秋の空
「……というわけでセレティナをギルダム帝国へ使者の一人として向かわせる。良いな」
玉座の間。
傅くイェーニス、セレティナ、そしてエルイットの引く車椅子に乗ったメリアは、硬く命ずるガディウスの言葉に耳を傾けた。
「畏まりました」
セレティナはそれを受け、深々と頭を垂れる。
イェーニスもそれに続く様に頭を垂れた。
しかしメリアは苦虫を噛み潰した。
肘掛に置いた拳が、硬く結ばれた。
「陛下、僭越ながら宜しいでしょうか」
メリアの進言に、ガディウスは鷹揚に頷き先を促した。
「セレティナを帝国へ遣わすのはまだ早いかと具申します。セレティナは病弱な上にまだ十四。陛下に賜る大義を果たすにはまだ時期尚早であると思われます」
メリアの刺す様な視線を受け、ガディウスは思いがけず相好を崩した。
何だかんだと言ってはいるが、メリアの視線と発言は子離れできない母親のそれだ。
帝国は王国と比べると血の気が多く、王国とも友好的な国とも言えない。
娘を初めて手放すには思うところがあるのかもしれない。
ガディウスは髭を撫でると
「メリアよ、大義とは言うがこれはセレティナたっての要望……謂わば此度の事件の褒美なのだ。イミティアに会いたいという彼女のな。それに心配は要らぬ。護衛は従来以上に付け、何かあった時に直ぐに治療できる様に医師と薬師も同行させるつもりだ」
それに、とガディウスの側に侍るロギンスが続ける。
「魔物や蛮族の襲撃に対しては万全だ。セレティナ嬢には特別に近衞を付ける。この俺が保証する腕の騎士を、だ」
「しかし……」
矢継ぎ早に説得され、メリアの気勢が削がれていく。
それを見るにつけ、セレティナは困った様に眉を曲げて微笑んだ。
「お母様、私なら大丈夫です。初めての旅行……は言い過ぎですが、陛下がこれ程安全を保証してくれているのですから。世界一の旅商団の女性頭領イミティア様には兼ねてより一目会ってみたかったのです。帝国を見て回れるのも知見を広められる良い機会だと思いますし」
「セレティナ……」
「母上、行かせてやったらどうですか。今までセレティナはアルデライト領のあの鳥籠の中で過ごしてきたんです。たまには羽を伸ばさせてやるというのも俺は良いと思いますよ」
「イェーニス……」
メリアは目を白黒させ、次の言葉が出てこない。やがて彼女は観念した様にがっくりと項垂れた。
……バルゲットもいれば、彼女以上に駄々を捏ねていたかも知れない。
イェーニスはメリアに悟られぬ様にこっそりとセレティナにサムズアップしてみせた。
「では話も纏まったので使節団の出立は三日後とする。セレティナ嬢、いつまでも子離れできないメリアが泣き出さぬ様しっかりと説得をしておいてください」
頭鎧の下で、ロギンスがくつくつと笑う。
*
「へ?三日後帝国に?セレティナさんが行くんですの?」
ウェリアスの何の気のない言葉に、エリアノールは慌ててカップを受け皿に戻した。
紅茶の香りがふわりと揺れる。
「ええ。使者の一人として随行するのだとか」
「へぇ……三日後……」
「エリアノールも挨拶するならしっかりしておいた方がいいですよ。何せ彼女が王都を離れたら最低でも向こう二年は会えなくなるだろうからね」
ぶばっ!!
エリアノールは思わず紅茶を吹き出した。
「ぐぇっほ!うぇっほっ!に、二年!?二年も帝国に行くんですの!?」
「いや違う違う。何を言ってるんだエリアノール」
「え、でもお兄様は今二年会えなくなると」
「セレティナの夢は騎士になる事でしょう?騎士の訓練校には十五から行く事ができる。彼女は王都を離れた後十五になるまでの間アルデライト領で過ごすつもりでしょうからね」
「……しかしお茶会に呼べば来るのでは」
「貴女は彼女の夢の邪魔をするつもりですか?セレティナは強いと言えど女性だ。騎士になるというのなら積み重ねなければならないものは幾らでもある」
「……そうか……そうですわよね……」
少なくとも二年、かぁ。
ぽつりとエリアノールは呟いた。
二年。
七百三十日。
セレティナが側に居ない時間……それほどの時間が流れれば、この胸の奥に燻る気持ちは風化してくれるのだろうか。
エリアノールはカップに溜まる夕焼け色の紅茶を覗き込んだ。
波紋に揺れる夕焼け色の彼女は、まるで浮かない顔でエリアノールを見つめていた。
「お兄様は寂しくないんですの?その……セレティナさんと長らく会えない事になって」
「寂しい……か。いや、良い機会だと僕は思っています。此度の事件で思い知ったんです。王子だなんだと持て囃されてはいても、僕は戦場ではただの案山子だった」
ウェリアスは、目を細めた。
引き結ばれた一文字の口には、ありありと悔しさが滲み出ている。
「強くならなくてはいけない。成長しなくてはいけない、そう思ったんです。いつか彼女に相応しいと思われるくらいの男になれる様に……」
「お兄様……」
その表情を、エリアノールは初めて見た。
ウェリアスは、兄は、少なくともセレティナに刺激されて自らの殻を破ろうと踠いている。
二年後。
その先を見据えて。
「それよりエリアノール、貴女ディオスと何かあったのですか?」
「え、ディオスお兄様?……あっ」
「急に泣き出して逃げ出されたと困惑していましたよ彼」
そう言えばそうだ。
あの日、エリアノールはディオスに怒鳴ってから会っていなかった。
……ディオスからすれば何がなにやらと言ったところだっただろう。
エリアノールはディオスの心中を察すると、やってしまったと空を仰いだ。
セレティナさんの事が頭にいっぱいで兄を蔑ろにして。
悪いのは自分だというのに。
……何をやってるんだろう、私。
「それに関しては……申し訳ありませんわ。今度私からディオスお兄様に謝罪を入れておきます」
「ええ、お願いします。彼相当落ち込んでいましたよ」
「え、そんなに……?」
「ディオスはああ見えて、エリアノールの事が好きですからね」
ウェリアスはそう言って微笑んだ。
器量の良い貴公子の笑みは、画になる。
ウェリアスもディオスもどちらも自分にとっては過ぎた兄達だと、エリアノールは素直に思った。
どちらも優れていて、優しくて、格好良くて。
そしてどちらもセレティナを好きになる。
セレティナも、そんな兄達に恋する日が来るのかも知れない。
エリアノールはゆっくりと瞼を閉じた。
ツンと伸びた睫毛が、小さく影を落とした。
……瞼の裏側で白銀の王子と、黄金の姫が並び立つ。
……お似合いだ。
……いいなぁ。
……女々しいなぁ、私。
エリアノールは、ゆっくりと空を仰いだ。
春だというのに、心は寂寞とした秋の様な空模様を描いて、エリアノールの体をじんとした孤独感がゆったりと満たしていく。
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