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【第二巻発売記念特別SS・狂信者】4/4

 



 しかし側から見ればそれは本当に年頃の女性が美食を堪能しているだけの様に見え、よもや狂信者が自分の思考の深海を漂っているなど露ほども思う事はないだろう。



「部下を持つとは、やはり大変なものだな」


「あっ、私はもしかして何か粗相を……」


「いや、改めてオルさんの凄さを思い知らされた……それだけさ」



 窓の外を一望し、ロギンスは溜息を吐いた。



  「あの……よろしければお聞かせください」


「……何をだ?」


「オルトゥス様のお話を。あの英雄が、どのようにこの王国を生きていたのかを」



 エイフィアは少し遠慮がちに問うた。

 ロギンスは肩を竦めると、穏やかに語り出す。



「あの人は、私から言わせれば神ではない。等身大の人間にして、だけど真の英雄だったよ。私の様な贋作と違ってね」


「そんな事は」


「いや、いい。事実私は今でもオルさんの足元にも及ばない……単なる腕っ節でも、そのカリスマ性においてもね。それは国内外の誰もが評していることだし、私もそう思う」



 グラスを傾け、水を流し込む彼の瞳には哀愁が満ちていた。


「私は君の様にオルさんの勇姿を見て騎士を目指した者の一人だ。駆け出しの私は才能が無い上臆病……体もひょろっこくて、それはもう周囲の騎士達に馬鹿にされたものだ」


「……想像できませんね」



 にべもなく言ってのけたエイフィアに、ロギンスは笑みを零した。


 国の平均身長を大きく上回る上背に、鍛えられた鋼の様な筋肉……そして英雄オルトゥスに次ぐ武勲を上げた王国騎士団の団長を前に、ひよっこ時代を想像しろというのも無理からぬことだ。


 ロギンスはもう一口肉を食べると、続けた。



「私には才能が無い。弱いままだと思っていた。憧れのオルさんは天性の才があったからあそこまで強くなったのだとも」


「違うのですか?」


「違うとも言えるし、違わないとも言える」


「……?」



 エイフィアは小首を傾げた。



「想像してみろ。あの方は平民出の騎士だ。それも国内初の、な。剣の腕だけで騎士や英雄を続けられると思うか?」



 ロギンスは、当時を思い出す様に目を細んだ。



「英雄は、英雄。私も当時は君に似たような感情をオルさんに抱いていたよ。何でもその才能と誇り高さだけで跳ね除けてしまう超人だとな」


「……」


「しかし、あの人の強さは才能だけで作られた薄っぺらいものなんかではなかった。朝一番に修練場で剣を振り、備品を丁寧に磨き上げ、使用人達に挨拶を怠らず、苦手だっただろう教養を磨き上げ、己を律し、弱気に耳を傾ける……それらを継続して行えるのは、才能だけじゃない。あの人の弛まぬ努力と、決して驕らない心があったからだ」



 エイフィアは、聞き入っていた。

 神の振る舞いを決して聞き逃さぬように。

 そして更なる信仰心と昂りが彼女の胸に訪れた。



「俺もあの人を見習った。いや、あの人と同じ事をしていては決して追いつかぬだろうと分かっていたから更なる努力を積んだ。しかし、真の英雄にはやはり追いつけないものだな」



 ロギンスが誰よりも鍛錬を積み、日夜自分を追い込んでいる事をエイフィアは知っていた。ストイックを体現した彼女以上の鍛錬だという事も。


 ロギンスがオルトゥスを見習って自らを追い込んでいたと知れば、やはりエイフィアの体も更なる鍛錬を求め始めた。


 疼く体を苛め抜き、神に少しでも近づけると知り、彼女はこの食事会を直ぐにでも抜け出したくなったのだ。


 しかし、神はそんなことはしない。

 然るべき時に己を鍛え、然るべき時に体を休める。

 この葡萄酒と肉料理を好んだというのだから、それは立証されている。


 エイフィアは心の内で更なる信仰を深め、しかしそれはおくびにも出さずに行儀よくロギンスの言葉に耳を傾けた。


  神に最も近い男の言葉を、聞き逃すわけにはいかないのだから。



「団長もオルトゥス様を尊敬しておられるのですね」


「……君ほどのものではないがな」


「憧れの人と同じ装備を揃えるのも中々だと思いますよ?」


「む……君に言われるとはな」



  罰が悪そうなロギンスに、エイフィアはくすくすと笑いを堪えきれなかった。



「初めてお見かけした時は余りにもそっくりだったもので、神が復活したのかと思いましたよ」


「……それは残念な事をしてしまったな」


「いえいえ。世の中そう上手くいくものとは思っておりませんから」



 その後はお互い、和やかな会食が続くのみだった。

 ロギンスはエイフィアの本性を知り、エイフィアは神と崇めるオルトゥスの有り難い話が聞けた。


 この会食が果たして後に良い実を結ぶかは定かではないが、後何十代と国を支える騎士同士の初めてのまともな邂逅になったのは確かだろう。




 ◇






「次、お願いします」



 涼やかな女の声は、小さいながらも男所帯の修練場によく通った。


 エイフィアは額に浮かぶ汗のたまを袖で拭うと、軽やかに木剣を構えた。彼女の口調は硬いが品性があり、それでいて容姿も美しい。


 猫の様なぱっちりとした眼は多少きつい印象も人に与えるだろうが、それもチャーミングポイントだと捉えれば愛嬌があって良い。亜麻色のふわふわとした髪の毛は後ろで一つにくくられ、弾む度に色香が香るようだ。


 重ねて言うが、エイフィアは美しい女性だ。



「次、どなたか相手をしてくださる方はいませんか」



 しかし、彼女の問いかけに答える男はーー



「私がやろう」



  居た。

 漆黒の鎧に、翡翠の外套を従えて、エリュゴール王国騎士団団長のロギンスがそこに立ちはだかった。


 ピリピリと肌を弾く存在感は、今まで相対していた騎士達のそれとは比べ物にならない。ただ対峙しているだけで身が竦む様なその圧力に、流石のエイフィアもたじろいだ。



「お相手してくださるのですか」


「今は少々手が空いている。男達を代表して少しは小娘に威厳というものを見せてやろうと思っただけだ」



 ロギンスはそう言ってくつくつと笑うと、辺りを見回した。へばった男達が、汗だくでそこらにへばりついている。



「それに、国内でも最高峰の腕を持つ女性である君の力を試したくなってね」


「……それって一体どういう意味ですか?」


「話は後だ。位置につけ」


「……はい」



  無駄口を叩いていい雰囲気じゃなさそうだ、と判断したエイフィアは静かに木剣を構えた。


  距離は、凡そ五メートル。

 それだけの距離があるというのに、この圧迫感はどうだ。



「……」



 エイフィアは息が詰まりそうだった。

 得物は木剣だというのに、今にも首を落とされそうな恐怖。


 加えて自分の木剣はまるで紙屑ではないかと思ってしまうほどに頼りない。


 ロギンスと相対する事で、まるで鍛え抜いた自分の今までの努力という背骨が引き千切られたようだった。



「どうした? こないのか」



 国内最強の騎士は、不敵に笑う。

 その笑みが、エイフィアの足を動かす引き金となった。


 エイフィアは鋭く息を吐き、短く調子を取り戻すとロギンスの元まで一気に駆け抜けた。彼女の心境とは裏腹に軽快なステップは、日頃の鍛錬の賜物だろう。


 日々何百回と振るっているセオリー通りの剣筋が、ロギンスの首元を狙う。


 ロギンスは軽く半歩後ろに下がると、文字通り彼女の渾身の一振りをあやした。撫でる様な柔らかな剣がエイフィアの鋭角な一撃を往なし、彼女の無防備を曝け出す。


  一見勝負あり……だが、ロギンスは敢えてそこに追撃を加えない。



「もっと打ってこい、エイフィア・リックマン。まさかもう終わりか?」



 拍子抜けだと言わんばかりの口調に、エイフィアの頭にカッと血が上った。彼女とて努力の末に手に入れた力だ。侮られては、多少の苛立ちも覚える。



「まさか」



 エイフィアは精一杯の憎まれ口を叩くと、一気呵成にロギンスを攻め立てた。


 嵐の様な連撃はロギンスにとってしなやかで面白い、と評する事はできても、速さと重さはまるで評価に値しない。


 ロギンスはエイフィアの実力の底を確かめると、見切りを付け、木剣の柄に僅かに力を込める。すると、エイフィアの剣が空を舞うのは一瞬だった。


 くるくると宙を舞い、遥か遠くでからからと音を立てて転がった。


 静止する二人。


 一方は汗だくになり、肩で呼吸をしている。


 激しい消耗は、手を膝に置かねば立っていられない程だ。


 そして一方は涼しげに立っている。


 まるで何事もなかったかの様に一筋の汗すら流すことも、僅かに呼吸を見出すこともなく、ただそこに君臨していた。



「ハァ……ありが……ありがとう、ございました……」


「ありがとうエイフィア君。良い運動になった」



 エイフィアは、悔しい。

 騎士になり、男達を実力で下し、ある程度の実力はつけたものだと慢心していた事を思い知らされた。


 それは恥じるべきことだ。

 己の愚かさに、涙が滲む程に。



(私は、傲慢だった……。オルトゥス様に……神に少しでも近づけたものだと思い上がっていた……)


 鍛錬を。

 更なる鍛錬を積まねば。

 仄立つ汗の湯気は、彼女の焦燥と向上心そのものだ。



「……やはり彼女の方が強いか」



 だから、ロギンスのその呟きを逃すことは無かった。



「……団長。私よりも強い女性が、いるのですか」



  彼女の問いに、ロギンスはしまったという表情を隠し切れない。彼は少し罰の悪そうな顔をすると、静かに切り出した。



「いる」


「……誰、ですか」


「セレティナ・ウル・ゴールド・アルデライト。アルデライト家の公爵令嬢だ」



 セレティナ・ウル・ゴールド・アルデライト。

  件の上級の魔物と渡り合った公爵令嬢の名を、無論エイフィアは知っていた。


 ……しかし。



「噂は、真実だったのですか」



 噂は所詮噂。

 公爵家の齢十四の娘が『上級』の魔物と渡り合ったというのは、誰もが信じる事はなかった。


 人伝に聞いた者程、その荒唐無稽な噂を鼻で笑っている。


 エイフィアもその一人だったのだが……。



「先日、彼女と仕合をしてね。確かに強かった。気を悪くしないで欲しいが、彼女は君よりずっと強い。だから同じ女性である君の実力を見てみたくなったのだよ」


「それほどとは……」


「それに、彼女の太刀筋はどうも似ている……」


「似ている、とは?」


「あの英雄オルトゥスのものにだ。……彼女は、もしかしたら生まれ変わりなのかもしれんな」



 エイフィアの瞳の奥で、身が弾けた。


 ロギンスの余りにも突然のその言葉に、体が粟立つ感覚を覚えてならない。



「い……今、なんと……」


「……ただの冗談だ。気にしないでくれ」



 そう言って、ロギンスは踵を返した。

 半ば独白の様な彼の言葉は、冗談と言いつつもどこか真実を含めているように感じてならない。


 エイフィアは、歓喜と興奮に満ちていた。


 神は、いるのだと。


 ぶるぶると震える体を掻き抱いて、エイフィアは天を仰いだ。


 挫折だと思った。

 ここまでだと思った。


 自分より強い女性の出現に、エイフィアの心には亀裂が入っていた。



 ――だが、神の力に下るのなら、それは致し方ない事だ。



 セレティナ・ウル・ゴールド・アルデライト。

 狂信者エイフィア・リックマンはしかとその名を魂に刻み込む。その瞳に浮かぶのは、悦楽と愉悦。


 まだ見ぬ主の顕現に、エイフィアは股が濡れる感覚を覚えた。


 エイフィアとセレティナ。

 二人が出会うのは、もう少しだけ先の話だ。





明日、12月10日書籍第二巻発売となります。

何卒よろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
[良い点] SS4項読みました!セレティナとエイフィアが出合うと一波乱ありそうでとてもたのしみです。
[一言] 書籍必ず買わせていただきますね 続物語、お待ちしております
[一言] ~どこかの時間軸にて~ リキテル「・・・どうした」 セレティナ「いやなんか急に物凄い寒気が・・・」
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