モノクロの少女
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王城のとある一室。
従者の待合室として設けられた部屋に、アルデライト家の従者もまた控えていた。
ケッパーの心ここに在らず。
とん、とん、とん、とん、と一定の間隔で机を叩く指は規則的に、されど若干の彼の憂鬱を指し示していた。
物憂げな溜息を肺から吐き出すと、ケッパーは僅かに呻いた。
「セレティナ様……ご無事だろうか……」
ケッパーは「ああっ!」と癇癪を起こすと、短く刈り上げられた栗色の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱した。
侍女のエルイットはそんな彼を見るにつけ、何度目かの嘆息を吐いた。
それはこの部屋に来てから、幾度も繰り返された光景でもある。
「もう、ケッパーさんはそれ何度目ですか。男たるもの、しゃんとして主人の帰りを待つべきでしょう」
「これがしゃんとしてられるか。お前は見たかチビメイド。セレティナ様を舐めくり回すように見る下卑た貴族達のあの眼差しを。……嗚呼、そんな飢えた獣達の中に放り込まれてしまう我が主……おいたわしや……!」
「誰がチビメイドですか誰が」
「糞……お側に仕えられないのがこれ程に耐え難いものだったとは……!」
ケッパーはわなわなと震えた。
脳裏には、肥え太り脂ぎった貴族に手を取られるセレティナの姿。
ケッパーの奥歯がぎりぎりと軋んだ。
「もう、変な貴族はきちんとメリア様が弾いてくれるんですから大丈夫です。それにセレティナ様だっていつかは貴族のどなたかと婚約を結ぶ事になるのですから、今からそんな調子でどうするんですか」
「……セレティナ様が……、婚……や、く……」
だらだら、と。
ケッパーの全身から蒸した汗が流れ落ちた。
その瞳は絶望の色で濁り始めている。
「……あのですね」
じと、とエルイットの眼差しがケッパーを粘質に捉える。
「……貴族と平民は大抵結ばれないものですよ」
「……おいチビメイド。何が言いたい」
「ケッパーさんってセレティナ様の事が好」
「だぁーーーーっ!うるせぇうるせぇ!それ以上口を開くな!チビメイドめが!締めるぞ!」
「……男の嫉妬って見苦しいんですよね」
「はぁーーーーっ!やめろ!糞が!惨めになるだろうが!」
「ぷぷ。乙女に対してチビ呼ばわりする粗暴者はこれくらい言われても丁度良いでしょう」
コンコン。
これだけ騒いで尚、異様に鮮明に耳に届くノック音が二人の耳を叩いた。
従者しかいない部屋に来客、というのも珍しい。
「……」
臍を曲げ、憮然としたケッパーが顎をしゃくる。
エルイットはやれやれと大袈裟に身振りすると、扉に寄り、ゆったりとドアノブを引いた。
「あら?ここ……ではないみたいね」
その声は。
まるで音叉を弾いた様な音色だった。
実際に声が高いわけではなく、脳の隙間に染み入る様な、不思議なソプラノだった。
濡羽色の艶やかな髪を膝の辺りまで揺らすその少女は、底冷えする様な紅色の瞳でケッパーとエルイットを見るにつけ、ハズレくじを引いた子供の様に……しかし悩ましく溜息を吐いた。
病的なまでに白い肌に漆黒のポールガウンドレス。そして濡羽色の髪……モノクロの色彩の中に、ただ一つ紅色の瞳が、宝玉の様に煌めく様は異様に……しかし美しい。
エルイットは、目の前に佇む少女を美しいと思った。が、同時に恐ろしい……とさえ。
セレティナの美が天上より賜り祝福されたものであれば、対するこの少女の美は……まるで毒だ。
その美に魅せられた者を食らうために誂えられた、悪魔的な造形美。
何か人外に通じるものをエルイットはその少女から敏感に感じ取った。
「残滓が残ってるからここかと思ったのだけど……失礼遊ばせ。一つ聞きたい事があるのだけれど、宜しいかしら?」
くすくすと、モノクロの少女は微笑を浮かべながら問う。
「なんだ?俺らに答えられる事なら答えるが……」
何か、こいつはやばい。
その少女に対して若干の警戒レベルを引き上げながら、ケッパーは返す。
「貴方達の主人の名前を教えて頂戴」
「……何故、それを聞く?」
「……もう一度聞くわね。『貴方達の主人の名前を教えて頂戴』」
その命令が、音叉の反響の様にケッパーの脳に染み渡る。
心地よい音色だ……ケッパーはそう思うが早いか
「……セレティナ様、です」
まるで無意識の譫言の様に、主人の名前を呟いていた。
モノクロの少女は、満足気に瞳を細めると
「セレティナ……。そう、セレティナというの。うふっ」
セレティナ、という名前を何度も口の中で転がした。
まるで恋い焦がれ、愛しい人の名を囁く様に。
「邪魔をして御免なさいね。それじゃあ私はもう行くわ。ご協力、有難う」
モノクロの少女は、ひらひらと手を振りスカートを翻すと足取りも軽やかにその場を後にした。
ケッパーとエルイットは、呆然と見送るのみだった。
「なあ、今のは、なんだったんだ」
「さあ……私にも、分かりません」
「だよな……」
「ええ……」
何かとんでもないモノと対峙したのではないか。
ケッパーとエルイットはただ扉を見つめ、呆けていた。
ケッパーに至っては『主人の名前を喋らされていた』事に、全く気付きもせずに。




