天使様の目覚め
*
「あっ!天使様っ!」
寝覚め一番。
目覚めのセレティナの鼓膜を揺らしたのは、未熟な女児の声だった。
絵の具を水に溶かしいれた様にぼんやりとした視界が開けると、セレティナの目の前には子供、子供、子供。
すきっ歯を晒した男の子。
鼻水を垂らした女の子。
眼鏡を掛けた利発そうな男の子。
よく日に焼け、如何にも快活な女の子。
種々様々な子供達が、目を爛々と輝かせて横たわるセレティナの顔を覗き込んでいた。
「起きた!起きた!」
「死んでなかった!」
「お馬鹿!死んでるわけないでしょ!?」
「でも天使様って死ぬの?」
「そんな事はどーでもいいの!」
「おめめ綺麗ー!」
「ティタ!大人の人呼んできて!」
「俺かよ!」
「行けよ!」
「行くよ!」
喧々囂々とはこの事だろう。
色めき立ち、姦しいとさえ思えてしまう子供達の姿にセレティナは僅かに微笑むと、ゆっくりと身を起こした。
暖かなベッド。
恐らく戦場に取り残された馬車に乗っていたのだろう元気な子供達の姿。
セレティナは己の血脈が走る掌と、己の剣と帝国兵の尊い命達が守り通した命達を眺め、ほうと息を吐いた。
今回も、生き延びる事が出来た。
セレティナのぼやけた思考に、じんわりと現実が馴染んでいく。側に居る女児の頭を撫で、セレティナは慈しむ様に目を細めた。
「お早うございます」
セレティナの透き通る様なソプラノが細く響く。子供達はやはり天使が歌う様なその声音に、爛々と目を輝かせた。
「わー!天使様って声も綺麗なんだぁ!」
「元気!?何か食べる!?」
「ねぇねぇ天使様ってほんとのほんとに天使様なの!?」
「なんであんなに強いの!?」
「あたし天使様が使ってたあの綺麗な剣触ってみたいなぁ」
「やっぱり天使様ってお空からやってきたん!?」
わぁ!と子供達の期待の眼差しと質問が雪崩こんでくる。その余りの若い熱量に、流石のセレティナもたじろいだ。
(それより天使様天使様って、帝国兵も皆自分の事をそう呼んでいたけどなんなんだろう……)
「あの、みんなちょっと落ち着い……」
「うぉーいガキンチョ軍団。天使様はお疲れなんだ。その辺にしといてやれ、お前らの鼻垂れがうつったらどうする」
間延びした青年の声。
鼻垂れた小僧に連れられたリキテルは小さく欠伸をしてみせると、シッシッと子供達を追い払う仕草をしてみせた。
「うわっ!リキテルだ!」
「逃げろ!食われっぞ!」
「やべぇ!」
「ずらかるぞ!」
「天使様ばいばーい!またくるね!」
「元気になってね!」
「リキテル!天使様に変なことすんじゃねーぞ!」
誰が変な事するか!
リキテルがグワーッと諸手を上げて戯けてみせると、子供達はきゃいきゃい喚きながら蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。
……どうやら、リキテルは子供達に大分懐かれているらしい。
喧騒に満ちた石造りの個室は、漸く静寂を取り戻した。未だ遠く、子供達の笑い声が響き渡ってはいるのだが。
リキテルは子供達の逃げた方向に笑みを浮かべて一つ溜息を吐くと、セレティナに向き直った。
「調子はどうだ……ですか、コーシャクサマ」
「寝起きなのでなんとも……ですが気分は上々です」
「そうか、そいつは良かった……ですな」
「敬語は苦手ですか?」
「平民上がりなもんで」
あっけらかんと振る舞うリキテルに、セレティナは僅かに口角を上げる。
「いいでしょう、公式な場でも無し。敬語は使わなくても私は平気ですよ」
「え、いいの?あ、でもコーシャクサマにそれは流石に不味い気が」
「ふふ、ならばこうしようリキテル。私も敬語は使わない。お互い固いのは無しにしよう」
「……へぇ」
「どうかした?」
「いや意外と男勝りな口振りだったもんで、つい」
「そうだな。だから普段は敬語しか使ってないんだ」
セレティナはぐぐ、と組んだ腕を伸ばした。凝った体が解れていく感覚が心地良い。
「それと私は公爵家の娘であって、公爵位は持ってるわけじゃない。だから公爵呼ばわりはやめてくれ」
「ああ、そうか……。じゃあ天使サマと呼ばせて貰おうかな」
「それは止めてくれ……。それよりなんなんだ天使様って」
「さぁ。あの場に居た人間は皆あんたを天使呼ばわりしてるよ。救世主みたいなもんだ、天使サマに心酔してる人間も多いみたいだぞ」
「……それはなんともはや」
「良かったな」
「良い事だと思うか?」
セレティナがジロリと睨むと、リキテルはその視線をひらりと躱した。
軽い奴め。
セレティナは毒吐いた。
「それよりリキテル、私はどれくらいの時間眠っていたんだ。それに此処が何処かも分からない。現状把握してる事を全て教えて欲しい」
「……他に聞く事は無いのか?」
リキテルのその問いに、セレティナは小首を傾げた。何のことか、彼女にはさっぱりと分からない。
リキテルはセレティナの様子に分かりやすく肩を竦めてみせる。
「帝国に来る道中の馬車の中、俺はあんたに殺気を飛ばしてた。気づいて無いのだと思っていたんだが、あれ程の腕だ。きっと気づいてたんだろ?」
「…………」
「何故意に介さない?それともまさか本当に気づいてなかったと言うんじゃないだろうな」
リキテルの僅かに尖った視線がセレティナに突き刺さった。セレティナはそれを受け、しかし微笑みをみせる。
「殺気を飛ばしたからなんだというんだ。本当に殺す気だったわけでも無いだろう」
「…………」
「聞きたい事はそれだけか、リキテル・ウィルゲイム」
「ああ」
「……そうか。ならば話を戻そうか、現状と今後について話し合おう」
……殺す気が無かった。
確かにな。
だがいずれ……。
リキテルの心の奥深く、その深奥。
ぎらりと光る懐刀は、人好きの良い人格の鞘の中に今は眠っている。
いつかその刀身が抜かれ、血生臭い狂乱を啜るその日まで。




