報告
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エリュゴール国王、ガディウス四世は立派に蓄えた髭を撫で付けると玉座に深く腰掛けた。
深く溜息を吐く彼の表情には、疲労が色濃く刻まれている事が見て取れる。
真紅の外套に煌びやかな王冠を戴くガディウスの堂に入った見目とは裏腹に、彼の心は明らかに痩せ細っていた。
エリュゴール王国は、問題が尽きない。
件の『災禍』以降、王国の国力は明らかに落ちている。
余りに多くの若人を失い、農業も兵も人手がまるで足りていない。
あの名家の治めるアルデライト領はこの時世でも右肩上がりの様だが……。
しかし今はまだ何とか凌いでいる、と言ったようなものだが火の車には違いない。
それに何よりガディウスにとって、引いてはエリュゴール王国が英雄を失ったのは余りにも大きな穴だ。
英雄とは存在するだけで人々の行く末を照らす希望の光だ。
向こう百年、このエリュゴール史に於いて彼のような英雄は現れないと言える。
それに何より……
「陛下、イミティア・ベルベッドから書簡が届いております」
「うむ」
僅かな期待を寄せ、ガディウスは側仕えの男からその書簡を受け取った。
イミティア・ベルベッド。
大陸を股にかけ、金に一度でも触れたものなら知らぬ者は居ないと言われるベルベッド大旅商団を纏め上げる女頭領であり、エリュゴール王国との関わりが "深かった" 人物だ。
彼女は世にも珍しい狼種の獣族でもある。
ガディウスは関係回復の為、イミティアに此度の夜会の招待状を認めたのだが……。
ガディウスは書簡に目を通すと眉間に大きな皺を刻み、嘆息をついた。
「陛下、やはりイミティアは……」
「ああ、来ないそうだ。致し方ない」
「あの小娘め……。陛下、やはりあの女は増長しすぎなのではないですか?いくら大国を動かせる程の財を築いている旅商団の頭領と言えど、この十年余りに無礼が過ぎますぞ」
「……そう言うでない。あれの気持ちも私には痛いほど分かる」
ガディウスは額に手を当てると、天井を仰ぎ見る。
ベルベッド大旅商団とのパイプを失ったのは、余りにも大きい。
ガディウスは十年前、イミティアが王城に殴り込んできた事を今でも昨日の出来事のようにさえ思い起こせる。
イミティアは泣いていた。
泣いて、ガディウスの胸倉を掴み言い放った。
『何故オルトゥスを殺した』と。
ガディウスはそれに応える事が出来なかった。
オルトゥスを生かす道があった事は否定できず、ガディウスはただ項垂れる。
仕方がなかったのだ、と言い訳でもするように汚い大人の言葉を彼女に投げかけた。
彼は尊い犠牲となったのだ、とも。
イミティアの忿怒の焔は更に猛った。
牙を剥き出し、獣のようにグルグルと唸る彼女に対して、ガディウスに続く言葉はない。
イミティアが、オルトゥスを愛していた事を彼は知っていたから。
愛する者を失う悲しみは、如何な痛みをも凌駕する事をガディウスは知っている。
イミティアは煮え切らず、乱暴にガディウスの胸倉を離すと射殺す睨みで彼を一瞥して、にべもなく去っていった。
……それ以来、ベルベッド大旅商団とエリュゴール王国との交流の一切は断絶する事となった。
この一件は、今尚王国の交易を苦しめる一つの大きな要因となってガディウスの頭を悩ませている。
ガディウスは一つ大きな息を吐いた。
「茶にしよう。今夜は『春』なのだ。各貴族に疲れた顔を見せてはなるまい」
「ええ、それでは直ぐにでも準備を---」
言って、乱雑に開けられる扉の音でそれは遮られた。
小太りの男が、大量の汗をかきながらガディウスに詰め寄ってくる。
「無礼な!王の御前であらせられるぞ!」
控えていた衛兵が行く末を遮るが、小太りの男は唾を吐き散らしながらガディウスに叫んだ。
「王よ!此度の夜会の招集、どういうおつもりかお聞きしたい!」
「まずは落ち着くが良い。其方は確か男爵の……」
「デブィア・エリュース・ニフル男爵にございます!」
「おお、デブィア男爵か。して、どうした」
「どうしたもこうしたも……!我ら招集をかけられた貴族は全て、この王都に来る道中になんらかの襲撃を受けております!魔物であったり賊であったり……!襲撃者に違いはありますが、全ての貴族が、です!」
「なんだと…!?」
ガディウスは堪らず玉座から立ち上がった。
全ての貴族が、だと?
冷や汗が頬を伝う。
今、この王国内で一体何が起きている……。
私も死ぬ思いでしたぞ、と叫びのたまわるデブィアは既に王の視界には入っていない。
血の気が俄かに引いて行く感覚と共に、嫌な予感がガディウスの体内を駆け巡った。




