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王よ

 




 王よ。


 我が尊き主よ。



 コツコツコツコツ。

 紅色のハイヒールが軽やかな音色を奏でる。



 御身の前に参上できる日を、私は待ち侘びておりました。

 嗚呼、今日という日はなんと素晴らしい日なのでしょうか。



 コツコツコツコツ。

 そこに、鎧の鳴る音はない。

 全身鎧フルプレートから、ドレスへ。

 どっしりとした足甲から、ハイヒールへ。

 巨木の様な身体から、硝子細工の様な身体へと。


 着ているものも、立場も、性別でさえ。

 何もかもが、最後にこの城を歩いた頃から変わってしまった。


 しかしオルトゥスは、変わらない。

 名や姿を変えても、王に捧げると誓ったその誇り高い魂だけは何物にも揺るぎはしない。



 目前の一際大きな観音扉が、二人の侍女の手によって恭しく開かれる。



 セレティナは、瞳を閉じて大きく息を吸い込んだ。

 ひんやりとした空気が肺に滑り込み、高揚した気持ちを幾らか和らげる。



 王よ。

 オルトゥスは、確かに生きております。

 今御身の前に、馳せ参じます。



 セレティナのツンと伸びた睫毛を湛えた瞳が、ゆっくりと開かれる。


 群青色が、ほんのりと煌めいた。






 *






 黄金の風が、その広いダンスホールに吹き抜けた。


 談笑していた紳士淑女の貴族達に、寂寞とした空気が伝播していく。


 一人が黙りこくり、目を見開いて一点を見つめる。

 そうするとその視線を辿る様に一人、もう一人とまたその一点に釘付けになっていく。



「アルデライト家だ」



 誰かが、そう呟いた。


 名君バルゲッド・ウル・ゴールド・アルデライト。

 その妻、メリア・ウル・ゴールド・アルデライト。

 そして昨年より社交界に姿を現して久しい長男、イェーニス・ウル・ゴールド・アルデライト。


 そして……



「なんと美しい……」



 男も女も、老いも若いも、皆がその少女に瞳を奪われていた。

 若い紳士達の顔にはほんのり赤が差し、淑女達でさえ嫉妬という感情を置き去りにして彼女に見惚れている。


 それはそう、王族の彼等も例外では無い。



「美しいですね……」


「ああ……可憐な……花の様だ……」



 主賓席に座す第一王子ディオスと、第二王子ウェリアスは、まるで譫言の様に口から言葉が漏れ出ていた。

 女性の扱いには慣れていても、特定の女性に対して興味関心を示してこなかった彼らにとってその反応はあまりにも珍しいものだった。


 そんな息子達を盗み見て、ガディウス四世は僅かに微笑んだ。



 此度の夜会、どうもきな臭い人間が引っ掻き回している様だが開催を強行したのはやはり正解であったか。



 ガディウスは王としてではなく、一人の父として息子や娘には愛する者を娶って欲しいという願いが有ったのだ。


 今まで息子達はどうも女性に対して良く思っていないきらいがあったが、あの反応を見れただけでもガディウスにとっては大収穫であった。


 しかし、美しい。


 ガディウスは蓄えた髭を撫でると、セレティナを見る目を細めた。


 あれならば、息子達の心が揺れるのも頷ける。

 確かアルデライト公爵家の長女であったな。

 あの容姿で今まで世に姿を晒す事が無かったとは。


 ガディウスはセレティナが病弱である事をどこかで伝え聞いていた。

 事あるごとにパーティの出席や、招聘を拒んでいた事も。



「王よ、そろそろ準備の方に」


「ああ、そうであるな」



 ガディウスは使用人の言葉に頷いて、のっしりと立ち上がった。




「皆の者。今宵は多忙の中集まってくれた事に深く感謝する。今年もまた『春』の開催の日を迎え入れられた事を私は喜ばしく---」



 ガディウスのテノールが、広く華美なダンスホールに心地よく響いた。


『春』の開催の喜びと、貴族達への日々の感謝、これからのエリュゴール王国の栄光を憂うガディウスの言葉が、身振り手振りを交えて伝えられる。


 貴族達は皆その声に耳を傾け、ガディウスに視線を集めているのだが……


 彼は気づいた。


 一人だけ、彼に注ぐ視線の熱量が余りにも違う。



 ---なんだ?



 ガディウスは語りながらも、その視線に応えるように目を向ける。

 其処には先程息子達が目を奪われていた美しい少女が、しゃっきりと背筋を伸ばして彼の事を穴が空くほど見つめていた。


 ガディウスと、セレティナの視線が交錯する。


 するとどうだろうか。


 セレティナの、群青色の瞳からきらりと光る何かが零れ落ちた。


 余りにも美しいものだったため、ガディウスは宝石が瞳から溢れたのだと思ったがそれは違う。


 涙だ。


 涙が、セレティナの美しい頬の曲線を滑って落ちた。


 ぽろりぽろり、と。

 一粒、二粒と。


 彼女はそれを拭う事は無い。

 もしかすれば、己の瞳から溢れる涙に気づいていないのかもしれない。


 言葉に詰まったガディウスは慌てて視線を外した。


 少し無遠慮だったかもしれない。

 しかしガディウスは、彼女の瞳をそのまま見つめる事などできはしなかった。

 それが何故かは、分からないが。



 そうして心に動揺を残したまま、ガディウスは開催の挨拶を終えた。


 騒ついた彼の心とは対極にある、ゆったりとした弦楽器の音色がダンスホールに響き始めた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 王族より遅れていいのかなぁ
[一言] これは・・・ありですね。
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