先生は僕の事嫌いですか
放課後、職員会議が行われていた。
そこでは大翔の件について色々話し合いがあった。
正直、厳粛な雰囲気だった。
「今日は厳粛に行く」と誰かが言った訳ではなく、暗黙の了解だった。
今日使用するため各教員に配られた、大翔専用ではなく障碍者に対する教育のマニュアルには様々な項目が箇条書きにされている。
「・彼の言う事は否定をせず取りあえず肯定し、違うと感じても全否定しない、・深呼吸をする事を勧める。・口を開いたままなど身だしなみにだらしない所があってもすぐとがめない。・パートナーを組む際にあぶれた場合教師がパートナーになる」
初めて見るマニュアルを見て時任は怒りを隠せなかった。
(明らかに異質と感じているからこその対処ってなんでだ……なんでだ、何で彼の事をこんな風に見るんだ)
その様子に敏感に気づいた真中は言った。
「どうしたの? 何か言いたそうね」
「え!?」
不意に言われしかも相手が真中なため、かなり戸惑う時任に続けざまベテラン教師青田も言った。
「遠慮はいらない、言ってみたまえ」
若僧に何がわかる、とでも言いたげだった。
それでもあえて発言を促すいやらしさがある。
さらし者か笑い者にしようと思ってるのか。
時任はそういった狙いのある雰囲気で少し悔しさもあるが悩んだ末立ち上がり言った。
手が震えている。
緊張と怒りで。
それは若僧扱いの件でなく大翔に対する扱いについてである。その比重が大きい。
生意気で、あまり新参がでしゃばるのはまずいとは知っていた。
そこまでわきまえ知らずではない、だが言った。
「僕は真崎君を、他の生徒と同じように接し、クラスになじませてやりたいんです。これじゃなんか絶滅寸前の保護動物みたいじゃないですか」
しかし他の教師は「また会議が長引きそうな異端な意見だ」と言うような嫌な顔をした。
青田は特に嫌な顔をすると顔の彫りとしわが深くなり唇が揺れる。注意サインだ。
「保護動物なんて言葉を容赦なく使う事に君の偏見が表れてるんじゃないのかね」
さすがにまずい事を言ったと思った。
でも引けなかった。
昔からそんな生き方をしてきたような気がした。
できるだけ姿勢を正してやや下を向いて言った。
礼儀のわきまえと主張をギリギリバランスを取ろうとした。
「す、すみません、そうかもしれません。でも僕はたとえ心の中に偏見と言う邪心があったとしても生徒を区別したくないんです。皆に同じに接したいんです!」
ちょっとわめいた釈明のような熱意もこもった弁に他の教師は苦言を呈した。
どちらかと言うと35歳以上の教師が嫌そうな顔をしている。
きつくいえば「変な新人が入ってきた」とでも言いたげだった。
「それはマニュアル通りにやるのがいやだと言う事か」
「マニュアル通りにやらないとどこの世界でも異分子扱いになるぞ」
まさに出る杭は叩かれるである。
それ以外に他の教師は時任がまだ実習生だと忘れているわきまえのない人間でないかと疑問に感じた。
真中は立ち上がり答えた。
すっくとクールに立った。立ち姿が凛としている。
美しい顔、白い素肌にかけられたメガネを直した。
これが真中の「自分は動揺していない」と言うサインなのだ。
「偉人であれ一般人であれ、みな理想主義者はそういうものよ。でも人間社会は完全に平等に出来てないわ。それはシステムを作る人間が完全な存在でないからよ。そしてシステムに統括される側の人間も完全でないからよ。ほら、見なさい」
真中がカーテンを開けると大翔はドッジボールに加わらずにいた。
巣鴨が言った。
「見ろ、1人で縄跳びをしている」
また別の教師が言った。
「1人でやっているのは変わった事をして人目を引きたいからじゃないか?」
考えすぎに近い皮肉っぽい言い方だった。
これは時任は反感を覚えた。そして思った。
いや、僕にはそう見えない。何か考えがあるんだろう。そっとしておこう、と。
しかし大翔は縄跳びをしてはいても楽しそうな表情ではなかった。
顔はこわばり生気がなく心なしか痩せたように見える。
汗が「気持ちのいい汗」ではなく緊張した冷や汗に見えた。
仲間外れにされているのを認めたくない強がりの様だった。
それでいて寂しさもある。
巣鴨は言った。
「私も前は理想に燃えていたが彼を受け持ってからはどうしても集団全体のバランスを優先するようになったな……色々問題があってねえ……今でこそなりを潜めたが昔はもっと大きな声で叫んで走り回ったり、掃除用具で遊んだり、他の人の給食を欲しがったりしていた。ある時絵の上手い三夫君と比較して『下手だよねー』と言った事があった。その度彼を抑えるのが大変だった。きつく怒る事も出来ず。しかし私としてはなんとか生徒全員のバランスを考え彼の個性を抜き取る事を優先した。集団は個より大事だと言う考えの元に。長いものに巻かれろと言う奴か」
時任は答える。
「長いものに巻かれろ、ですか……確かに僕は子供の頃、学生時代も割といい人に囲まれて育ちあまり複雑で裏表のある人間関係を経験してないかもしれません、それで今のように平等平等をうたうようになってしまった」
巣鴨はコーヒーを手に、またポケットにもう片方の手を入れ窓の外を見ながら言った。
「さっき真中先生が言ったように、システムもそうだがそれを作る人間にはどこか欠陥がある。強者と弱者、普通と異端の置かれた場合の気持ちなども考慮されつくしていない所がある。集団には面倒くさい暗黙のルールがありそれを少しずつ理解して受け入れなけばならない。例えば『この人が話している時は皆黙って聞く』とか」
巣鴨の言い方に時任は逆らいようがない世の中の力や少しだけ巣鴨の長いものに巻かれろな考えに失望しため息をついた。巣鴨は
「君もコーヒーをどうだ」
「いえ私は」
遠慮気味に断った。
「いや、気分が落ち着くぞ」
そしてその日の体育の徒競走の時間、大翔はびりになった。
確かに走ってはいたがいつもの様に勢いがない。
どんどん他の生徒に追い抜かれた。
さすがに時任はいてもたってもいられなくなり話しかけた。
「どうしたんだ? 体調が悪いのか?」
「ううん、何でもない」
大翔はつらさを見せないようにしていた。
顔はうつむき気味だった。
しかし時任は今一つ鈍感だった。
「前はもっと早く走ったじゃないか?」
大翔はきょとんとしながらも複雑な不思議な物を見るような表情をした。
これは時任と話すようになってから初めて見せた表情だ。
そしてこう言った。
「先生は何で僕の事気にするの?」
「いや、元気がないからだ」
時任にはこの質問は意外だった。
「教師は生徒を心配する」事が当然だと頭にあるからだ。
何度も前を向いたりうつむいたりを交互に繰り返し目だけちらちら時任を見たり見なかったりを繰り返しながらやがてじわじわとのぞくように大翔は言った。
この目のじわじわ感が時任に本音を探られているような圧迫感を与えた。
「僕が変わってるから?」
この質問も咄嗟だった。
「そ、そんな事ない! 真崎は変わってなんかいないよ!」
いや、確かに自分にも大翔をそう見ている部分があると気づかされた。
自己嫌悪も咄嗟だった。
何か心を覗かれているようだった。
上目遣いの大翔に対し時任は必死に取り繕いなだめた。
「本当に?」
「本当だって!」
釈明に近かった。
ここでうんなどと答えれば大翔はさらに傷つく。
やがて大翔は時任を信頼したのか、短く胸の内を打ち明けた。
「本当はすごくつらい、授業中手を挙げるのやめたんだ」
「えっ!」
さすがに沈黙が流れた。
「今はひどい事を言った樋口君に申し訳なくて……」
昼休みのドッジボールの際クラスメートが宮田を気にして話しかけた
「宮田、元気ないぞ」
「うん大翔の事」
大きな体でネガティブな表情をした。
肩が下がっている。
いつもはガキ大将的に弱さを見せない彼がだ。
三夫も駆け寄り言った。
「あの事気にしてるんだ」
宮田はポーカーフェイスな顔をした。
宮田は元々わりと朴訥な表情と話し方をするタイプだ。
それでもはっきり違いが分かるようだった。
いや顔よりも言葉に力がなかった。
「俺もちょっと昨日の出来事であいつと付き合うのつらくなった。ほら俺は常にフォローする側だからさ」
「おーい!」
時任が笑顔で走り込んで来た。事情は把握していないようだ。
「先生も入れてくれないか?それと真崎君も……」
「えっ……」
皆は一斉に嫌な顔をした。さすがに時任も雰囲気に気づいた。
時任はちらりと大翔の方を見た。
まずいぞ…………このままじゃ、と思った。
生徒たちはどんより雲のように押し殺した顔をしていた。いやな匂いのガスを出しているようだった。
その夜は雪が降ると言う予報だった。
本来早く帰るべき日ではある。
しかしその日、帰り道に時任はいてもたってもいられなくなり大翔の家へ向かっていた。
どうしても気になる……やはり家庭訪問すべきか、と思った。
暗い夜道、歩道橋の向こうにある赤信号が光って見える。
と思った瞬間、その歩道橋を通った向かいの通りにジョギングをしている人物がいた。
時任は目が曇っているのかと思いこすった。しかしはっきり見えた。
それは大翔だった。
「真崎か?」
「えっ!」
大翔も気づいたようだった。
「こんな夜に?」
真中って24歳なのにえらそうですよね。27~30歳位の設定の方がよかったかなとも思います。社会人としてどうなの?と言う感じで。あんなに場を仕切る24歳いないかも。
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