王国最強、立つ
お願い!目覚めて!
エリアノールの悲痛なその思いが、突飛な行動に走らせる。
彼女の脳裏に映るのは、騎士の誓いを交わした少女の姿。
守りたい。
エリアノールの想いは、その一心だった。
普段の彼女であれば決してする事のない過激な手段に、周囲の人間が響めいた。
ナイフが肉を抉る感触に、エリアノールの体温が急激に下がる。
「エリアノール!何をしている!」
ぐい、とガディウスがエリアノールの手を強引に引っ張った。
信じられないものを見ている、と言う父の顔にエリアノールの血の気が僅かに引いた。
「魔法薬が常に外傷を万事治してくれるという保証はないのだぞ!彼は次代の英雄!そうでなくても、思いつきで人を傷つけてはならん!」
「お、父様……!私は……セレティナさんを、助けたくて……」
「……良いかエリアノール。お前は良い子だ。しかし、刃物をこの国に生きる者に向けるなど言語道断で---」
カシャン!
金属が地を這う、硬質な音が轟いた。
エリアノールの足元に、血濡れのナイフが転がっている。
見上げれば、
「……お早うございます」
カンテラの明かりを妖しく照り返す漆黒の鎧。
上背のあるガディウスですら大きく見上げる程の偉丈夫。
彼は翡翠色のマントを鬱陶しそうに払うと、ドクドクと血の流れる左手をさすってみせた。
彼の名を、ロギンス・ベル・アクトリア。
オルトゥスが没した今、エリュゴール王国最強を冠する騎士にして、王国騎士団団長。
それが、ロギンスという男。
ロギンスは硬い動きで傅くと、
「……陛下。どうやら賭けはエリアノール姫の勝ちだった様です。姫の想いと柔軟な発想が、私を目覚めさせるに至りました。エリアノール姫、私に剣を取らせて頂く機会を頂き、平に感謝致します」
「ロギンス!起きたのか!体調は!何ともないか!?」
「……そうですね、左手が少々。痛うございます」
くつくつと、漆黒のヘルムの下から可笑しそうな笑い声が具曇って発せられた。
「そ、そうであったな。エリアノール!彼に魔法薬を!」
「はっ、はい!」
エリアノールの手から、小さな薬瓶がロギンスに手渡される。
ロギンスは軽く目礼すると、薬瓶の液体を慣れた手つきで手の甲に垂らした。
液薬が垂れたそばから発光し、貫かれたロギンスの傷がみるみるうちに癒えていく。
「……ふぅ」
握って、開いて、握って、開いて。
ロギンスは軽く確かめるように手を動かすと、納得いったように頷いてその手にガントレットを装着した。
「ロギンス。大丈夫か?」
「……ええ。何ともありません。久々に魔法薬を使いましたが、これはなんともはや奇妙な感覚で慣れないものです……それで」
ちらり。
ロギンスがエリアノールに目配せしてみせると、彼女はハッとしたようにロギンスに向き直った。
「王国騎士団団長、ロギンス。起きて早々ですが、貴方に火急の頼みがあります」
「……なんなりと」
「今、城は上級の魔物の出現と兵達の無力化により占拠されている状況にあります。そして、私の友人とその母親がその魔物と交戦している状態にあります」
「……夢の中で、全て聞き及んでおりました」
「では貴方にはその上級の魔物の討伐と、交戦中の親子の救出を命じます。……できますね?」
「……御心のままに」
ずん、と。
重厚な偉丈夫が立ち上がる。
ロギンスの立ち居姿は、正に英雄の姿。
漆黒の鎧に翡翠の外套を従えるシルエットは、英雄譚に謳われる騎士そのものだ。
「……手の怪我。申し訳ありませんでしたわ」
「……いえいえ。この状況で不意打ちとは言え魔法士に寝かされる私が悪いのですから。それに、あれくらいの痛みで無ければ起きる事は叶わないでしょう。姫には感謝の言葉もありません」
それに、と加えて。
「……国の危機に寝ていたのであっては、オルさんに叱られますからね」
「オルさん?」
「私の師匠。私の様な贋作ではない……本物の英雄、オルトゥスの事です」
そう言って、ロギンスは一本の剣を担いだ。
山の様に聳えるロギンスの上背と同じ、いや、それよりも大きく、重厚な巨剣『ゲートバーナー』をまるで紙粘土かと見紛う程に軽々と背に担ぐ彼の姿に、エリアノールの目も思わず丸くなる。
「……それでは、行って参ります」
「ええ。ご武運を」
「……頼んだぞ、ロギンス」
ロギンスの外套が翻る。
王国騎士団団長にして、王国最強の男。
その余りにも存在感のある背中に、この場にいる誰もがこう思った。
彼ならこの状況をなんとかしてくれる、と。




