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愛する者

 



 セレティナは肌を叩く熱波を感じながら、とうとう宝剣を手放した。

 床に膝をつき、震える彼女は全てを使い果たした。


 体力はおろか、血も足りていない。


 左手のめくれ上がった肉が、ぐじゅぐしゅと血を吐き続けている。

 セレティナは痛みに呻き、堪らず嘔吐した。


 血も酸素も巡らない頭で、セレティナはただただ祈る。


 そのまま燃え尽きてろ、と。


 限界リミットだ。

 怒り……興奮……セレティナを奮い立たせた麻薬は既に切れた。

 彼女にはもう、一欠片程の体力さえ残ってはいない。


 げほげほと咳き込みながら、セレティナはなんとか頭を上げて燃え盛る炎を睨み据える。


 紅い光の中に、藻搔きのたうつ黒の影。


 影はきいきい、きいきい、と呻きながら



 ---その体をどろどろと、変質させていく。



「……くそ……」


 セレティナは思いがけず毒を吐いた。


誇りと英知を穢す者エスト・ティトゥ・セクタス』はまだ、死んでいない。


 セレティナは、立つ。

 震える体に鞭を打ち、奥歯を強く噛み締めて。

 霞む視界を振り払い、膝に手を突きながらなんとか立ち上がった。


 ……ふらり。


 セレティナの体が力無く傾いだ。

 しかし覚束ない足取りでなんとかバランスを取り、すんでのところで転倒を防ぐ。


 ……その姿は、風前の灯火だ。


 セレティナを見たものならば、きっと誰もがそう口にする。



 しかし奴は待ってはくれない。



 ……次の瞬間。

 立ち昇る炎が、シャンデリアの残骸と共に吹き飛んだ。


 轟音。

 飛んだシャンデリアの残骸がホールを囲うガラス窓を蹴散らして、爆発的な音を奏でた。


 焦げついた臭いと、吹かれた炎の熱波がセレティナの五感を包んだのはほんの一瞬だった。


 煤の中心。

 ダンスホールの中央にそれは立つ。


 その名を『誇りと英知を穢す者エスト・ティトゥ・セクタス』。


 黒の異形は形を変えて、セレティナの前に聳え立つ。


 その影は、その姿は。


 セレティナは、目を見開いた。




「……ディセントラ……」




 漆黒のポールガウンドレス。

 漆黒の瞳に、漆黒の肌。

 背筋が凍る程の美貌。


 白の要素は何処にもなく、されどそのシルエットはどうしようもなくセレティナの知る『黒白の魔女』のものだった。


 セレティナの拳が、震える。

 その瞳には、万物を焦がし尽くす程の怒り。






 その魔物の名を、『誇りと英知を穢す者エスト・ティトゥ・セクタス』。


 能力は変質と再生。

 弱点は魔法と炎。


 その八つの魔眼で人の心を覗き込み、【対象の相手が最も慈しみ、愛した人間の姿に形を変えて心を掻き乱す】という。



「オル、トゥス……」



 黒の魔女は、微笑んだ。

 まるで壊れた蓄音機の様な、余りに音調の取れていない声音でセレティナの真の名を告げる。


 それが。

 セレティナの神経を逆撫でる。

 セレティナの怒りが、更に燃える。



「その名を……」



 セレティナは、許せない。


 その姿で、その名を、魔物風情に口にされるのが堪らなく許せない。


 沸き立つ怒りは止め処なく。

 セレティナは疲労も限界も忘れて足元に転がる『エリュティニアス』を拾い起こした。



「呼ぶな……!」



 セレティナは、駆ける。

 既にその足取りに力は無い。

 言ってしまえば、走れている事が奇跡だろう。


 だがセレティナは駆ける。

 彼女を突き動かすは、明確な殺意。

 鋭利で冷酷な、凍えたナイフの様な感情。


 ……だがしかし。

 そんなものが戦場に於いて何の役に立つというのか。


 黒の魔女は微笑んだ。

 彼女は諸手を上げて、駆け寄るセレティナに抱擁さえ求めている。


 宝剣『エリュティニアス』が、鈍く煌めいた。


 ふらふらとした軌道を描き、それは何とか黒の魔女の肩口を捉えるが、しかしどろりと液状化した黒の魔女の体を力無く通過してしまう。


 黒の魔女は、微笑んでいる。

 そうして勢いを殺せぬセレティナの体をそっと搔き抱いて。


 次の瞬間。


 ダンスホールに赤の飛沫が飛び散った。



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