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馬車は行く

新章です

引き続き宜しくお願いします

 


 エリュゴール地方、エリュゴール王国。


『竜の背鰭』と呼ばれるクココ山群を北に構えるこの王国は中央大陸の中では最も汚染域……つまり魔物の生息域から縁遠い国という事もあり、土地が豊かで人口も多く、世界でも有数な王国として名高い。


 恵まれた肥沃な土地は人を育て、栄えた人間は文明を築く。

 エリュゴール王国は、大陸の中に於いて平和という意味では真っ先に挙げられる国だろう。


 しかし大陸にはエリュゴール王国が君臨するのみではない。


 クココ山群から王国を裂く様に伸びたイルダス川を辿ったその先に、王国と並び繁栄するギルダム帝国が立ちはだかる。


 エリュゴール王国と違い南西がほぼ汚染域に面している帝国はその生まれ落ちた土地柄からか、近隣諸国から強国であると名高い。


 武の精神を尊び、己の力によって運命が左右される……と言った様な内容が国歌のワンフレーズに使われるくらいには強かな気性だ。


 セレティナ……嘗てのオルトゥスは、どちらかと言えばかの帝国は嫌いではない。

 むしろ好意的な印象すらある。

 力さえ示せば皇帝が取り立て、幾らでも成り上がれる帝国は持たざる者にとっては一つの楽園であると言えよう。


 元々平民の孤児であったオルトゥスは、幼き頃は帝国の話を風の噂で聞き、いつか移住しようと画策していた事もある。


 しかし紆余曲折ありオルトゥスは王国に骨を埋める覚悟で生き、そして戦死したのだが……。



 はてさて、オルトゥス……いや、セレティナにとってギルダム帝国への外遊は今回で二度目となるのだが、どうなる事だろう。




 *




 平原だ。

 青々しく繁る若草が何処までも広がっている。若草の海は、時折春風に吹かれて爽やかな波を形成している。


 空気を吸い込めば柔らかな春の陽だまりの香りと、少し青臭い草花の臭いが鼻腔を刺激する事だろう。


 ここはエリュゴール王国とギルダム帝国を分かつウール平原。

 広大で、しかし見晴らしが良く、もう少し春が深くなれば色鮮やかな花が咲き乱れる長閑な平原だ。


 汚染域には含まれておらず、王国と帝国を繋ぐ唯一の街道が敷かれており、両国を行き来するのであればまず通らねばならない場所でもある。


 そんな何処までも続く平原を、二台の巨大な馬車が行く。周りを十騎の兵にぐるりと囲まれ、人が踏み鳴らしただけの道ともつかぬ道を確かな足取りで進んでいく。


 空は呆れるほどの快晴。

 鳶が自由に飛び回り、柔らかな春風が吹き、ゴキゲンな旅行日和だ。


 ……しかし、二台の馬車の内の後方。

 窓の外をぼんやりと眺める黄金の少女の表情はとかく翳っている。

 物憂げに髪先を弄り、時折溜息を吐いては今にも泣いてしまいそうな雰囲気を醸しているのだ。



 そんな彼女を見るにつけ、側に座する侍女のエルイットはなんとかハリボテの笑顔を取り付け、小さな紙袋を取り出した。



「セ、セレティナ様、おやつになさいませんか?ほらっ、私セレティナ様の大好きなマドレーヌ焼いてきたんです。紅茶は淹れられませんが天気も良いですし、美味しい好物を食べれば少しは気分が晴れるかもしれませんよ……!」



 わたわたと手振り身振りするエルイットをセレティナのどんよりとした瞳が捉えると、エルイットの紙袋から一つマドレーヌを取り出してもそもそと食べ始めた。



「んん……美味しい……いや美味しい……?いや……んん……味がちょっと今分からない」


「セレティナ様……!お気を確かに……!たっぷりとアルデライトのバターを使っております……!」


「……んぅ……」



 まずい、味覚まで破壊される程の落ち込み様だ。エルイットの背中に嫌な汗が滲んだ。


 エリュゴール王国を発つ直前、中々姿を現さないセレティナを探しにいったエルイットが見つけた彼女の姿は悲惨なものだった。白目を剥き、泡をぶくぶくと吹かして大の字に倒れていたのだ。


 エルイットは絶叫した。


 あわや遠征中止となるところだったが、エルイットの絶叫で目を覚ましたセレティナは屍人の様な顔でこう言ったのだ。


「早く帝国に行かなければ死んでしまう」と。


 その真意は並々測れぬものだがセレティナの強烈な意思を孕んだ眼光にエルイットの過保護も鳴りを顰め、今に至る。


 せめて何故そうなったのか教えてくれとエルイットが請うと、セレティナはぽつりと呟いた。


「エリアノール様に……」


 その続きは、声が小さすぎて聞き取ることはできなかった。

 しかしセレティナの全身から放たれる負のオーラによってエルイットはその先を促すことはできはしない。


 王族大好きのセレティナがエリアノール殿下に何かをされた、若しくは言われた。

 察しの良いエルイットはそれ以上踏み込まず、徹底してセレティナのご機嫌取りに努めて早一時間。


 エルイットの努力虚しくセレティナは未だポンコツのままであった。


 エルイットは小さく溜息を吐くと、紙袋からマドレーヌを一つ取り出して口に含んだ。


 濃厚なバターの甘みが、舌にねっとりと広がっていく。紅茶の一杯や二杯これひとつで欲しくなるほどには濃くて甘い。


 ……これを味がしない、とは。


 エルイットはやはり不安げな瞳で、もそもそと咀嚼するセレティナを見ずにはいられない。



「……んぅ〜。甘くて良い香り」



 すんすん。

 向かいに座る赤毛の男が鼻を鳴らすと、ペロリと長い舌を舐めずった。

 日焼けした小麦色の肌を持つその男は、今にも鼻歌でも歌い出しそうな口調で足を組み替える。



「あっ、良ければどうですか?私が焼いたものなんですが……」


「えっいいの?ありがとー」


「いえ、勝手に目の前で食べだしちゃってすみません……」


「いいよいいよー。俺そういうの全然気にしないから」



 赤毛の男はそう言うと、エルイットの手からマドレーヌを一つ受け取った。

 ふわりと香る甘い匂いに、男は満足気に目を細めた。



「ありがとうございます。えっと……」


「あ、名前?言わなかったっけ」


「あ、うぇ、すみません、そのえと」


「あは。慌てすぎ。俺も名前覚えるのすっげぇ苦手だからそう言う気持ち分かる分かる」



 男は人好きのする笑顔を崩さぬまま、にっこりと笑みを強めた。



「リキテル・ウィルゲイム。リキでもウィルでもお好きにどうぞ」



 ガタゴトと揺れる車内。

 もそもそとマドレーヌを食べ続けるセレティナの胡乱気な瞳が、リキテルの瞳と交錯した。


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