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リキテル・ウィルゲイム

 


 *




 満月の夜、闇を切り裂く様に鎌鼬が駆け抜けた。


 ……いや違う、あれは鎌鼬などではない。

 人間だ。


 魔物が犇めき合う黒の海に家鴨が獲物を求めて水面下に身を潜らせるように、赤毛の青年は限界まで体勢を低くしてそこに滑り込んでいく。


 その動きは人間というよりは獣のそれに近い。

 研鑽された技術ではなく、野性だ。

 青年の両手にはそれぞれククリナイフが握られ、妖しげな曲線を描く白刃が月光を鈍く照り返しいる。



「ひぃ、ふぅ、やぁ、とぉ」



 青年の琥珀色の瞳が、彼の周囲に蠢く黒達一つ一つの動きを明確に捉えていく。


 海流の流れに身を任せた様に魔物の間を縫った青年は、両の手のククリナイフを走らせた。

 ネコ科を思わせるしなやかな筋肉と柔らかな躰が、一見滅茶苦茶に見える軌道で白刃を閃かせた。


 黒の大群の中に、紅い鮮血が飛んだ。

 心胆を寒からしめる魔物の悍ましい雄叫びが夜闇を切り裂いた。


 青年の瞳は次の獲物を求めている。

 ペロリと舌舐めずりをすると自らに伸びてくる数多の腕の更にその下に身を潜らせ、その股座に強烈な一閃を刻み込んだ。



「ははっ」



 青年は笑った。

 それは彼が計って出した笑い声では無い。

 恐怖により引き出されたものでも無い。

 彼の、その獰猛な笑みを見れば理解できるだろう。


 楽しいのだ。


 魔物の群れは彼に追いすがる。

 青年はそこに戸惑いなく飛び込んでいく。

 観客の伸ばす手の中に、ハイになったロックシンガーがダイブする様に。


 青年はククリナイフを逆手に握り、自ら錐揉み回転しながら魔物の群れに突っ込んだ。

 黒々とした無数の手は彼を捉える事は出来ない。まるで浮雲だ。

 するすると摺り抜け、しかし劈く雷鳴の様な斬撃が魔物の海を駆け抜けていく。


 そう、まるで鎌鼬だ。


 青年は戦場で笑う。

 堪えようと、奥底から湧き出る笑いを奥歯で噛み締めている努力さえ見える。


 そんな青年の様子を少し離れた丘の上から十人幾らの騎兵が、呆然と眺めていた。

 皆が呆気に取られ、呼吸をする事すら忘れてしまっている。



「……彼の名を、何と言ったか」



 老いが差し白髪が混じるその騎士は口髭を僅かに震わせながら、誰にともなく問い掛けた。

 彼の隣に並び立つ若い彼もまた、俄かに信じがたい光景を前に声を震わせて答えてみせた。



「……リキテル・ウィルゲイムです。先日騎士に叙任された平民上がりの……」


「なんと……では中級上位の魔物を倒したというのは真であったか……」



 老騎士は、思いがけず唾を飲み下した。

 あの荒々しさ。

 あの傍若無人な獣の様な立ち回り。

 自分の命を何だと思っているのか。

 老騎士は、彼の異質な存在感に戦慄した。



「叙任早々ロギンス様に決闘を申し込んだ事があると聞き及びましたが、確かにあの実力なら……」



 若い騎士はその光景を見逃せない。

 たった一人の男が、自分達が撤退も止む無しと判断した魔物の群れを蹂躙していくその様を。



「現れるものだ」



 老騎士は、目を細める。



「飛び抜けた天才というのはどの時代にも現れる。かの英雄オルトゥスや、ロギンス様の様な天才がな」



 老騎士の悟るような口調に、若い騎士の背筋にぞわりと冷たいものが走った。



「彼は……時代に名を連なる英傑達に匹敵すると、そう仰っておられるのですか?」


「さぁな、英雄と呼ばれるには強いだけでは足りぬ。しかし弱くては英雄足り得ない。リキテルはまだ若い。彼が英雄程に強くても英雄足り得るにはこれからの身の振る舞いが左右するであろう」



 しかし……。

 老騎士はリキテルの戦いぶりを見て、嫌な予感しか感じられない。



「……あれは少々危険だ。命の駆け引き、強さの優劣を示すことに快感を感じるタイプだ。酷だが、彼は早死にする」


「早死……」


「自分の命を軽んじている者は生き残れない。あの戦闘スタイル、誰からも師事を得られなかった我流のものであろう。……彼の不運は師を得られなかった事、これに尽きると私は思う」



 老騎士が語り終える頃に全ては終わっていた。


 緩やかな丘の下には二十を超える魔物の骸が転がっており、辺りには異臭と赤黒い血の海が形成されている。


 その中央に佇むのは、返り血に染まり上がった一人の青年。


 両手に握ったククリナイフをだらりと垂らし、切っ先からはぽたぽたと紅の雫が垂れている。


 リキテルは虚脱感からかまるで呆けた様に棒立ちだった。

 口を開け、虚ろな瞳で満月を見据える彼の全身を這い回るのは、快感だった。


 絶頂エクスタシー


 リキテルは、ぶるりと身を震わせた。


 強者の前に心臓を曝け出すじりじりとした焦燥感。

 そして死線を乗り越えた時の射精をすら超えるオーガズム。


 彼はこの瞬間、耐え難い快感を得る事が出来る。


 もっと。

 もっとだ。


 全身の筋肉が、だらりと弛緩する。


 リキテルは既に次を渇望している。


 魔物でも……人間でもいい。

 もっと、強者との闘争を。


 絶頂を迎えた直後の彼の理性は、少し砕けてしまう。

 いつもそうだった。

 血と肉が、彼の事をおかしくさせる。

 普段の彼は危険には見えないどころか気の良い好青年にすら見えるのだから。


 リキテルの瞳に映るのは、ロギンスの背中。

 満月に映るそれに、リキテルは手を上げてゆっくりと求めた。


 強者と戦いたい。

 もっと。

 もっと、もっと。


 彼はにんまりと満月に微笑みかけた。

 まだ見ぬ死線に恋をしながら。



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