その瞳は、優しく
「私と一曲、踊ってくれませんか」
「喜んで」
ウェリアス第二王子の差し出した手に、セレティナの指が柔らかく置かれる。
銀色の貴公子と、黄金の姫君が手を取り微笑みあう様は、まるで絵画をそのまま切り取ったかのよう。
ウェリアスの紳士的なエスコートにセレティナは鷹揚に応え、二人の男女はどちらともなく曲に合わせてステップを踏み始めた。
談笑していた者も、踊っていた者も、皆手を止めその様子に釘付けになってしまう。
肩ほどにまで伸びた王子の銀色の髪が揺れ、令嬢の美しい肢体が流麗に舞い円を描く。
美しい容姿の男女が手を取り、優美な曲に身を委ねる様子は、それだけで見る人の心をどうしようもなく惹きつけてしまう。
ウェリアスは微笑み、セレティナも応えるようにその華奢な腰を彼の腕の中に委ねた。
「自己紹介が遅れて申し訳無い。私はウェリアス。エリュゴール王国が第二王子、ウェリアス・ヘイゼス・エリュゴール・ディナ・プリシア。気軽にウェリアス、と呼んで頂ければ幸いです」
「存じております。三つ星と呼ばれる三つ子の王子の中に於いて、最も知性に優れている方と聞き及んでおります。ウェリアス様にこうして手を取って頂いて踊れる事が、私はとても嬉しいです」
セレティナの目が、満足気に細められる。
陛下の御子とこうして踊れる事に、やはり彼女は多幸感を感じていた。
死に、そこに無かった筈の未来の上を私は今なぞらえている。
王子の傍らに居られるなんて、私はなんと恵まれているのだろう。
セレティナはウェリアスのエスコートするままに、優美に舞う。
「私もこうして貴女の様に美しい女性と踊れる事を嬉しく思いますよ、セレティナ」
ウェリアスの囁きに、セレティナは意外そうに二度三度、と目を瞬きさせた。
「ふふ。王子様は口もお上手なのですね」
「まさか。僕は女性に嘘をついた事などありませんよ」
「美しい女性なら、沢山囲われた事でしょう」
「貴女の様に美しい女性を僕は見た事がありませんよ」
ぐっ、とウェリアスはセレティナの腰を抱き寄せた。
セレティナの長い睫毛を湛えた瞼が、ぱちぱちと落ちては開きを繰り返す。
ウェリアス王子は女性の扱いに長けていらっしゃるようだ。
……自分の様な女で無ければ、きっとその甘い囁きの虜になっているのであろう。
目前に写る端麗な貴公子の顔をぼんやりと眺めながら、セレティナは困ったようにはにかんだ。
反対にウェリアスは何かささくれ立った様に、心の中に波が出来た。
単純にこの女性が欲しい、と。
美しい見目を見たその時からウェリアスは意識下の深層で、そう思った。
自分が微笑みかければ簡単にセレティナは靡いてくる、とも。
関わってきた女性は皆そうだった。
耳元で優しい言葉を囁けば、皆一様に頬を赤らめて自分に身を委ねてくる。
女性達は熱い眼差しでウェリアスを……、そしてウェリアスの王冠を見るのだ。
彼は、そんな女性達の眼差しに酷く辟易してしまう。
僕を見ているのか。
それとも僕の身分が恋しいのか、と。
それはきっと、第一王子のディオスも同じ事。
女性に対しての不信、嘲り……そうしたものは社交界や茶会を重ねる事で、無意識に溜まっていった。
しかし……セレティナを見たとき、それでも良いと思ってしまった。
打算的にでも良い。
あの美しい女性が自分を見てくれるならと高揚し、王族である事に優越感を感じた。
そして今、こうして手を取りセレティナと踊っているのだが……。
まるで煙の様に、掴もうと思っても掴み所のない、不思議な感覚に捕らわれていた。
「貴女は、とても可憐だ」
「ありがとう存じます」
褒めそやしても、ふわりと笑うだけ
「先月からいい料理人を雇いましてね。良ければ今度食事でも?」
「ええ。機会があれば、是非に」
食事に誘っても、それ以上は踏み込んでこない。
「その群青色の瞳。とても綺麗だ」
「お母様譲りの瞳です。褒められるとやはり嬉しいものですね」
腰を引き寄せ、お互いの顔が息の掛かる距離にあっても動じる事はない。
決して、ウェリアスが冷たくされているわけではない。
セレティナの表情には、常に優しげな微笑みが浮かんでいる。
ウェリアスを見つめるその瞳には、慈愛と呼ばれる様なものさえ色めいている。
彼女の語る言葉は、全て真実だ。
……しかし、踏み込んではこない。
女性として、ウェリアスから愛を賜ろうという気概がまるで感じられない。
ウェリアスは、戸惑っている。
微笑みの仮面のその下で、彼は明確に困惑していた。
君は、欲しくないのか。
王子の傍らの席が。
心の中で問いかける。
セレティナは、相も変わらず微笑んでいた。
そう、それはまるで---。
まるで……、なんだ?
その瞳を、ウェリアスは遠い記憶の何処かで見た事がある。
打算も、情欲も無い、ただ優しげに自分を見つめる女性のその瞳を。
慈愛。
大人が、子供の成長を愛でる様な。
……大人?
いや、違う。
そう、ウェリアスは思い出した。
その瞳は、死んだ母親の---
……曲が、尾を引くことなく終わりを告げた。
「あっ……」
そっと、ウェリアスの手からセレティナの柔らかな手が離れていく。
セレティナは、やはり微笑んでいる。
まるで、子供を慈しむ様に。
……やはり、違う。
他の女性とセレティナはまるで違う。
セレティナの瞳に王冠が映る事は一度も無かった。
この人は僕を見ていてくれている。
どくん、とウェリアスの常に冷静な心臓が脈を打つ。
そして芽吹く。
彼の心に、小さな恋の花が。
そんな様子を第一王女のエリアノールが心底面白く無さそうに見つめている事には、誰も気づく事はなかった。




