勇気ある兵士達
魔物の黒腕が暴風雨を思わせる荒々しさでセレティナに迫る。
黒曜石の様な凶悪な鉤爪は、しかし煌めく宝剣の閃きに軽々と往なされた。
軌道を逸らされ、体の均衡を狂わされた魔物の体がぐらりと前のめりに傾ぐ。
それをひらりと躱したセレティナの群青の瞳が傾ぐ魔物の姿を冷ややかに捉え、そして瞬きの間に魔物の首を切り落とした。
ごろりと魔物の首がまた一つ、戦場に転がった。これでセレティナが殺した魔物は既に八つにもなる。
彼女は僅かに呼吸を整えると、宝剣にべっとりと付着した血糊を振り払った。
「我が名はセレティナ・ウル・ゴールド・アルデライト!勇敢なるギルダム帝国の戦士達よ!聞きなさい!」
セレティナの凛とした声が轟いた。
帝国兵は、皆その声に顔を上げる。
セレティナの……いや、天使様の告げる信托を待ち侘びる敬虔な信者達の様に。
「ここは私が引き受ける!その間にレヴァレンスの門まで走りなさい!撤退です!直ちに撤退しなさい!」
そう言の葉を告げる内にひとつ、またひとつとセレティナは魔物を切り飛ばしていく。
すぐ側に居た少年兵が、セレティナに駆け寄ってくる。その表情は、悲痛なものだった。
「なりません天使様!」
何故。
疑問を投げかけるよりも早く、少年兵は真っ直ぐに指を指した。
「あの馬車の中に、まだ大勢の子供達が……!」
少年兵の視線を辿ると、巨大な幌馬車が車輪を崩して佇んでいた。馬車に繋がれた馬は首と胴に矢が何本と刺さっており、息絶えている。
とても馬車を動かせる状態ではない。
何故馬に矢が。
魔物に殺されたわけではないのか。
セレティナは、しかし思考を遮断する。
疑問だった。
そして納得した。
レヴァレンスまでの道は遠からず、撤退戦を試みれば幾分か生存率は上がっていたはずだ。だのに目に映る帝国兵達は、決して魔物に背中を見せる事は無い。
この帝国兵達は、子供らを守る為にその命を投げ出していたのだ。
見捨てる選択肢もあった筈だ。
だが、その選択は取らなかった。
その勇気ある行動の何と尊い事か。
考えている暇は無い。
セレティナは宝剣エリュティニアスを中段に構え、ゆっくりと腰を落とした。
「では、怪我人は直ぐに撤退を!まだ戦える者のみ残る事を許可します!」
「天使様は!」
私は。
そう言うや否や、セレティナは疾風の如く魔物の群れのその最中に躍り出た。
疾風迅雷。
電光石火。
セレティナに握られたエリュティニアスが、一際甲高く吼えた。
ひとつ、ふたつと銀閃に触れた者から屍を晒していく。魔物達の絹を裂く様な悲鳴のコーラスが、一見長閑な草原に轟いた。
「魔物を殲滅します!命が少しでも惜しいと思う戦士は直ぐに撤退しなさい!繰り返す!命が惜しくない者のみ残りなさい!この戦場からの撤退は決して恥じる事でも誰かに咎められる事でもない!」
セレティナが哮り吼える。
戦場に咲く黄金の火花。
疾風怒濤の猛攻は、止まらない。
背筋に冷たい剃刀が這い回る様な、恐ろしく洗練された剣から繰り出される嘶きは刹那たりとて止む事は無い。
もしかして魔物が弱いのではないか。
見た者をそう思わせるほどの天下無双の大立ち回り。
さりとてその様な事は無い。先程まで、大の大人達が寄ってたかって殺されていたのだから。
数は多勢に無勢。
セレティナ一人が幾ら頑張ったところで、魔物は次から次へと姿を現し一向に減る様子も無い。
だがセレティナの奮起に触発された帝国兵達の心に、少しばかりの勇気と余裕が生まれ始めた。
「お、俺は戦うぞ!」
「俺もだ!」
「我らには天使様が着いている!」
「ここで逃げたとあっちゃあゼーネイ卿と同じよ!」
「臆病風に吹かれた者は帰ってママのミルクでも飲んでろ!俺は行くぞ!」
「僕は臆病者じゃない!子供達を助けるんだ!」
野郎共、天使様に続け!
誰が言ったか、その号令が火蓋を切り落とした。
帝国兵の残存兵が、一人残らず絶死の黒海に飛び込んで行く。その表情には多分の怖れと、そして漲る勇気が満ちていた。
セレティナの横を擦り抜け我先にと剣を魔物に叩き込んでいく戦士達に、セレティナの口角が僅かに上がった。
なんと頼もしい戦士達か。
セレティナは先を行く戦士達の背中に嘗ての『災禍』に共に戦った英霊達の面影を見た。
自分の命が惜しいはずだ。
セレティナとてそうだ。
だが、人は何かの為に自分の命を投げ打つ事の出来る存在だ。それが、名前も知らぬ子供の為であったとしても。
人は、人とはやはり強い生き物だと改めて思わされる。
セレティナは鋭く空気を吸い込んだ。
エリュティニアスを硬く握り込み、そして肺に溜めた空気を細く鋭く吐き出していく。
戦いはまだまだ長くなる。
この身に出来る事、為せる事。
必ずやり遂げて見せる。
セレティナは腿に力を溜め、引き絞られた弓矢の様に戦場を駆けていく。
「んふ〜。なぁんだ、ちゃーんと強いんじゃんお姫サマ」
草原の、少し離れた丘の上。
リキテルは口を横に裂いた様な獰猛な笑みを浮かべると、思わず舌を舐めずった。




