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勇気

 





 セレティナが、吠える。


 汗の粒を振り払い繰り出される剣の冴えはますますキレていく。


 疾く、疾く、疾く。


 真紅のドレスが旋となり、黄金の髪を振り撒いて乱気流を生み出していく。


 夥しい触手の群れを斬り払い、時に衛兵達の盾となり、それでもセレティナは止まらない。


 一騎当千。

 剣を持つことすら想像に難い小さな少女の体によって、筆舌に尽くしがたい猛威が正に体現される。


 そうしてやがて、衛兵達の瞳にも決意と覚悟の焔が一層に燃え上がる。


 剣を力強く握り、魔物の体を斬りつけていく兵達に恐れは無い。

 セレティナの奮闘に感化された闘志と、セレティナが脅威を払ってくれるという安心感の二面が、兵達の力を際限なく漲らせていく。


 それからは一方的な蹂躙が始まった。

 返り血に真っ黒に染まりながら、兵達の振り上げる剣は止まらない。

 水気のある肉を切る音と、魔物の悍ましい絶叫、それからセレティナが操る剣の奏でる甲高い風切り音が場を支配していく。


 勝ちを急く気持ちと、勝利の確信が衛兵達の心の中に同居した。いや、同居してしまう。


 油断。


 僅かに緩慢した空気が彼らの間に流れてしまう。


 だから気づかない。






 体力の底をついたセレティナが、膝から地面に崩れ落ちた事を。





 魔物の瞳のない無機質なまなこはそれを決して見逃さない。

 大気を震わせる咆哮をあらん限りにあげると、全身の傷口から放射状にいくつもの触手が勢い良く飛び出した。


 群がった兵達がそれらを無防備に受けて、堪らず吹っ飛んでいく。


 僅かに隙の産みだした魔物が睨む先はただ一点のみ。

 魔物の殺気が、急速に辺りの温度を冷却していく。



「いかん!セレティナ様!」



 逸早く状況の異変に気づいたのはやはり隊長であった。


 片膝をついて胸の辺りを抑え、激しく喘鳴するセレティナは動けない。

 頬を上気させ、瞳の光が明滅する彼女は意識さえ無いように見える。


 魔物は、弾かれた弓矢の様に駆け出した。

 四本あった腕は既に一本、八本あった足も一本しか満足に動いていない。

 しかしその化け物は動かせる腕と足をばたぐるわせ、身の毛もよだつ動きでセレティナに迫っていく。


「お前達!セレティナ様を守れェ!」


 隊長の声が飛ぶ。


 全身の傷口から血を吹き上げながら、魔物はとうとうセレティナの元までやってきた。


 魔物は女性の怨嗟の慟哭を思わせる咆哮を上げ、血濡れた拳を振り上げた。


 間に合わない。

 追い縋る隊長の頭にそれが過ったとき、






「おおおおおおおおおおおおおお!!!!!」





 狂ったように叫ぶケッパーが、魔物とセレティナの間に躍り出た。


 走るのに邪魔な剣を彼は捨てていた。


 ケッパーは腕を交錯させ、ただセレティナを守る一心でその拳を受ける肉の盾となった。


 圧倒的な質量がケッパーを襲う。

 腕から肩までが粉々になる様な感覚を覚え、脳が激しく揺さぶられた。

 しかし彼は、その一撃をなんとか堪えた。

 踏み止まり、彼はセレティナの盾であり続ける。


 魔物が苛ついた様に、二撃三撃とケッパーに巨拳を打ち込んでいく。


 剣を受け続け目に見えるほどに威力の落ちた拳であるが、それでもその脅威的な威力に耐えられるのは、隊一番の力自慢のケッパーだからに他ならない。



「くそおおおおおお!俺だってやれる!やれるんだ!俺は臆病風に吹かれちゃいないぞ化け物!」



 ケッパーは、血を吐きながら叫んだ。

 セレティナを守りたい。

 その一心が彼の中に大きく、強固な芯を作り上げた。


 背後で荒く息衝く少女に、決して手出しはさせない。




 *




 ケッパーとセレティナに、特別な接点など無い。

 公爵令嬢と雇われ衛兵。

 その程度の仲であり、それ以上の感情は彼には無かった。


 しかし、今日の出来事はどうだ。

 ケッパーは捉えようの無い感情に襲われた。


 恐怖に絡め取られ糞尿を垂れ流す自分と、そんな自分の窮地を救いにやってきて素晴らしい力を披露する公爵令嬢。


 なんだよ、それ。


 セレティナの活躍を前に彼の中に渦巻いた感情は、羞恥と嫉妬だった。


 力の無い自分を情けなく思い、立場も力もあるセレティナを羨んでしまった。


 狡い。

 その力があれば、自分にだってそれくらいの大立ち回りができるというのに。

 その力があれば、こんな情けない事にはなっていないのに。


 ケッパーの心に、嫉妬の火種が燻った。

 醜い感情が、彼の体を駆け巡る。




 しかしセレティナが膝を突いた瞬間、ケッパーは致命的な事に気づいてしまう。


 自分にあの力と公爵の立場があって、尚あの悍ましい化け物の前に立てるのか?


 答えは、否だった。


 強いか弱いかの問題じゃない。

 身も竦む様な容貌のあの魔物の前に躍り出る事自体が異常だ。

 それにいくら剣が達者であろうとセレティナの小枝の様な身体であれば一撃でも貰えば死ぬのは容易い。そも怖くない筈なんてない。


 それなのに、何故戻ってきた?


 自分達を置いて、そのまま馬車に乗っていればこの戦場を離脱出来ていたというのに。

 そのまま馬車に乗っていれば、あの化け物の居ない世界に帰れるというのに。


 自分ならあの力があれば、あの悍ましい化け物の前に立てるのか?


 違う、断じて違う。


 気づけばケッパーは走り出していた。


 セレティナ様はこんなところで死んで良い人間ではない。

 死ぬなら自分の様な屑だ。

 あの少女の為になら自分の安い命を懸けるのも悪くはない。


 ケッパーは腰に下げた煩わしい剣を放り捨て、全力で駆けた。





 *





 腕の感覚はとうに無い。

 だらりと下がった腕がもう上がることは無い。


 それでも守る。

 意思は、鋼よりも硬い。

 全身を盾にしてケッパーはその拳を受け続けた。


 ……しかし五発目を受けた頃だろうか。

 ケッパーの隣にゆったりと死が寄り添った。


 あと一発さえ貰えば、死ぬ。


 死を知覚したケッパーは、笑った。


 なんとか耐え切った。


 吹き飛ばされていた衛兵達がセレティナの元まで漸くやってきているのを目端で捉えて、彼は皮肉気に笑った。


 自分が倒れても、他の兵達にセレティナ様を任せられる。


 今一度振り上げられた魔物の拳をぼんやりと眺めながら、ケッパーは安堵した。


 後は任せたぞ。

 そう彼は目を瞑って、








 彼の横を、白銀が擦り抜けた。


 突風が吹き抜けたのかとさえ思ったが、セレティナと違う豪快な剣撃が振り下ろされた魔物の拳を腕ごと切り飛ばした。


 その姿に、ケッパーの全身から力が抜けていく。


 その白銀は『疾風の』




「メリア、様……」


「娘を守ってくれてありがとう。貴方を雇って、本当に良かったわ」



 ケッパーは力無く崩れ落ち、意識を手放した。








 手負いの魔物はメリアの長剣を受け、首を飛ばされとうとう絶命した。


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