傾国の
「どうだ?」
「ええ、後は……次で最後ですね。……アルデライト公爵家で終わりです」
「そうか」
甲冑に身を包んだ衛兵は名簿を軽く叩くと、骨を鳴らしながら肩を回した。
気づけばすっかり夜の帳が下りている。
隣に並ぶ男も見るからに疲労の色が顔に見え、手に提げている角灯をぶらぶらと揺らしていた。
「それにしても今年の『春』はやけに警備が手厚いですね。話によれば鳳騎士団も来てるんでしょ?」
「ああ。……これは伝え聞いたところではあるがな、どうやら各地から集まってきていた貴族が全員襲撃にあったらしいぞ」
「……まじですか?」
「場内で男爵が騒いでいたのを衛兵が聞いたらしい。箝口令が敷かれているようだがこの警備の厚さを見るに情報は確からしいな」
「……なんかきな臭いっすね、今回の夜会は」
「ああ。……まっ、俺らみたいな人間には関係のないことだがな」
「はは。それもそうですね。……おっと、最後のお客さんがおいでなすったみたいで」
遠くから、明かりを提げた豪奢な黒馬車が近づいてくる。
二人はぴんと背筋を伸ばし、表情を俄かに引き締めた。
「アルデライト公爵家だ。招待状もここにある。問題は無いな?」
今回馭者を任されたケッパーが手綱を器用に操り馬車を停めると、男二人に申し出た。
角灯を持った男は渡された招待状を確かに改め「アルデライト公爵家に間違いないですな」と、招待状を丁寧にケッパーに返す。
「では行かせてもらおうか」
「いや、少し待ってください。馬車の中も改めさせてもらいます」
「なに?」
ケッパーの眉根が明確に顰んだ。
「馬車の中を改めるとはどういう事だ。招待状はこの通りあるではないか」
「え、ええ。ですが規則ですので」
「以前の『春』や『秋』では中を改める事は無かったと伝え聞いていたぞ。貴様は公爵家のお手を煩わせるつもりか」
ケッパーの人当たりの良くなさそうな器量も相俟って、更に鋭利な気配を発していく。
ぴりぴりとしたものを孕んだ声音に、衛兵は堪らず喉を鳴らした。
「しかし今回は違くて……警備の都合上他の皆様方にもやってもらっている事なので……」
「セレティナ様は……いや、アルデライト家は他の貴族とは格が違うのだ格が。貴様セレ……アルデライト家を煩わせる腹積もりなら---」
「ケッパーさん。控えなさい」
清流のせせらぎを思わせる、可憐な声がケッパーの耳朶を擽った。
馬車の扉が、いつの間にか開かれている。
月光に煌めく黄金の髪。
綺羅星の輝く星空と対極にある、春空を思わせる群青色の瞳。
真紅のドレスからすらりと伸びた手足は白磁を思わせ、滑らかに曲線を描いている。
セレティナがハイヒールをコツコツと鳴らし馬車のステップを使って降りてくる様を、衛兵二人は全てを忘れて見惚れてしまっていた。
余りにも現実離れした美の光景に衛兵達は動けず、しかし視線はセレティナから離せない。
「お兄様、お母様、お父様。降りてきてくださいませ。馬車の中を改めなければならない様ですので」
「ちぇっ、面倒だな」
「そう言うなイェーニス。規則は規則だ」
ぞろぞろとイェーニス、バルゲッド、メリア、それから侍女のエルイットが降りてきた。
「衛兵様、どうぞ中をご覧下さいませ」
そう言ってふんわりとセレティナは微笑んだ。
衛兵二人はその微笑みに見惚れ、熱に浮かされた様に呆けた。
「……衛兵様?」
「あっ!あ、ええ!では中を改めさせていただきます!」
困った様な笑みを浮かべるセレティナに、二人は慌てて態度を取り繕った。
その美しさに赤面してしまっている事は言うまでも無いが。
ぼうっとした頭で馬車の中を取り検める彼等の仕事のおざなりっぷりは、今日一番のものになった。
「ではもうよろしいですね?」
「はっ、はい!ご協力、ありがとうございました!」
「では行きましょうか」
そう言って、アルデライト家がまた黒馬車の中に乗り込んでいく。
セレティナもまた馬車のステップに足をかけて、思い出した様に振り返った。
「うちの馭者が無礼を働いて大変申し訳ありませんでした」
そう言って、セレティナは恭しく頭を垂れた。
「い、いえいえ!こちらこそ斯様な事にご協力していただいて本当にありがとうございます!」
「ふふ。そんなに恐縮して下さらなくてもよろしいのに」
セレティナ微笑み、ステップを鳴らして馬車に乗り込んだ。
「お勤めご苦労様でした。では御機嫌よう」
目を細め、白魚のような手をひらりひらりと振る彼女に、やはり二人は心臓を撃ち抜かれて赤面した。
ケッパーが馬に鞭打ち、馬車が動き出す。
ガラガラと車輪を鳴らしながら城内に入っていくそれを、二人は見えなくなるまで呆然と見つめていた。
「……なぁ」
「……はい」
「アルデライト家の……なんという令嬢だったか」
「セレティナ様……です」
「……今日一番に美しい姫君であったな……」
「はい……」
「名簿に拠れば今日が初社交界か……今年の『春』は、すごい事になるぞ……」
二人の脳に思い描かれるのはセレティナのあの微笑み。
あの微笑みが向けられればどれほどの有力貴族や王族が彼女に傾ぐのだろうか。
そんな事を思いながら、やはり二人の男は熱に浮かされた様に先ほどのセレティナを思い浮かべるばかりであった。




