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伸びる手

 




 メリアは微睡みの海へ抵抗する事なく身を委ねた。


 その海は温かく、心地良い。


 メリアはやがて海面から、海中へ。


 それから光が射さぬ程の深海へと、落ちていく。


 落ちて


 落ちて


 落ちて。


 心地良い。


 メリアは微睡みに揺蕩う中で、夢を見た。


 家族四人。

 それはまだイェーニスとセレティナが幼かった頃。

 屋敷の庭でメリア、セレティナ、イェーニス、バルゲッドの順で手を繋いで散歩していた淡い記憶。


 皆が笑って、皆が楽しそうにしている。


 とても暖かい、良い家族だ。


 夢の中のメリアは、思いがけず頬が緩んだ。


 子供らしく腕白だったイェーニスは繋いだ手をぶんぶんと振り回し、逆に年頃にしては大人びていたセレティナは気恥ずかしそうにしている。


 父は息子に負けずその腕を振り回し、母は娘の頭を優しく撫ぜた。


 まるで、夢の様な時間。


 夢だけど、夢では無かった。


 それは、確かにメリアの胸に刻まれた暖かな記憶。


 そう、その記憶は確かに夢の様だった。


 孤児として産まれ、女だてらに剣を振り回し、愛を知らなかった私には上等な生だった。


 ありがとう、セレティナ。


 ありがとう、イェーニス。


 ……ありがとう。バルゲッド。



 私は、少し眠ります。



 メリアはそう呟いて、海の底にどこまでも、どこまでも……沈んでいくのだった。













 …………。


 ……五月蝿い。


 メリアは、思いがけず目を開いた。


 心地良い海底に沈んで、揺蕩っているというのに。


 メリアが胡乱げに海上へ視線を流すと、何かが海面を叩いている。


 ばちゃばちゃ、ばちゃばちゃ、と。


 何かを捲し立てながら、波風一つ立たない海面に大きな波紋をいくつも作っていた。


 なんと無遠慮で、なんと無作法か。


 メリアの心に小さな苛立ちが生まれる。


 静かで、神聖で、誰にも侵されず。

 自分だけの、自分の為のこの海に喧騒を齎らし、私の心地良い眠りを妨げる者は何処のどいつだ。


 海面のそれは、足掻いていた。

 不細工に、必死に、海面を叩いている。


 溺れているのか?


 ……いや、違う。


 あれは、私の海に潜ろうとしている。

 必死にその手を伸ばして、何度も何度も海中に潜ろうと藻搔き続けている。


 ……いや、潜ろうとしているんじゃない……何かを掴もうとしている。


 何を?


 メリアは辺りを見回した。

 暗い海中には彼女以外に見当たるものなど、何も無い。


 ……私か?

 あれは、私を求めているのか?


 なんと、無遠慮な。

 メリアは嘆息した。


 しかしどうしてだろう。

 嘆息する彼女は、その存在から目が離せない。


 苦しみ踠いているようなその存在の輝きを直視せずにはいられない。


 メリアは、それに応えるように手を伸ばしてみた。


 恐る恐る、と。


 メリアの滑らかな手が伸びて……



「うっ!?」



 その手を、力強く掴まれた。


 強引で、少しの配慮も無い力加減にメリアは呻いた。

 腕を振り回し、体をばたつかせてもそれは決してメリアの手を離さない。


 メリアは掴まれるままに海底から海面へ、恐ろしい速度で浮上していく。




 誰だ。


 私の手を掴んでいるのは。


 誰だ。


 私を海底から引きずり上げようとする粗暴者は。



 メリアは微笑んだ。


 メリアは自分の手を掴むその手を、その温もりを、知っている。


 その手は彼女より随分と大きく、ゴツゴツとしていて、それでいて腕は熊みたいに毛むくじゃら。



 全く。


 あなたったら、私がいないとやっぱり駄目なのね。



 それは、とうとうメリアを海底から海上へ引きずり上げた。








 *






 ……



 ……ア……



 ……リア………!



 ……………メリア!!!







「…………五月蝿いわね」



 ぼそり、と。

 メリアは呟いた。


 全身はバラバラに砕けそうな感覚。

 血は足りず、頭は回らない。

 視界は上から下へと流れていく天井。

 不規則に揺られる体から、自分が担架で担ぎこまれている事がなんとなく分かった。


 それから自分の手を握る暑苦しい手と、自分の顔を覗く暑苦しい顔。



「メリア……!!!メリア!!!目を覚ましたか!!!」



 バルゲッドの顔は、汁まみれだった。

 鼻からも目からも、ぼろぼろでろでろと汁が垂れ流しだ。


 それが可笑しくて、メリアは笑った。



「……酷い顔」


「メリア……!喋らなくとも良い……!生きよ!生きるのだ!生きる事に全てを注力するのだ!」


「ふふ……なにそれ」



 ぽた、ぽた、と。

 担架の梁から何か液体が垂れている。

 それが自分の血によるものだと、メリアは直ぐに気づいた。


 自分の体が、未だ危うい状態であるのは変わらない。



「貴方は……頑張ったものね」



 メリアは、働かぬ頭でぼんやりと思い起こした。

 嘗て自分がバルゲッドのプロポーズを承諾した日の事を。


 バルゲッドは、瀕死の体からなんとか立ち直ったのだ。

 メリアと結婚できるという喜び……死ななければその幸せを掴み取れるという、彼の強い生きる意志によって。


 夫が頑張ったのだ。


 次は、私が頑張る番。



「私、生きる。まだ、生きていたいの」



 メリアは微笑んだ。

 肌は青白く、唇は紫。

 紡ぐ言葉はどれも震えていて。


 されど。

 その微笑みには生きるという強い意志がありありと浮かんでいた。


 バルゲッドは頷いた。

 何度も。

 何度も何度も何度も何度も。

 鼻水と涙を振りまきながら。



 メリアを担いだ担架は、廊下を抜け、医療室に飛び込んでいった。


 魔法士と医師による集中治療の為、そこは何人たりとも面会謝絶。

 バルゲッドは己の手の骨が軋むほどに手を組み、神に祈りを捧げてメリアの担架を見送った。


 神よ。


 どうかメリアを助けてあげてください。




 ぐじゅぐじゅの髭面を晒したバルゲッドはいつまでも、いつまでも、治療室の前で祈りを捧げていた。




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