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光に溶ける闇

 




「次は是非俺と」


「いやいや、僕と踊りませんか」


「待て待て、私が先であろう」




 王子達とのダンスが終われば、気づけばセレティナを中心に人集りが出来ていた。


 これだけの気品と美しさを持ち合わせた公爵令嬢なのだ……蓋を開けてみるまでもなく、自明の理であった。


 母のメリア、そして父のバルゲッドは感無量の思いでその光景を眺めていた。


 王族との挨拶、ダンスも卒なくこなし、こうして貴族達に囲まれ……立派に淑女として成長した娘の姿に、父と母の胸の奥に熱いものが嫌でも込み上げる。



「まあ俺はなんにも心配してなかったんですけどね。父上や母上と違って」



 兄のイェーニスのみが、さも当然のようにあっけらかんとしていた。



「な、何を言うイェーニス。この私がセレティナの心配などするはずがなかろう。私は最初からセレティナの成功を信じていたぞ」


「そ、そうよ。私だって、心配なんてこれっぽっちも……。何せセレティナを教育してきたのは私なんですから」


「……よく喋る父上と母上だ」



 イェーニスは一つ息を吐くと、カクテルグラスをゆっくりと呷った。



「それよりも母上、そろそろ時間じゃないですかね。あいつ、ちょっと苦しそうです」



 イェーニスの言葉に、メリアはハッとして仕舞っておいた懐中時計を垣間見た。

 イェーニスの言う通り、時刻はセレティナの限界リミットを指し示している。



「そうね、ありがとうイェーニス。ちょっと行ってくるわ」



 きり、と表情を引き締めたメリアが人集りに向かう。

 セレティナは日に三度、特別に調合された薬液を飲まなければならない。

 その時間が迫っていたのだ。


 イェーニスは人集りを蹴散らさんばかりにセレティナの元に向かう母の姿に、少しばかり気が和らいだ。



 全く、気忙しい両親だ。



 ぽん、とイェーニスの黄金の毬栗頭にバルゲッドの手が置かれる。

 岩肌の様にゴツゴツとしたその手は、毬栗の棘をガシャガシャと力強く撫でつけた。



「な、なんですか父上いきなり」



 少し痛い。

 乱暴で配慮の無い……しかしどこか暖かみのあるその手をイェーニスは気恥ずかしそうに払い除けた。


 バルゲッドはそんな息子にふと笑いかけた。

 その眼差しには、やはり優しさが篭っている。



「良い兄になったなイェーニス」


「……どうしたんですか。いつもセレティナセレティナ言ってる父上が俺を褒めるなんて」


「そんな事はない。私はしっかりお前の成長も見ているぞイェーニス」


「……さいですか」



 イェーニスはぽりぽり、と頬をかいた。



「イェーニス。人の上に立つものが一番大切にしなくてはいけないものとは、なんだと思う?」


「なんですかいきなり」


「良いから答えてみよ」


「……根性、とかですか?」



 イェーニスの答えに、バルゲッドは朗らかに笑った。



「なんというか、そういうところはメリアに似ているのだなお前も」


「顔は父上似ですからね、残念な事に」


「残念とは失敬な。これでも茶会に行けば今でも婦人達に囲われるのだぞ」


「母上に言いつけますよ」


「はは。男同士の秘密は守るものだぞ」



 なんか、悪くないなこんな時間も。


 イェーニスは僅かに頬を緩めた。

 最近のバルゲッドは執務に追われる毎日で、イェーニス自身も稽古や勉学に勤しむ時間が多かった。

 食事の時間は家族四人揃うのが決まりではあったが、男二人でこうしてゆっくりと会話をするのは久しぶりかもしれない。


 今度父上の背中でも流してやるか。


 イェーニスはカクテルを傾けながら、そんな事を思った。



「それで、人の上に立つなんとやらがどうこうの一番はなんなんですか?」


「人を思いやる心だ」


「……なんか、普通ですね」


「ふふ、そう思うかイェーニス」


「ええ。違うんですか?」


「ああ、お前も大人になれば分かるさ。人を思いやる余裕の無い人間なんて、この世にゴマンといる。こんな世の中だ、多少は仕方ない事であろう……。しかし多くの上に立つものがそうであってはいけないのだ」


「……」


「人徳が無ければ人は付いてこない。優しさ無くして人は語れない……。お前は良い子だイェーニス。お前には妹を思いやれる心がある。その心は何より尊いものだ。私はお前が良い兄に成長してくれた事が心から嬉しいぞ」



 バルゲッドの手が、イェーニスの頭を撫ぜる。

 イェーニスは今度はそれを払い除けない。



「いずれ私は老い、アルデライト領はお前のものになる。私はお前の治める領地が今から楽しみだよ」


「……まだ気が早いですよ」


「はは、そうだな。だから励めよイェーニス。お前がいずれ領民と妹を守ってやれるようにな」


「……頑張ります」



 二人はボーイから葡萄酒を貰うと、お互いのグラスをゆっくりと鳴らした。



「まあ四年前お前が私の可愛いセレティナを街まで引っ張って行ったことを今でも根に持っているがな」


「ちょっと父上、それもう時効ですよ」



 父と息子。

 舞踏会場の一角には、男同士二人の穏やかな時間が流れていた。






 *






「すみません、少し風に当たってきます」


「分かったわ。でも体を冷やさないようにね」


「ええ、心得ております」



 メリアに別室に連れていかれ、牛が硬直する程に苦いと言われる薬液を飲み干したセレティナは暫しの休憩を設ける事ができた。


 幼少期より余程マシになったとはいえ、やはりセレティナの肉体は脆い。

 こうした夜会の途中に小休憩を挟まなければならない程には。


 気分が優れないのをメリアに悟られぬように、努めて笑顔を作りながらセレティナは部屋を出た。


 バルコニーにでも出よう。


 セレティナの足取りは重い。



「……ここが丁度良いかな」



 セレティナがバルコニーに出る扉を押し開くと、夜の乾いた冷風が吹き抜けた。

 じっとりとかいた汗が冷え、心地良い。



 体が冷え切らない様に気をつけねば。



 ふう、と息を吐くとセレティナは空を仰ぎ見た。


 満点の星空に、三日月が瞬いている。



「……良い夜だ」



 眼下に映る庭園の見事な花々は月光に彩られ、それもまた奥ゆかしい。

 アルデライト家の中庭も見事なものだが、やはり王城に設けられた庭園ともなればそれもまた筆舌に尽くしがたい程に美しい。


 月光と庭園。

 絵画のような光景がセレティナの心を打つ。


 男であった時は、花になどまるで興味が湧かなかったのに。



 セレティナは皮肉げに微笑んだ。








「月が綺麗ね」



 セレティナが、弾かれたように振り返る。

 背後のその気配に毛程も気づきはしなかった。


 それは、音叉を弾いた様に脳に直接染み入る少女の声。


 膝に迄かかる濡羽色の長髪は艶やかに月光に煌めき、紅色べにいろの瞳は夜を焼く宝玉の様に閃いている。


 屍人しびとのように白い肌に、漆黒のポールガウンドレス。


 モノクロの少女。


 彼女はゆっくりと、無警戒にセレティナの横に並び立った。



 セレティナと、モノクロの少女。



 光と闇。

 白と黒。

 太陽と月。


 凡そ鏡合わせの様な二人の存在が、並び立った。



 やがてモノクロの少女はゆっくりと、形の良いその口を開いた。





「こんばんはオルトゥス。貴方に会いたかったわ」




 少女は、恍惚な笑みを浮かべてセレティナの頬を撫ぜた。

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