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誇りと英知を穢す者

 



 名を支配する者(ユーズドネーム)


『上級』以上の魔物には名が与えられる。

 それは対象を畏怖せよという警告。

 そして語られるべき恐怖という観念。


 本来魔物は名を与えるべき存在ではないとされている。

 実際上級に匹敵すると言われた中級上位の魔物であろうと、名が与えられることはなかった。


 名を持つというのは、それ程の甘露。

 神から知を与えられた人間のみが呼び、呼ばれる至高の文明。


 だから魔物に名は付けない。


 その名が、その言の葉が、魔物に汚されるから。



 しかし。


 それでも。


 例外はある。



誇りと英知を穢す者エスト・ティトゥ・セクタス


 それはゆらりゆらりと上体を揺らし、ぎょろぎょろと八つの瞳を忙しなく蠢かせている。



 セレティナは、息を飲んだ。

 これで奴を見るのは、前世を含めて二度になる。



「……くっ」



 心臓の鼓動が不規則になる。

 剣を握る掌はじっとりとした汗を分泌し、口の中は砂漠の様に干からびた。



 恐れているのか、私は。



 セレティナはぎりりと宝剣を握り込んだ。



 違う。

 恐怖は、必要な物だ。

 必要なのは、恐怖を制御する鋼の精神。



 セレティナは深く息を吸い込んだ。

 そして細く鋭く、息を吐く。


 そうすると、体に幾らかの調子が戻ってくる。

 それはオルトゥスであったとき、戦の前に必ずやっていた彼なりのルーティーン。


 セレティナはまだ、息を細く吐いている。


 細く


 鋭く


 長く


 吐いて


 吐いて


 吐いて


 ……セレティナの呼吸が、ぴたりと止まる。


 セレティナの瞳に闘志が燃えた。


 そして次の瞬間、セレティナは弾丸の様に鋭く駆け出した。

 疾く、風よりも疾く。


 セレティナは叫ぶ。

 己を鼓舞する様に。


 離れた場所から、ケッパーとメリアが何事か叫んだ。が、彼女の耳にそれは入らない。


 セレティナの両手に握る宝剣『エリュティニアス』が鋭く唸った。

 銀色の閃光が、驚異的な速度で『誇りと英知を穢す者エスト・ティトゥ・セクタス』を肩口から袈裟懸けに捉える。


 その瞬間、硬質な音が轟いた。


 それは魔物と人の戦いに於いては聞くことの無い、剣戟の音。



誇りと英知を穢す者エスト・ティトゥ・セクタス』の左腕が硬質な剣に形を変えて、セレティナの宝剣を阻んだのだ。


 セレティナの剣は、通らない。

 セレティナの表情が、苦々しげに歪んだ。


誇りと英知を穢す者エスト・ティトゥ・セクタス』の八つの目が、ぎょろぎょろとセレティナの顔を捉え、やがて右腕がどろりと変質し、


 一閃。


 暴風の様な死が、セレティナの横を掠めていく。


 それは、絶死の一撃。


 剣に変質した『誇りと英知を穢す者エスト・ティトゥ・セクタス』の右腕を、セレティナの宝剣が僅かに軌道を変える事で彼女は死から免れた。


 それはセレティナの神域に通じる反射速度と、剣才……そして経験があればこそ。


 さりとて、セレティナの肝を冷やす一撃に変わりはない。


誇りと英知を穢す者エスト・ティトゥ・セクタス』は、セレティナが死んでいないのを不思議そうに眺め首を傾げていた。



「聞け!」



 セレティナが叫ぶ。

 この場の皆に聞こえるように。

 全ての息を吐き出した。



「こいつは『名付き』の魔物!命が惜しくば早々に立ち去れ!こいつの相手は私がする!」



『名付き』の魔物。

 周囲の貴族が、どよめきはじめた。

 ダンスホールに再び喧騒が訪れる。



「セレティナ様!」



 ケッパーが駆け寄ってくる。

 が、セレティナは一瞥もくれず叫んだ。



「来るな!足手纏いです!私を助けたいと思うのなら、皆を誘導して避難した後に騎士様を呼んできてください!」



 言って、二度三度『誇りと英知を穢す者エスト・ティトゥ・セクタス』と剣を切り結んだ。



「しかし!」


「私なら大丈夫です!早く行きなさい!私を困らせたくないのなら!」



 ぐっ……と、ケッパーは息を飲んだ。

 ケッパーは、どうしていいか分からない。

 ただ、セレティナの……愛する主人の言葉が、彼はどうしようもなくショックだった。



「早く!」



 セレティナが、叫ぶ。


 ケッパーは、全てを飲み下した。

 悔しさ、悲しみ、無力感……。


 そうして、踵を返して駆け出した。



 セレティナはそれを見て、僅かに微笑んだ。

 これでケッパーは、生存できる。



 セレティナは、『誇りと英知を穢す者エスト・ティトゥ・セクタス』を睨み据えた。


 そして彼女もまたセレティナの横に並び立ち、それを睨んだ。



「お母様……」


「セレティナ、貴女死ぬ気じゃないでしょうね」


「…………」


「馬鹿な考えはよしなさい」



 メリアは、懐から小さな薬瓶を取り出した。



「『誇りと英知を穢す者エスト・ティトゥ・セクタス』……。『上級三位』、だったかしらね」


「お母様……?」



 とん、とセレティナの肩に手が置かれる。


 下がってなさい。


 メリアはそう言うと、薬瓶を呷った。



「娘に手出しはさせないわ。あんたの相手は、この私よ」



 メリアの……子を守る母の、強い瞳が決意の色を宿した。


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