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王の言葉

 



 *



 数日後。



 太陽に手を翳してみる。


 初雪の様に白く、ガラス細工の様に滑らかな掌に光が透過して、僅かに赤い血潮が目に見える。


 ……私は、弱い。


 セレティナはほうと息を吐いた。


 今はその滑らかで美しい掌が、彼女にはとても儚く弱いものに見えてしまう。


 騎士になる。

 目に見える全てを救う。

 王の剣となる。


 ……それがどれだけ大それた事か、セレティナは酷く痛感していた。


 自分にどれだけの事ができて、自分の弱さにどれだけ耐える事ができるのだろうか。

 セレティナは庭園を一望できるバルコニーの手すりに背を預けると、その表情に陰を落とした。


 息を吐き、首筋の紋章に触れてみる。

 返ってくる感触は自分の柔肌が指の腹を押し返す柔らかいものだけだ。

 しかし、セレティナには瘡蓋かさぶたの様にゴツゴツと忌々しい感触に感じてしまう。


『黒白の魔女』。

 セレティナにはオルトゥスが残してしまった忌まわしい因縁を片付ける使命もある。


 ……少し憂鬱だ。


 セレティナは自分の将来を憂い、肩を落とした。



「何か悩み事かね」



 厳かな、しかし落ち着きのあるバリトンがセレティナの鼓膜を揺らした。

 セレティナは遣る瀬無さからゆっくりと頭を擡げる様にして声の主を視線で辿り、驚愕から目を見開いた。


 真紅の外套。

 たっぷりと蓄えた口髭。

 頭には彼の立場を確然と表す黄金の王冠クラウン


 老いが差し始めた皺をゆっくりと刻みながら、国王ガディウス四世はセレティナに微笑みかけた。


 セレティナの喉の奥がひゅっと縮まった。

 思わず膝を突き傅こうとし、すんでの所で思い留まった。


 そう、今の彼女は淑女レディーなのであるからスカートを汚して傅くのは不味い。


 セレティナは膝を突こうとしたのを悟られぬ様に、自然な流れでスカートの端を摘んでカーテシーをしてみせた。



「国王陛下、ご機嫌麗しく存じます」


「そう硬くならずとも良い。なに、可憐な少女が気落ちしてた様なので声をかけてみただけのこと」


「陛下の深き配慮に平に感謝致します」



 セレティナはそう言って、より一層頭を深く下げた。

 本音のところで言えば膝を突いて傅きたい。セレティナは自分の敬意と感謝を示したくて、そのまま床に頭をめり込ませんばかりに平伏した。


 そんなセレティナを見てガディウスは目を丸くし、堪らずと言った具合にくつくつと笑った。



「メリアに似ているとは思っていたが、そういうところはバルゲッドに似ているのだな」


「……父に似ていると言われたのは初めてにございます」


「そうであろう。中々に男臭い男であるからな其方の父は」



 そう言ってガディウスはにこりと微笑んだ。

 その優しげな微笑みに、セレティナの胸の奥が感激でじんと熱を帯びる。



「して何か悩みがあるのではないか?酷く気落ちしているようであったぞ其方の姿は。私で良ければ何か申してみよ」



 ガディウスが実の父であるように優しくセレティナに問いかけた。

 セレティナは、逡巡してしまう。

 陛下に自分の悩みや不安など打ち明けて、困らせる事などあってはならないのではないか、と。

 セレティナは国王の事になれば中々に石頭だった。

 口を噤み、おろおろと視線を彷徨わせるセレティナにガディウスは既に悟っていたかのように語り出した。



「メリアは其方の所為だと言ったのか」



 ガディウスの言葉に、セレティナは顔を上げた。



「セレティナ、其方はよくよく頑張った。此度の事件にて多くの貴族の命を救い、ロギンスが目を覚ますまで目覚ましい活躍をしてくれた。これは大変に素晴らしい事だ。死んだ者や怪我をした者がいたとて誰が其方の事を責められようか」



 良いかセレティナ。

 ガディウスは続ける。



「全てを救おうとするその心は素晴らしい。だがな、救えなかった者がいたからとてそれは其方の所為では無い。人間、全知全能では無いのだから。二本の腕に抱え切れるものなどたかだか知れるものよ。セレティナ、其方は強い。強いからこそ、弱きの痛みを抱える事ができるのだ」


「しかし弱きの痛みを抱える所為で自身を傷つけちゃいかん。セレティナ、其方は、其方自身が一番自分の事をよく見てやるのだ。其方は頑張った。だから下を向かず、上を向いて胸を張ってみせよ」



 ガディウスは髭を撫でると、にこりと笑った。




 ……嗚呼、やっぱり。




 セレティナの背に突き刺さった氷塊が、じんわりと溶けていく。

 ガディウスの言葉のひとつひとつが、すんなりとセレティナの心の奥まで染みいるのを彼女自身が感じていた。



 ……私はこの方の騎士で、本当に良かった。

 ……そして、これからも。



 セレティナは、ガディウスの言葉に敢えて言葉を返さない。


 ただ腰を折り、深々と頭を下げた。

 手は前に。されどその手は硬く握られ、震えている。



「……ありがとう、存じます」



 声は震えて。

 されどその声音の端々には、やはり今までにない活力が漲っていた。


 ガディウスはそんなセレティナを見て、やはり微笑んだ。



「其方の初社交界デビュタントをこのような事に巻き込んで済まなかったな。……謝罪の意と此度の事件に貢献した褒美の意を込めて、何か私が其方にしてやれる事はないか」



 セレティナはその言を受け、ゆっくりと頭を上げた。

 そこには先程の落ち込んだ様子は感じられない。


 ……意思の強い瞳になったな。

 ガディウスは髭を撫で、僅かに口角を上げた。


 セレティナは、小川のせせらぎの様に澄んだ声で言葉を紡ぎ出した。



「……では一つだけ、陛下にお願いしたい事がございます」


「ほう」



 ガディウスは意外だ、と言った風に目を開いた。

 褒美など勿体ない、と先程までの様に恐縮すると思っていたからだ。

 願いがあるのならば、受け入れてやりたい……ガディウスはセレティナの次の言葉を、高揚しながら待った。



「手紙を……いえ、封蝋だけでもお貸し頂きたく」


「封蝋を?何故だ」


「会いたい人物がございます」


「ほう、会いたい人物とな。それは……誰だ?」



 ガディウスの問いに、セレティナは僅かに拍を置く。

 しかしセレティナはガディウスの翡翠の瞳を真っ直ぐに捉えた。



「ベルベット大旅商団キャラバンの女頭領……イミティア・ベルベットです」



 イミティア・ベルベット。


 セレティナからその人物の名が出るとは欠片すら思わなかったガディウスは、目を見開いた。



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