お姫様抱っこ
それを見た瞬間、ウェリアスの喉が干上がった。
血が瞬間に沸騰し、思わず駆け出していた。
ロギンスが、セレティナに剣を向けている。
ウェリアスを突き動かすには十分の理由だった。
駆け、肩ほどまで伸びた銀髪を大きく揺らしながらウェリアスは対峙する二人の間に割って入った。
「ロギンス!貴方には見損ないましたよ!」
ウェリアスの翡翠の瞳が、鋭くロギンスを睨みつけた。
聳える漆黒の騎士は、一寸たりとも身動がない。いや、困惑に硬直している様にも見える。
ウェリアスはロギンスのそんな態度に、ますます怒りの焔が燃え立った。
「婦人に剣を向けるなど、騎士として余りにも礼に欠ける!それに……!」
幾らセレティナを疑ってるからとて、起きた早々剣を向けるのは方法が間違っているだろう。
ウェリアスはついて出そうになったその言葉を、寸出のところで飲み込んだ。
ロギンスはそんなヤキモキしているウェリアスを見るにつけ、得心したように「ああ」と向こう鎚を打った。
「王子。何を誤解されているかは分かり兼ねますが、これはセレティナ嬢と同意の上にございます」
「なに?合意?」
ウェリアスは汗を一つ拭うと、背に回したセレティナに振り返った。
セレティナは少しきょとんとすると、
「合意……。ええ、確かにロギンス、さんに剣の稽古を付けてもらっていたところですが」
何がなんだかわからない、と言った様子で答えた。
「剣の稽古、ですか……。先程起床したばかりであると、聞き及びましたが」
「ええ、どうにも調子が良くて。具合を確かめたくて王国騎士団長様のお手を煩わせてしまいました」
申し訳ございません。
セレティナはウェリアスとロギンスに深く頭を垂れた。
ロギンスは実は仕事があったのに自分に付き合ってくれたのではないか、と勘繰ったからだ。
しかしロギンスは首を横に振ると、笑ってみせた。
「いえなに。最初に腕を試そうと進言したのは私ですからね。セレティナ嬢が気に病む事は何もありませんよ。それより、王子は何故ここへ?」
「え。ああ……。セレティナが起きたと聞きましたからね。見舞いに行けば蛻の殻……。それにロギンスまでいないというのですから、こうして走って探し回ってたわけです」
ウェリアスは流れる汗をハンカチーフで拭いながら、ロギンスを睨みつけた。
「王子、幾ら私とて斯様な麗人に出会い頭に剣を向ける事などありはしません」
例え魔女の手先の疑いがあるとしても、ね。
ロギンスはウェリアスにのみ聞こえる様に、彼の耳にそれを囁いた。
「私はセレティナを信じている」
「……ええ。私も信じてみたい気持ちになりましたよ」
「え?」
「彼女の剣は……いや、彼女の魂はかの英雄に似ている」
それはどういう。
ウェリアスがその真意を聞く前に、ロギンスは彼の側から離れていた。
頭鎧の下の彼の表情は、どんなものをしているのかは分からない。
「ではお邪魔虫な私はこれにて失礼します。セレティナ嬢、お相手してくださりどうもありがとうございました」
「いえ、此方こそ業務の合間にありがとうございました」
「……貴方の魂に、精霊の加護があらんことを」
失礼。
ロギンスは『ゲートバーナー』を背に担いで品良く腰を折ると、颯爽とその場を去っていった。
……ざざ、と春の暖かな風が強い修練場の芝を撫ぜた。
僅かな静寂がセレティナとウェリアス、二人の間に流れる。
ウェリアスは翡翠の瞳で、真っ直ぐにセレティナの群青を捉えた。
「セレティナ、大丈夫ですか」
ウェリアスの声は柔らかかった。
先程までの切迫したものは感じられない。
「ええ、勿論大丈夫です。ご心配お掛けして申し訳ありませんウェリアス王子殿下」
「ウェリアスで良い。堅いのは嫌いでしてね」
「……承知しましたウェリアス様」
楚々としたセレティナに、ウェリアスは満足気に頷いた。
「それよりも体の方は大丈夫なのですか?起き抜けに剣を振るっていたのでしょう?」
「ええ、不思議と快調も快調で。試しに剣をとここに来たのですが、やはりなんともないのです」
「成る程……それなら良いのですが……っと!?」
ガクン!と。
セレティナが膝から崩れ落ちた。
まるで今まで支えていた力がすとんと抜け落ちた様に。
崩れ落ちるセレティナを、ウェリアスは何とか抱き留めた。
ふわりと香る、甘いセレティナの匂いが彼の鼻腔を蕩かした。
「……っとと。セレティナ、大丈夫で……いや、大丈夫じゃないですね」
「あれ……。急に力が……はは。幾ら何でも三日振りにあれだけの運動は体が付いていかなかったみたいです……。そ!それより、その申し訳ございません!芝の上に転がしてもらって良いですから……」
「その様な事、するわけないでしょう」
ウェリアスはそう言って、徐にセレティナの華奢な体を抱きかかえた。
ふわ、とした浮遊感にセレティナは驚き、暴れた。
「ちょ、ちょっとウェリアス様!離してください!斯様な事……!恥ずかしすぎて……!」
セレティナはバタバタと暴れた。
今までお姫様抱っこなど、前世も含めて小さな時に父のバルゲッドにしかされる事が無かった。
恥ずかしい。
恥ずかしすぎる。
セレティナの中で未だ燻る男の性が、羞恥に悶絶した。
「暴れないでくださいセレティナ。元より貴方は歩けないのですから」
「歩けるまで放っておいてください!」
「春とは言え未だ寒い事に変わりはありません。男たるもの放っては置けないでしょう」
「しかし……!」
「セレティナ」
あくまで落ち着けるように、ウェリアスの柔和な声がそれを制す。
その声音に、セレティナは思いがけず言葉を詰まらせてしまう。
「貴方の従者に聞きました。貴方は強い、と」
「…………」
「強く、勇敢で、美しく、周りの為に自分を犠牲にできる心の持ち主だとも」
ウェリアスは、続ける。
「だからあの様な無茶もできる。人の為と、自らの命を安く振る舞う事もあるでしょう」
「…………」
「貴女はもう少し周りに頼る事を覚えた方が良い。貴女を想う人間は大勢いるのですから」
僕もその一人です。
ウェリアスは微笑んだ。
セレティナは抱き上げられ、赤面しながらふいとウェリアスの視線から逃れた。
……その話は分かる。
分かるが、この抱き方だけはやめておくれ。
セレティナの声にならない叫びが轟きそうになったその瞬間だった。
「ぬわーーーーーにを良い雰囲気になっていますの!私もさっきから側にいましてよ!」
満を持して、頬をぷっくりと膨らませたエリアノールが叫んだ。
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