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天使降臨

 


 絶望の最中。

 一筋の希望すらない戦場。

 帝国兵達の士気は著しく低下していた。


 剣を握ったところで何が変わるというのか。


 所詮、自分達は捨て駒だ。

 護衛対象の子爵……ゼーネイ卿は既に逃げた。蜥蜴が尻尾を切り落としてまんまと逃げおおせるように。


 あの壁の向こう。

 レヴァレンスの壁の内側へと自分達も転がり込めたのなら、まだ生存できるのだが。



「ひっ」



 誰かが堪らず悲鳴を上げた。

 晴天の空にぽんと人の頭が弧を描いて飛んでいく。残された胴に連なる首からは、噴水の様に緋色が飛び上がった。


 冗談の様な光景だった。

 その光景は一つや二つではない。

 まるでポップコーンが弾ける様に次々と頭が空を飛び交っていくのだ。


 奴等は楽しんでいる。

 その鉤爪で胴を裂けば良いものを、的確に首を飛ばして楽しんでいるのだ。


 この中でも取り分け歳を食った男……槍を力無く構える兵長は鎧の下に汗ばむ嫌な感触に肝が冷え上がった。長年戦場を渡り歩いてきた彼は、その肌を撫ぜる風の感触を知っている。


 死だ。


 刻々と、自らの死を自覚していく。

 そこには何のドラマも無ければ、何の熱量も無い。


 ただ目の前に広がる地獄の光景に組み込まれて、何も残さぬまま死んでいく。


 そんなのは、嫌だ。

 兵長はかぶりを振った。


 ずんぐりと、子熊を思わせる肉体に力を漲らせていく。頭はノイズが掛かったかのように冴えない。


 だが、生きねば。


 兵長は遠く自分の帰りを待つ妻と子供に思いを馳せ、叫んだ。握る柄にあらん限りの力を込め、何万回と振るってきた稽古の成果をその槍に体現させる。


 想いが、実力を凌駕する。

 火事場の馬鹿力と捉えても構わない。


 ただ、その一突きは彼の生涯にとっても最も冴え渡った一撃と評して良いだろう。


 槍の穂は容易く魔物の黒い肉を食い破り、絶命させるに至る。

 確かな手応えだ。

 目に映る魔物の紅い瞳が、光を失う様を見た。


 まだだ。

 まだ俺は終わらん。

 妻と子供の為に、俺は為さねばならない事がある。


 さあ、次だ。




 ……--あれ?



 兵長は槍を握り直したところで己の違和感に気がついた。今まで篭っていた力が、まるですとんと抜け落ちたようだった。


 くるりくるりと視界が揺れ、強い衝撃と共に顔面が地面にぶつかった。



 痛ェ。

 なんだ?何が起きた。



 目に映るのは、頭に緋色の火花を吹かせたグロテスクなオブジェクト。槍を握った手と足が痙攣しているそれは、ふらりと風に吹かれて力無く倒れた。



 あれ、ちょっと待てお前。

 ありゃ俺の……。



 次の瞬間兵長の生首は逃げ惑う雑踏に踏まれ、蹴られ、蹴鞠の如く戦場を転がり周り、絶命した。





 戦場とは、こういうもの。

 ただ目の前に殺戮が広がり、次の瞬間には己が殺戮の背景の一部となり、果てなく続く地獄の連鎖。


 主人公など居ない。

 救世主なんて夢物語だ。

 歴史上最強と謳われたかの英雄オルトゥスでさえ、戦争の果てに屍を晒す事になったのだから。


 しかしそれでも愚かにも人は望むものだ。

 希望の光というものを。
















 黄金が、黒の波間に滑り込んでいく。

 銀色が瞬き、無数の黒を切り飛ばした。

 それは人の目で捉えられる限界、刹那の出来事。


 黄金は軽やかに空を舞うと、手に握る煌めく宝剣で弧を描いた。甘い香りを伴った一陣の風が、鋭く吹き乱れる。


 次の瞬間には、餓鬼の如く黄金に手を伸ばした黒の集合は、次々に緋色を吹いて絶命した。

 黄金は、そうして綿毛の様に軽やかに戦場の中央に舞い降りる。



 あれは何だ。

 誰かが叫ぶ。



 黄金は、ゆっくりと閉じた瞼を開いた。


 群青色の瞳が、厳しく戦場を睨む。

 黄金に光輝く髪はいと尊き天使を彷彿とさせる。なれば手に握る宝剣は神器の類か。


 時が凍る様な美貌だ。

 帝国兵は、一瞬の事だが地獄を忘れて彼女の姿に釘付けになった。



 あれは、天使様だ。

 誰かが叫んだ。

 上擦った、今にも泣きそうな声だった。


 我らを救いに来てくださった天使様が、顕現なされた。

 次いで誰かがそう叫ぶ。


 天使様、天使様。

 と、叫ぶ帝国兵達の異様な空気が戦場に満ち満ちていく。



 戦争に主人公も救世主も無い。

 あるのは胸糞の悪いくそったれな地獄だけだ。


 ただ正にこの瞬間だけは、帝国兵の心に希望の光が閃いた。



 セレティナ・ウル・ゴールド・アルデライト。彼女は威風堂々と、立ち上がる。


 救世主の真似事でも良い。

 前世を擬えるだけでも良い。


 王国も帝国も無い。

 目の前に映る人々を救う為ならば、この剣この命、幾らでも捧げてくれよう。


 女神でも天使でも無い。

 等身大のひとりの力無き少女は、口を一文字に引き結ぶとしかと剣を握り直した。



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