わせることである。そのためには、この世界の素晴らしさについて教えなくてはいけない。他人と会話が通じて、食べたいものが食べれて、触れたいものに触れられるという……素晴らしさを。


 語に見えないように、新田は後ろ手に握った右手を、更に強く握りしめた。



『そこを右だよ』


「……着いた」


 語の食事から三十分程で、二人は映画館にたどり着いた。大きすぎず、かといって狭くない。新田行きつけの映画館である。とはいえ、今日も平日なので人の入りは少ない。物珍しそうに映画館を見上げる語に、新田は興味本位で聞いた。


『映画館は初めて?』


「……まあ」


『んふふ、じゃあびっくりすると思うよ』


 見上げるほどの大スクリーンに鮮明な映像が途切れなく続き、思わず体が縮み上がるような大音量が流れる。新田はホラー映画を見ていると、劇場の全員と何かを共有しているような心地よささえ感じる。それに、映画館で食べるポップコーンは最高に違いない。新田はもうそれを食することが叶わないが、目を見開いてポップコーンを口元に輸送する客を見ると、やはりとても美味しそうだ。


 語は少しの間映画館の全容を見上げ、そして勇気を持って館内に踏み込んだ。知らない場所へ出かけるということもあって、その格好は昨日に比べれば大分マシになっている。跳ねた髪は毛先を整えてあるし、履いているのはサンダルではなく普通の運動靴である。

 髪を整え、顔の汚れを落とせば、語は一般的に端正と言われる顔をしていた。ともすれば可憐という単語を連想させそうな彼女だが、しかし、その身なりには幾つかの手抜きがあった。


 髪は本気できちんと整えてはいないし、ズボンの後ろポケットにはよくわからない小さなシミがついている。


 彼女は本気で正装をしている訳ではないのだ。どうして彼女が自分を飾らないのか、新田には分からなかったが今触れる話題ではないだろう。気持ちを入れ換えて、おどおどした様子の語をカウンターに導いた。


「……君と僕との四十九日……?」  


『最近スッゴい話題になっててさ……なんでもタイトルの意味を理解したとき、あなたは涙するって言われてるんだ。いやぁ、楽しみだね』


「……タイトルが決め手?」


『まあ、確かに四十九日っていう共通点も結構あったけど……』


 語の手元にあるのは、一枚の入場券。話題性と共通点で選んだ一作だったが、語はあまり期待していないようだ。そんな彼女の気分をあげるために、新田がポップコーンやジュースを語に買わせると、どうやら初めて食べるようで期待に目を見開いている。


『そんなに珍しいかな……』


「……見たことはある。食べるのは初めてだから」


 期待に胸を膨らませながら、待つこと三十分。二人は遂に劇場に入ることが出来た。入ってみるとやはり人が少なく、とはいえ平日にしては多いだけの人がいる。公開されてから幾らか経っている作品なので、この光景は何かと安心を新田にくれる。

 珍しくびくついた様子の語は、大きなスクリーンを見て愕然としていた。続いて席の多さを見て何度も瞬きをしている。


「……凄い」


『だよね』


 足元に気を付けてねー、と声をかけながら、新田は語を席に案内した。ふわふわな椅子にどぎまぎしている語に、隣に座っていい?と新田が聞くと、別に、といつもの返事が帰ってきた。


『いやぁ、誰かと観るのは初めてだよ』


「……映画館が初めて」


 はは、と新田は笑った。二人の目の前で幾つかの広告や宣伝、予告編が流れると、遂に電灯が消え、本編が始まりだした。


 いつか自分が死ぬことを、毎日噛み締めている人間など居ない。だから人は、いつだって命を忘れるのだ。


 そんな言葉から始まった映画は、タイトル通り主人公とヒロインの儚い恋愛を扱った物だった。難病に侵され、余命は二ヶ月と宣告されたヒロインと、医者を目指す主人公。同じクラスである二人の道筋は病を軸に交差し、捻れていく。


 死にたくない、と少女は言い、もう少しだけ時間があればと少年は嘆いた。いつしかお互いに恋をしていた二人は、されど結ばれる事なく消えていく。その四十九日後、主人公は高校を卒業し、医学部へと進学した。


 君と過ごした四十九日と、君を失ってからの四十九日。その対比は実に鮮明で、監督の技量を新田に感じさせた。


 映画は最後に白衣を着た主人公の後ろ姿を映し、こんな言葉で締めくくられた。


 忘れたものを思い出したとき、僕達は一体どうすれば良いのだろう。どうやって、生きれば良いのだろう。それを知っているのは……きっと、もうこの世に居ない者達だけだ。


 新田は一瞬、語の視線を感じたが、それに反応することはない。新田の眼前に、エンドロールが流れていく。花が咲くように名前が生まれては、枯れて散るように消えていく。最後に新田が見た語の手元には、殆ど一杯のポップコーンがあった。



『いやぁ……なんとも気まずいね。君はどうか分からないけど、なんだか叱られてる気分だったよ』


「……私も」


 映画館の外、ポップコーンを抱える語をリードしながら新田が言った。一日でも時間が欲しかったであろうあの二人を遠くから観ているのは、既にそれを投げ捨てた人間と投げ捨てかけた人間だ。命の話題に触れられる度に、二人とも居心地が悪かった。


 映画自体がしっかりとしており、真面目な作風であったために余計気まずさがあった。こちとら余命マイナス8日だぞ、言いたくなったのだ。同時に語も、なんなら余命ゼロなんだけど、と微妙な考えが浮かんだのだ。

 おずおずとポップコーンを口に運んだ語は、そういえば、と口を開いた。


「……映画の最後のやつ」


『……あぁ、この世の人間以外がって下り?』


「うん」


『あれねー……正直、自分から死んだ僕が言えることじゃないんだろうけど……』


 語は気になっていた。映画に感化されたとかではなく、純粋に疑問に思っていたのだ。本来ならば絶対に分からない回答、それを知ることが彼女にはできる。死んでから気づける、生きるということへの回答。

 新田は少し悩んだ様子を見せてから、ぽろぽろと台詞をこぼした。


『別にさ……いつ死ぬかとか知ってても変わらないんだよ。心の慣性っていうのかな。急にそんなこと知ったってどうしようもないんだ』


「……」


『だから、明日も今日と同じように生きる……んだと思う。ごはん食べて遊んで寝る……それが死ぬまで続くのかな。だって、今の僕からしたらそれが夢みたいなもんだし』


 やっぱり普通に生きてるのが一番なんだよなぁ、と新田は答えた。その答えに語は眉をひそめたが、文句を言える立場ではない。新田はそんな語のようすにクスリと笑って、話の方向を変えた。


『人間って馬鹿だって思わない?』


「……まあ」


『夏の暑さが辛いと冬がいいって言うくせに、冬が辛いと夏が良いとか言うんだ。生きてるのが辛くて死にたいとか言って、実際死んだら生きたくてしょうがないんだよ』


 馬鹿だよね、と新田は笑った。その笑みには達観したものが混じっており、思わず語は踏み込むことを躊躇った。そうだともそうじゃないとも言えず、ただその顔を見つめてしまった。

 自分も、そうなんだろうか。こんなにも死にたいと思っているのに、死んだら生きたいなんて思うんだろうか。語は少し考えたが、それを想像できなかった。想像の中でさえ自分は虚ろな目をしている。それがこんなにも明るくなるとは欠片ほども思えないのだ。


 そんなことを語が思っていると、新田がおもむろに声をあげた。


『お』


「ん?」


『あれが本日二個目の目的地だよ』


「……どれ?」


『え?だから、あれ』


「無理」


 新田が清々しい笑顔で指差したのは、可愛らしいカフェのような場所。店先に出た椅子には女子高生や女性がスイーツをスマホで撮って頬張っている。見るからに女子受けのよさそうな店だ。

 昨晩夜中に新田が町中を歩き回って見つけた珠玉の一店である。甘いものが好きらしい語のために、ありとあらゆるスイーツ店を梯子し、その場の会話に聞き耳を立てて情報収集を重ね、漸く見つけたのだ。


 だが、語は断固として店に入ろうとしない。入れないし、入れないのだ。あんなに雰囲気が明るいところに自分が行けるわけがない。どう考えてもミスマッチだ。さながら日陰から出た夜行性の動物のように、語の両足は前への前進を拒否した。


 その様子に石のように硬い気持ちを感じた新田は、無理に行かせず、諦めることにした。楽しい思い出を作ってもらうことが目的なのに、緊張させては意味がない。

 とはいえ、そうなると時間が余る。空いた時間はどう使おうか、と新田は考え……そうだ、と一つの考えに至った。


『じゃあ、作ろう』


「え」


『食べれないなら、作ろうか。またまたお手並み拝見だね』


 新田が見た語は、これまでで一番虚を突かれた顔をしていた。


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