プロローグ
魔王が憑依した人間は魔王の力を得る……
数百年前より、元は地続きだった人間界とは異なる空間世界に分離された、魔法使いが統治する、ミランドと言う大陸がある。
そこでは魔法が当たり前の様に使われている。
魔法を教える「魔法学校」もある。
しかし、学校には同時にそれ以外の人間の基本能力も多く伸ばす方針がある。
何故なら日常生活も教育も魔法ばかり使ったり発展させない国の方針があるからだ。
その理由は科学と同様に魔法により人間が衰退してしまう事が無い様に懸念されているためだ。
例えば、国にはインフラ等において、必ずしも全てを魔法で管理しているわけではなく普通の人間の文化も多くある。
工業、建築、土木、科学、農業、狩猟、商業等さまざまな技術で文化は成り立っている。
そして各分野を発展させ文明を築いた。
教育と仕事については、ミランドでは子供でも魔法を使える。
そのため早い段階で未成年の魔法力を社会に活かす為、国民は中学生になると魔法学校に行きながら同時に人間界の調査員等を大人同様にやらせる二足のわらじの教育制度があり、早い段階で仕事をする中学生も多い。
政治の歴史について言うと、昔は地方の有力者である豪族(特に中央豪族)、豪族連合や天皇の外戚が政権を握る構図だった。豪族は貴族と違い地方農民が力を持った者である。
天皇や豪族は私的に人民や土地を支配していた。豪族は公地公民を不徹底させた。地方官は豪族ではないが支配力が弱まると地方官が豪族になる事もある。
5世王であるケイタイ(オホド)天皇になってからは豪族が団結して王を支えた。それを支えたのが大友氏であり、アマテイラスの祭祀を始めた。コウクレイやジラギに攻められているグダラからの救援要請を再三受けたが岩居の乱が起きる。
カミゲノ氏はヤマト朝廷と交流を持つ有力豪族でハチマン山古墳は彼の墓と言われている。
仏教を取り入れようとしたキンメイ天皇はケイタイ天皇時代からの大友金森を大連としたがモノノへ・オコシが大臣となった。そしてソガ氏を朝廷財政担当として重用した。その後アンカン天皇は元は農園的だった「屯倉」と言う豪族監督施設を造った。
それは「部民」と呼ばれる労働者を豪族が王家にさしだしていた立場を強いものにするためだった。それは王家のみが進めた訳でなくソガ氏が協力しており王家に依存していた。
後のカマクラ幕府も有力豪族の支持で出来た部分がある。やがて地方豪族が中央豪族のように力を持った。やがて豪族は武士団になって行った。
空間分断される前の日本の歴史に似ている。
「牛宿王子」が現れ排仏を唱えソガ氏と対立する豪族モノノヘ氏と戦ったり「階位十一階」を決めたり「十六条憲法」を制定し、外国に使者「オノ・サトコ」を遣わした。
ソガ・イナメの孫であるヨウメイ天皇(シユイコ天皇は異母妹)の息子である。ソガ・オモコはビダツ天皇時に大臣となっていた。
崇仏派のヨウメイ天皇に対しモノノヘ・オコシは王朝の皇子キンメイ天皇の際に疫病が流行った時に仏教のせいだと主張した。
その結果宗教と文化が伝来した。「四宝興隆の詔」として仏教をもてなした。
初の女帝シユイコ天皇の摂政、皇太子となる。他国に征討をした事もある。
方額寺らを建立した。それはヨウメイ天皇の病気を治すためとも言われる。
ソガ・エミシはソガ氏と関係のないタムラ皇子を助命天皇として即位させた。
ソガ・イルカは牛戸王子の子山背中王を暗殺し紅玉天皇(暗殺の黒幕と言われた)の際に大きな力を得た。横暴で反感を買った。エミシは父親である。
しかしこれはどこかおかしく、ソガから見て山背中王が皇位継承候補であったか定かでなく殺す理由もなくなってくる。山背中王は牛戸王子の子ではなく、そもそも存在しないソガを悪にするため記述された人物とも言われる。
山背中王は馬の骨を寝床に投げた。
屯倉や律令制度に関してもソガ=悪ではなく実績がありミランド書記から消されている。
この天皇中心の考え方は「ナカナ大江皇子」ミランド書記に突如現れる神道と関わりのある「中富鎌多利」らに受け継がれる。中富はグダラ王ホウショウではと言われる。
ナカナとサエキコマロは皇族の民を使役したり目に余る豪族ソガ氏の勢いをイルカを暗殺する事で大幅に下げた。その後コウトク天皇が誕生する。しかしナカナの宮は度々不審火に包まれた。それはグダラ救済が無謀と思われたためである。またコウトク天皇はグダラに加担しジラギを討とうと言う声に耳を傾けなかった。それがナカナや中富の考えと相反し見放された。
ヤマト朝廷は雷の神を恐れた。
天武道天皇は大野友皇子を倒した後即位し皇新政治を進め七色の姓を制定し、アスカ原宮に都を移した。それは皇族が天武道を支持し中央豪族が衰えたからと言われる。しかしそれは律令導入の為の裁定者が必要だったためと言われる。
垣本人麻呂は天武道天皇を神と称えた。天武道天皇は朝廷の武装を唱えた。
この路線は皇后のジトウ天皇に引き継がれる。ジトウ天皇は大都皇子を謀反殺害した。皇新政治を少し修正し、豪族の協力でフジハラ京に遷都する。ジラギと交流があり朝貢関係であり、トウとは持たない。
ジトウ天皇は「満葉集」で歌を挙げられ、ミランド書記でアマテイラスとニニギミコトの話で表現されている。フジワラフヒトはジトウの即位を正当化させようと暗躍した。貴一皇子に関しては記述がない。
その後改革により天皇を中心に据える中央集権型国家に変わり国が貴族を管理した。後継者の天皇と別の天皇を即位させる等政治上色々あった。太政官を政治を行うため配置した。
土地や被支配級民は天皇に帰属する、いわゆる公地公民制である。
豪族との共有でもあったが。しかしやがて公地公民は崩壊する。
貴族は多くの給与を国から得ていた。
天皇には貴族への官職撤廃権や軍団指揮権があった。
しかし貴族は租税を免除される事もあった。
朝廷に仕える貴族の一日は、午前3時に行われる開諸門鼓と言う合図で始まる。
仕事は政務等で5時間程度で、帰宅し詩歌や弓、蹴鞠など娯楽に興じる。女性は外に出ない。大きな屋敷に住んでいたが、庶民は反面竪穴式住居に住んでいた。
豪族、武士、貴族が権力を巡り激しく対立抗争し、陰謀を企て、内紛や家督争い、クーデターを起こす頃もあった。
テンシン神の系統と言われるフジワラ氏は天皇在籍時には日の目を見なかったフヒト、タネツグ、ミチナガ等貴族でかなり力が強く氏神として春日井神社を祭り、小官人から立身したフヒトは草壁王子に仕え光明寺皇后は娘であった。
またジトウ天皇が叙位した文武道天皇にミヤコが嫁ぎ、フヒトは大宝律令を制定した。以後フジワラ氏は律令を都合の良い様に解釈し天皇を支配した。そして多くの皇族を殺害した。合議制から独裁制となった。天武道天皇系のナガヤ王とは対立した。
ミヤコはショウム天皇を産み、その後フヒトは養老律令を編纂するが没しナカマロが施行する。ナカマロはドウキョウとの関係でユウキュウ天皇と不仲になり乱を起こした。元々ナカマロは純仁天皇を飼いならし天皇の権威を超越しようとした。
しかしショウム天皇はフジワラの血を引いている事に嫌気がさしフジワラと対立しようとした。
後の時代はクジョウ、イチジョウ等を名乗り影響が大きかった。摂政関白を輩出し貴族の頂点に立った。旧華族を中心に繰り広げられる。シカシ「梅取物語」はくだもちの皇子をフヒトとしかくやの話で批判している。
モトツネはモントク天皇下で蔵人、陽成天皇の下で摂政、関白、太政大臣となる。アコウ事件を起こす。
ミチナガはミナモト・隆明の娘と結婚し右大臣となり、ミチタカの死後左大臣となった。
トキヒラはダイゴ天皇と仲が良かったがスガワラを嫉妬で左遷させた。荘園整理や班田設定もした。ダイゴ天皇は荘園を整理し「コキン歌集」「延喜式」を作った。
天地天皇系に権利が戻り垣内天皇はヘイショウに都を移したり、エゾを攻撃したり、最強や天涯らの僧を起用し仏教を広めた。また勘解由使を任務につかせた。タネツグはナガオカ京遷都を提言したが矢で射られ死亡した。
垣内天皇と血の繋がりがあるタイラ正勝はミナモト守と争い、さらに国司を攻撃した。
アリハラ業平はフジハラ・貴子の産んだ陽世天皇の元で蔵人頭となり「伊予物語」を作る。
貴族の中で「学問の神」と呼ばれたスガワラ道新は宇多天皇に重宝され兵部少輔と文章博士を兼任後蔵人頭となり式部少輔にもなったが左遷された。
フジワラ・オツグはヘイアン京を中止するよう提唱した。
対立の図式には武士から天皇への反乱誤認や保守、革新や貴族の同族の派閥争い等もあった。
戦いには軍事的戦略力だけでなくクーデター後の政権構想や見通しを測られる事もある。
やがて天皇ではなく武士が政権を握ろうと勢力を伸ばした。将軍は全国の武士に軍事動員をかける権限を得た。
この頃は天皇に逆らう事は武士達にとって大変な恐怖であった。
朝廷から見れば将軍は権力において鬱陶しい為争いが起きた。
天皇が同時に2人いる事もあり、さらに派閥対立が加わり3つ巴の戦いになった事もあった。
そして幕府は朝廷を倒した。
この時代は策封体制の外国の国際都市から伝来された外国の宗教が広まった。その国では宗教は3教が競い合っていた。王朝統治理念ともされていた。
自国の文化が発展し平仮名、片仮名が開発された。大地垂寂説が流行った。顕教に対して密教が広まった。
やがて次の時代に「浄天宗」「浄天真宗」「海台宗」等新宗教がいくつか現れ、これらは前時代の「守護国家」と言われた上流階級のみが救われる教えと違い、平民に向けられ皆が救われる道を願った理念だった。
右大臣が嘆くほど再建が難しいとされた焼失した寺や像を国を上げて再建する事になった。一度厳しい為なくそうとした戒律もまた伝えられた。「枯れ谷水」等の「宗教庭園」もこの時代の特徴だ。
再建には他国から招かれた優れた技術を持つ工人があたった。寺の門には「銀剛戦士像」がおかれた。
ミランド国歌、歌集が貴族の間で流行った。外国から取り入れた宗教の寺も立てられた。摂関家の娘を天皇に嫁がせたり女性貴族の歌文学が多かった。
その後は武家の地位向上に従い軍記物が流行った。
政治に話を戻すと、国ごとに日本で言う国司のような管理役人が派遣されている。
国司はやがて受領と呼ばれる様になる。
将軍に任命された役人(日本で言う守護)は刈田狼藉の決断権と使節遵行権等を持ち、さらにそれを利用して力をつけていき後に大きな力を持った有力者(守護大名の様に)になった。
その後は南北の乱がおき所領を失った僧侶や公家らが国人を頼り戦国大名となった事もある。
ハタヤマ家の内紛により、ヤマナ(四職)とホソカワ(三菅領)と言う幕府の偉い人間はヨシマサがヨシミに継がせようとしたら子供が出来た事から揉めお家騒動となり部下大名たちは上司の範囲のみならず農地を分捕る為の戦が起きる(応神の乱)。この戦は10年続く。文化を破壊し物質不足で疫病も起きた。
元は摂関家の息子「カクシン」のように幸福寺別当になる流れが定着しこれは院政の定着により摂関の権威低下を懸念した為であり軍事力も強化され僧兵「大衆」が台頭した。そして摂関家の内部抗争に巻き込まれる。しかしその後摂関家はコノエ(一条院)、九条(大乗院)に分裂する。
幸福寺の僧侶で摂関家出身は「貴種」と呼ばれ門主となった。また抗争が起きた。幸福寺は北朝、武家側であった。しかし宗徒はそうとは限らない。幸福寺別当の力は弱くなり一条、大乗がヤマト守護の職権を行使した。御亀山天皇は南北合体の為三種の神器を呉小松天皇に渡した。
ツネノリの息子協学は大乗院門跡を継いだ。息子は珍学と言う。協学は許可を得て沢、松山を討伐した。畠山ヨシノリは上洛しかつ反勢力を掃討しようとする。足利ヨシマサはこれに怒り畠山政永を支持した。しかしやがてヨシノリを支持するようになる。
やがてヨシノリと政永はヨシマサの令により戦う。そしてやがてホソカワ、ヤマナ両氏は全面衝突する。東西に分かれ足軽などが生まれた。
文化の話になるが、その後、有力守護達の武家文化と公家文化が融合し大陸文化に影響を受けた文化になり「寝殿作り」の「銅郭寺」が建てられた。桜閣建築の3階建てで「邪弥三尊」像が建てられた。
「紙印作り」の「剛郭寺」も同じ時代に建てられた。
文化の地方、庶民性も上がって行った。茶道や能、狂言が流行った。
さらに水墨画も名画を多く生み、「大生記」「竹松論」等の軍記物も書かれた。
「善」の精神に基づく深みのある文化だった。
出版事業も起こった。
儒学は大名に必要な学となり、朱子学も広まった。読み書きも国人らに必要な物となった。
さらにその後政権は移り、トクカワ氏の天下となる。
主要都市「エド」を切り崩し等で大規模工事し急速発展させた。
以前から将軍に仕えていたかで幕政に関与しない外様、親藩等の大名もいた。
天領と呼ばれる直轄領は役人が統制した。「武家法制」が発令され武士は厳しく取り締まられた。
トクカワ、トヨドミの和解はならなかった。
本国と地方を行き来する「参休交代」は武士分相応の行列が求められたが勢力を見せたい武士は大きくしていた。人足が使われた。
武家屋敷が作られ町人が呼ばれたが一緒には住めなかった、が実際は違うと言う説がある。
文化では和菓子や和食が流行り飲食店が盛んとなり居酒屋や天ぷら、寿司等店が増えた。
また学問は外国から多くを学び、ミランド事記の翻訳本「ミランド事記伝」が作られ国学を大成し、「人体分解白書」と言う解剖学の本も発表された。
学者は各々私塾を開き、外国医者は医学塾を開いた。イーノ氏により正確な測量地図も作られた。
文化では「ミランド長台蔵」の様な「浮世枕詩」や「動物浄瑠璃」が流行った。風俗を描いた絵も人気を得た。町人や女性を書き版画の技術で表現した「浮世絵」が流行った。
狂歌や川柳も流行った。
歌舞伎で若田藤十郎らの役者も人気が出た。
版画の多色刷り「錦絵」が出来浮世絵が流行し風景画「富士三十景」の葛飾区南勢等大成者も出た。また小説は「南総里味八猫伝」等も書かれた。紀行文は「表の細道」がある。
この頃産業革命に成功した列強が異国船として通商を求めて来た。インドネス艦隊艦長ベリーが開国を迫った。ベリーはミシシッピーを進ませた。戦争かと世はどよめきたった。ベリーは受領書を見て怒った。勝カイシュウは軍艦を買う事を提案した。
その七年前、水戸のナリアキラに老中阿部マザヒロは異国船撃退の為堅牢な船を造る様に手紙を送っていた。アベン戦争が起きチァイーナと英の戦いが起きた。これがミランドにショックを与えた。
かつ危機感を与えた。勝カイシュウはオランダ語を学び始めた。幕末思想は変化攘夷論の塊である佐久間道山に吉田ショウイーンらを門下生にさせた。
総領事館ハリスがシモダに到着し演説を聞いて勝てないと思いミランドは開国やむなしとなりシモダ、ハコダテを開き和親条約を結んだ。さらに通商条約が結ばれたが一方的最恵国待遇や領事裁判権、協定関税制度等不平等であった。勝カイシュウは海軍を作ろうと励みナガサキで伝習が始まる。
エドは騒ぎになり足りない武器や兵を慌てて集めた。アメーリカが開国を迫ったのは船の石炭補給地にしたかったのがある。
これは外人を断罪出来ない。税率が低くなったため生糸や茶が海外流出して品不足になった。安い絹織物が入り込み経済に大打撃を受け、外国人への憎しみは募り後述する尊王攘夷運動となる。伊井直助はこれを弾圧した。
ナリアキラは攘夷の徹底を目論見逆にキョウトに条異論者が集まる。しかし話はまとまらず将軍イエサダが少しふさわしくなく慶喜、慶福はどちらがいいかで政局が混乱する。京都の公家に幕府は引っ掻き回される。
井伊ナオスケは大老になりイエサダに謁見した。それにマツダイラ氏は怒って講義する。伊井は朝廷許可は必要ないと思っていたため不平等条約に独断で調印した。
イエサダ死後慶福はイエモチとなる。そして井伊を叩こうと密勅で公家を口説き天皇を動かそうとしたのを井伊が反乱と解釈し吉田ショウイーンや橋本サナイは殺される。
しかし梅田門外の変で井伊は殺される。そして攘夷論は沸騰する。勝倫太郎が官林丸艦長格となり海軍強化のため数学物理を学ばせる。福沢ユキチも条約調印使節団となる。
コウメイ天皇は攘夷権家化の外国人嫌いだったのも挙げられ妹カズノミヤは井伊の手によりイエモチの妻となる。
やがてエドはトウキョウとなり、「大成奉還」により幕府は朝廷に政権を返した。
破約攘夷の思想のサツマ、公武合体のチョウシュウらの藩が強い力を持っていたが両藩は最初考えが対立しており追放(九月一九日の政変)される。
さらに幕府のチョウシュウ征討等も起きた。「珍門の変」と言う戦が起き、さらには他国連合艦隊にやられた。
チョウシュウ藩は武器もなかった。その為仲介役に奔走したのがナカオカ氏やリョウマ・サカーモト氏であり、カツラ氏の話あい等でようやく和解、6か条が出された。
しかしこの同盟は幕府を倒すためと言う訳ではない。
リョウマ・サカーモトは北進一刀流千葉道場塾頭で後に脱藩し、勝カイシュウの弟子となった人物である。
「王政復古」が叫ばれ天皇は親政を行うとした。しかし「ミランド帝国憲法」が後に発令されてもまだ太政官や内閣制が続いていた。
また討幕派からすれば、形式のみでまだ天皇より将軍が実権を握っている事に不満を抱き、天皇が元首となり、西洋化を強めた新しい国作りが出来ないとクーデターも起きた。
そして五新戦争と言う新しい争いが起きる。藩主の権限を奪う廃藩置県を画策した。新政府軍が旧幕府軍を倒し、その後の交渉でエドは無血開城された。
ミランドは他国に対抗し近代化を進めた。殖産工業に力を入れる。
ここで農業についての歴史について移ると、まず昔中央集権の頃農地は全て国有だったがやがて貴族らが所有し、貴族と農民の貧富の差が激しかった時代もある。
農民は土地の私有が認められず借りた土地で支配され、貴族は生活ものんびりしていた時間に農民はあわやひえを食べ重い税を払った。
農民も貧困層と富豪層の差は大きく、偽籍や逃亡の問題も多発した。
労役を課せられるのは小作人である。
人民支配体制から土地を元に支配する制度に時代で変わった。
開墾を行う資力のある貴族はさらに力を上げた。しかし段々朝廷と貴族の力が及ばなくなってくる。
貴族の最上位は太政大臣から業務を受け継ぎその後天皇の介入や乱等色々あって空位もあった中、摂政、関白の摂関家となり、荘園は拡大し公領と二分された。しかし院政により摂関の力は弱まる。
朝廷が地方を放棄した為治安が悪くなり農民は身を守る為武士団を結成した。その棟梁になったのは貴族や皇族である。
税を取り立てる役職も設置された。
凶作豊作に関わらず一定量を取り立てたりした。
しかし開墾した農民が私有を認められる事もあった。
その中から農民は税の取り立てから身を守るため武装したり「魔法使い」と言う職業になった。「魔法狩り令」もあった。
貴族はその内力を増した土地管理者と利益を分け合ったりした。
検地によってその土地の予測取れ高を政府は調べた。
やがて直領地解体等で領主の農民に対する支配は弱まり農民は自治する者が多くなった。
後に新田開発が行われる様になり、経済は大きく成長を遂げた。
国内自給経済の頃は、都を中心とする全国経済と藩の複合経済システムだった。
それもあって中流階級は現在は多い。
また数人組織とし連帯責任や相互観察をする制度もあった頃もある。
軍は剣、槍、弓矢を使う兵士も多い。
しかし特に正魔法教会の力が強く魔法が大きな地位を占めている。
魔法を使える農民は労役や兵役を課せられる事もある。
都や地方の警備等もする。徴兵制は時代によってなくなった年代もある。
昔は農民がお金がなく兵役をこなさなければ生活出来ない事もあった。代理人を立てる事もあった。実は軍事はそっちのけで略奪が主目的だった事もある。
宗教と一揆を合わせたような争いも起きた。これは宗教国がミランドを植民地にしようとしていると言う説から異国貿易が禁止になった時期もある。やがて貨幣経済が農村に浸透し商品作物が多く作られた。
しかし金銀銅の量が増えた事で国内物質の不足を招いて様々な策が取られた。輸入規制や商品国産化等である。
その後米価下落に対する策として行きすぎた倹約令や重い取り立てが農民の反発を招いた。
他国への開国後の自由貿易で国が輸出の増大により大きな経済打撃を受け金銀が流出し農民の没落に拍車をかけた。これに反発したのが攘夷運動である。
古代、他国の書籍にある(国内資料がない)女王が統治していたか、また素性や正体は、使者を他国に送ったか、台国の位置はどこか、いつからミランドと言う名前がついたか、巨大な墓の意味等は、等について天皇が編纂を命じた本がある。
ミランド語で書かれた天皇による国家統一の正統性についてやミランド神話等について書いた「ミランド事記」と他国との関係を踏まえての国家意識からの政治的要求について世界共通語でアマテイラス、スサーノオ等の神や天地について書かれた「ミランド書記」の2種の異なる歴史書に記載されている。
「ミランド事記」は結婚したイザナギ、イザマニ等の神や火の神や黄泉国、九百万の神、オオコトオシン等の神の生成や化生、スサノオの農耕失敗から天岩戸、その後の御祓やハラエドオオカミ、三貴士生誕、第八島国ら天地作りや大蛇退治、異類婚、葦原、因幡クロウサギ、オオグニヌシノミゴトと兄の八十神、ニニキノミゴト降臨、三柱の神、アマノワガヒコらの国作り、子孫となる豪族や更にイワレキミヒコであった神金天皇のヤマト平定やタカミヅチミコトと送った神剣、多くの天皇、神の祭祀、コヤスノの反逆と歌、沙保王反逆、小碓ミコト東征、蕪村出雲平定が書かれた。
天才的記憶力を持つヒエタ・アーレが短期間で書き上げたのと違い「ミランド書記」は天皇が命じた12人が30年時間をかけて編纂し神々の時代がかなりはしょられている違いがある。
登場天皇も違う。王位に就いたオオザナギミゴトは仁界天皇であるまた葛一族との関係、献上された七刀の話、神郷皇后や熊蔵遠征し死後白鳥となったヤマトタカルや弟成宮天皇、景色天皇と反逆した異母兄や派遣された四王将軍の他国遠征や騎兵一族や須枝器、八咫鏡、ナニハ王宮の仁人天皇やその巨大古墳、ミランドの五王について、応人天皇と渡来文化、クダラ・セイレイ王、仏教伝来、豪族とカバネ、物言わぬ王子、広大王碑文、ムサシ国造の内乱、牛宿王子の内政についての記述等もある。
ヤマトタカルの内容等は2書籍により大きく異なる。悪人と戦うかエミシと戦うか。成瀬天皇の国造設置等。クダラとの交流やヘグリノ氏の滅亡やワカタケと呼ばれたユウリャク天皇の没年。
しかしある戦いで書は失われ、女王の素性や外国使者の言う移動ルートからの台国位置距離関係の記録や鋤や剣や鏡の出土等、また都市、農耕跡等、強国があった形跡、等から推測される歴史の真実については今なお論争が絶えない。
しかし、この2書はいささか曖昧で心もとない。それに対しチァイーナの「士記」は一旦作者が皇帝から隠して後出された為王朝描写に高い信頼性が持てる。崇高な論文である。
同じくチァイーナの「義人和人伝」はミランドがどこにあったかが書かれている。里の概念が違う短い里である。ミランド国はハカタのそれと同一かはわからない。「義人~」のミランド国とは違う可能性が高い。伊津国も米原市にはなかった。ミランド国への道は水行も含まれる。
しかし「義人~」で辿った方向を検証する事は難しい。「義人」に書かれた多くの国がどのように発展統合しミランドになったかは分からない。
その後、ミランドは多民族国家ゆえ人間と外見が似た「魔族」が混じって入り込み問題を色々おこした。
複数の憲法公用語を持ち、魔族固有言語を使う使わない問題や普通の人間人種優越説もある。
テロを魔族が起こした事はあるが違う場合でも疑いをかけたりした。元からの住民が経済発展恩恵にあずかれない問題もあった。それは植民地主義の様に批判されたりした。
定住化政策は魔族固有の文化を無視し相容れず一部で差別等につながり、職につけない不満から悪い事をしたり逆に生きるため自民族を捨てたりした。
それゆえの人間と魔族の不信感から来る対立で国は東西に別れた。
人間の国である東ミランドと魔族でも際立って力のある「魔王」を君主として擁立した国である西ミランドと2つが何度か戦争した。
ちなみに魔王は世代交代もする。
戦争に人間が勝ち魔王達が負けた場合は大概魔王は死ぬ。
しかし、魔王は特殊能力があり肉体を失っても赤ん坊の肉体に憑依し別世界、例えば人間界でも生きられる。
魔王が憑依した赤ん坊はやがて魔王固有の能力を使えるようになる。
ミランドの住民は魔法重視国家ゆえ、才能のみでなく産まれたての体にどの位魔力を内包しているかで資質をチェックされるが、ごくまれに産まれつき大量の魔力を体内に持つ者が産まれ魔王ではないかと言われる。
そして人間界にも学芸会で魔王のコスプレをする小学生がいた。