脱出の妙案
「ゼーネイの奴め!ふざけている!」
屈強な男の拳が、机を打った。
大きく鈍い粗暴な音が駐屯地の食堂にあたる広間に響いたが、しかし男を諌める者は誰も居ない。
むしろ周りの人間の彼を見る目は同調。
皆机を打った彼の様な行き場の無い憤りをその瞳に燃やしていた。
「子供達を囮に使った挙句、我等を蜥蜴の尻尾の様に切り落としたあの愚行!許される行為ではない!」
「そうだ!それに加えて俺達をお救いくださった天使様を魔女呼ばわりときた!俺はあいつの顔に一発くれてやらねば死んでも死に切れん!」
「ああそうだとも!かの天使様がいなければ私達は今頃死んでいた!英雄として語り継がれこそすれ、魔女としてしょっ引かれるなど言語道断よ!」
「駐屯地の周りはどうなっている!天使様を何としても御守りせねば!」
喧々騒々。
男達の野次の様な会話はもう既に一時間を経過している。
然りとて感情に任せた論議が続くばかりで実のある話は出てこない。
彼等のいる駐屯地は既にゼーネイ卿の手配した衛兵達で周りを囲まれている。セレティナがゼーネイ卿の手に落ちるのも時間の問題だった。
「ええい、何か妙案は無いのか!天使様があの小汚いゼーネイの手に渡っては絶対にいかんのだぞ!」
「ならばお前が出せ!その妙案とやらをな!」
「正面突破、口で分からぬなら剣で示せば良いと何度も言っておろう!」
「馬鹿め!我等は三十余名しかおらぬのだぞ!あっという間に袋叩きにされて終わりよ!」
「それにここはレヴァレンスのど真ん中だぞ!この美しい都市を戦場にする気か!」
「ええい、ならばお前が策を出せ!」
……会議は踊る、されど進まず。
男達が騒ぎに騒いでいる最中、少し離れた所に少年兵は椅子に腰掛けていた。
少年兵の名は、カウフゥ。
あの戦場においてセレティナに第一声を掛けたあの少年兵だ。
カウフゥはじくじくと痛む右腕に包帯を巻きながら、騒ぐ大人達の頼り無さに嫌気が指していた。
天使様は僕達に沢山のものをくださった。
それは命、希望。
そして生を実感できるという事の尊さをかの天使様は教えてくださった。
だのに、僕達は天使様に何も返す事ができないのか。
……いや、寧ろその逆だ。
天使様は僕達をお救いくださった事で謂れなき罪をかのゼーネイ卿から被ってしまった。
くぐ、とカウフゥの未だ成熟していない柔らかな拳が握られた。
無力感。
罪悪感。
己の不甲斐なさ。
そう言ったものが、彼の小さな胸に去来する。そうしてカウフゥが唇を噛んでいると、食堂に喜色を示した響めきが広がった。
男達の視線はある一点へと注がれている。
釣られてカウフゥも其方を見ると、胸にじんわりとした喜びが広がった。
黄金の天使。
セレティナ・ウル・ゴールド・アルデライトが、食堂の扉を押し開いて入ってきたところだった。
わっ!と男達は粗末な議場を放り投げ、彼女の元に群がった。
「天使様!ご無事で!」
「もう起きられて良いのですか!お加減は!」
「ここにいる全員貴女様に感謝しております!」
「天使様!無理はなさらず!ささ、お掛けになってください!」
わぁわぁと捲し立てる男達に、セレティナはへにゃりと力無く笑うと差し出された椅子におずおずと座った。
その後ろを行くリキテルはさぞ不満そうにセレティナの椅子の後ろに控えている。
「おい、男ども。俺だって頑張ったんだからな」
しかしリキテルのその呟きは喧騒の海に飲まれていった。
「話は大方リキテルから聞きました。私は、レヴァレンスを離れようと思います」
そう告げるセレティナに、男衆は皆一様に固く頷いた。
当然だ。レヴァレンスで手をこまねいていてはゼーネイ卿に捕縛され、どうなったものか分かったものではない。
少年兵カウフゥも遠巻きにその会議に参加しながら憧憬の眼差しでセレティナを見ていた。
「ここは囲まれている様ですが、状況は?」
セレティナはそう告げながら、年長者らしき男に目線を配る。男は目線を受け、咳払いを一つすると粛々と語り始めた。
「バリケードを貼り、何人か門前で説得を試みさせていますがそれも焼け石に水……。恐らく一刻も過ぎれば衛兵達は雪崩れ込んでくると思われます」
「一刻……。それはかなり不味い状況ですね」
「ええ、しかし我等の知恵を合わせどこの状況は絶望的……。何も良い策が浮かばず……」
「いい大人が雁首揃えて情けないなぁ」
「リキテル。口を慎みなさい」
「……いや、そいつの言う通りです。天使様、愚鈍な我等をお許しください……」
影を落とす男達に、しかしセレティナは柔らかく微笑みかけた。
「気を落とさないでください。私を助けようとするその姿勢、その心こそが私は嬉しく思います。黙ってゼーネイ卿に差し出せば貴方達の安全は保障されるでしょうに、しかしそれをせずにバリケードまで貼っていただいている。本当に有難い事です」
「天使様……!」
男達は感激に身を震わせた。
セレティナの見せるその慈悲こそが、やはり天使と謳われる所以。男達のセレティナに対する信仰心はこの瞬間、より一層深まったと言えるだろう。
「ぬおおおお!お前ら!俺は天使様の為ならこの命、惜しくない!俺は剣を抜くぞ!」
一人の男が、剣を抜いて立ち上がった。
それに釣られ一人、また一人と立ち上がった。
「お前ら!天使様の言葉を聞いたか!俺はこの人の為なら手段は厭わねぇ!」
「元より天使様に拾ってもらったこの命だ!やらいでか!」
「ゼーネイのクソッタレに目にもの見せてるぞ!」
おおおおおおお!!!!
男達は立ち上がり、銅鑼を鳴らした様に吼え、鼓舞した。
少年兵、カウフゥも堪らず立ち上がった。
……しかし。
「お待ちなさい」
スゥッ、と岩に染みる清流の様なセレティナの声がそれを制した。
すると男達はセレティナの声に、まるで冷や水を浴びせられた様に大人しくなってしまう。
……右に、左に。
セレティナの群青の瞳がゆっくりと諌める様に男達を見回した。
「貴方達のその意気込み、私はとても嬉しく思います。なれど簡単に命を投げ打つ様な真似はよしなさい。貴方達にも家族がいるのでしょう」
厳しく、しかし愛に溢れたセレティナの言葉に男達は皆押し黙ってしまう。
セレティナは続ける。
「しかし私とて命は惜しい。少しばかり私の急造の脱出劇に協力してもらいますが、よろしいですね?」
その言葉に、俯いていた男達は一斉に顔を上げた。
「天使様の為ならば!」
「我等協力は惜しみませんぞ!なぁお前ら!」
「ああ勿論だとも!」
「しかし、剣を使わずして我等に協力出来る事などあるのでしょうか」
男の問いに、セレティナは大きく頷いた。
「ええ。出来ますとも。その為には準備が必要ですが」
そんなセレティナを見て、カウフゥは拳を握りしめた。
天使様の為なら、僕は何だってやってやる!
そう意気込んだカウフゥは……
セレティナと目があった。
そしてセレティナは微笑み、こう言った。
「そうですね、彼がいいでしょう。そこの貴方、ちょっと来てくれますか」
「……え?」
僕…………?
憧れの天使様の唐突な呼びかけに、カウフゥは瞳を白黒させた。
この時の天使様の微笑みは、カウフゥには少し悪戯っぽく見えた。




