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【第二巻発売記念特別SS・狂信者】3/4

 



 シミひとつないテーブルクロスに何本と揃えられたカトラリーは銀色の光沢を湛えている。上品なバイオリンの音色は、エイフィアの緊張とは裏腹にどこまでも優雅で、伸びやかだ。


 エイフィアはウェイターから丁寧に注がれた葡萄酒を一口呷ると、眼下の景色に目をやった。


 王都の街並み、人の波が一望できるこのレストランをロギンスは行きつけだと言っていたが、流石は現代の英雄といったところだろう。


 エイフィアは目の前でワイングラスの中の水を転がすロギンスを盗む様に垣間見た。



「団長は飲まれないのですか」


「ああ、私は飲まないよ」


「私だけが飲んでいるのは何というか、恐縮です……」


「気にすることはない。私が飲んでくれと言ったのだし、君は酒が好きだと聞き及んでいたからね。遠慮せずに飲んでくれ」



 ロギンスは努めて柔らかな表情を浮かべた。

 この男、実は酒にめっぽう弱いだけなのだが、そんな事はおくびにも出さないのだから意外にもせこい。


 エイフィアは遠慮がちに葡萄酒を口に運んだ。



「美味しい」


「そうだろう。実はここの酒樽の葡萄酒はオルさん……あの稀代の英雄オルトゥスが好んだ味なんだ」


「オルトゥス様の……!?」


「ああ、あの人はどうもこういった格式の高い店を嫌ったが、その葡萄酒は大変気に入ってた様子だったよ」


「へぇー……へぇー……」



 エイフィアはロギンスの目論見通りに葡萄酒を更に口に運び、店内をそわそわと見回し始めた。



「君はどうやらかなり英雄オルトゥスを好いているようだが……何故だ? 毎日『約束の丘』に向かうなど、余程熱狂的なファンでも難しいことだぞ」



 ロギンスの問いに、エイフィアは満面の笑みで応えた。よくぞ聞いてくれた……そう言わんばかりに。



「私は幼い頃にオルトゥス様に救われたのです」


「ほう」



 よくある話だ、とロギンスは思った。


 なにせオルトゥスに救われた命は、彼の短い生涯の中で数え切れぬ程に列挙できる。英雄の英雄たる言動や振る舞いに感銘を受けたものだって後を絶たない。


 エイフィアもそんな人間の一人だったのだ。

 彼女は、にこやかな笑顔のまま話を進める。



「今でも覚えております。母を魔物に殺され、兄も殺され、私もとうとう殺されようかというところでオルトゥス様は現れたのです。翡翠の外套を翻して、聖剣を使い、次々と憎き魔物共を屠る様は見ていて痛快でした」


「……随分楽しげに話すのだな」


「はい。私とオルトゥス様の出会いですから」


「いやそういうわけでは……いや、いい」


「……?」



 オルトゥスに出会った喜びよりも、普通家族を失った悲しみの方が優先されるのでは……という疑問をロギンスは飲み込んだ。


 エイフィアは続ける。

 まるで年端も行かぬ少女が夢を語る様に。



「その数ヶ月後……私は盗賊の群れに襲われたのです。えぇと、あの時は王都で父の茶会があったからだったかな……その時にも、オルトゥス様は助けてくれたのです。この私を。それも二度も」


(……王都周りの要人の警護を騎士団に任せるのは普通のことだが……)



 しかし語るエイフィアの目は、輝いている。



「あの時、力なき兵士達は次々と卑しい盗賊達の手に掛けられました。そのときの、何という絶望……。だから私は、その時確信したのです」


「何をだ……?」


「力無き正義は正義に有らず。やはりオルトゥス様が、神なのだと……」


「かっ……」



 瞼を閉じ、胸に手を当てて想いを馳せるエイフィアの頬には赤が差している。



(こ、この娘……)



 だから、この時ロギンスの不安は確信に変わった。

 エイフィアは、狂人なのではない。



 ――狂信者。

 その単語で全てが合点がいった。



 そして、ロギンスは理解する。

 エイフィアの心は、最初の事件で壊れてしまったのだ、と。


 それ以来何かに盲信するしか心のバランスが保てなくなり、オルトゥスという神を見出してしまったのだ、と。


 うっとりとオルトゥスが好んだ葡萄酒を味わうエイフィアに、ロギンスは憐憫と恐怖を感じてしまった。

  人の心は脆く、壊れやすい。

 まだ精神面が成熟していない幼い頃に、惨たらしい家族の死に直面したのなら尚更だ。



「……だから毎日、慰霊碑の元へ」


「ええ、神に祈りを捧げに行くのは当然の事ですから」


「神、か……」


「それにいずれ、私の願いが通じるかもしれませんし」


「願い……?」


「はい、神の復活です」



 そう答えるエイフィアの瞳は、余りにも真っ直ぐ過ぎた。


 ロギンスはずるりと崩れ落ちそうになるのを、なんとか堪えた。



「神話に復活は付き物です。かのオルトゥス様であれば、きっと復活する日もそう遠くはないかと」


「……そ、そうか。復活するとよいな……」


「はい! それはもう!」



 エイフィアが屈託のない笑顔でそう答えると、漸く料理が運び出されたところだった。


 香草の良い香りを立ち昇らせた牛肉のひと塊りが、シェフの手によって目の前の皿に切り出される。



「もしかしてこの料理もオルトゥス様が……?」


「ああ。好んで食べていた、と思う」


「わぁ……! オルトゥス様が……! わぁ……!」



 ここにエイフィアを連れてきたのは間違いだったか……そもそもエイフィアという厄介な女と懇意になるべきでは無かったか……という後悔がロギンスの中で渦を巻く。


 ロギンスとてオルトゥスの事は心の底から敬愛している。だが、狂信者を目の前にすればその熱も冷めるというもの。


 しかし、壊れてしまった彼女の心をなんとか支えているものだというのなら、ロギンスには彼女の信仰を咎めるという野暮な事はできなかった。



「……もし復活とやらが成功したら、どうするのだ」


「え……それは……分かりません……」


「分からない……?」


「嬉し過ぎて……でも、尽くします……。あの方の邪魔になるものならば、全てを排除します。あの方が望む正義を、あの方が望む世界の為ならば、この身、この心、全てをあの方に捧げる覚悟です」



 エイフィアの決意は仄暗く、そして氷結した鋼の様な冷たさと硬さを持っていた。仮に復活したオルトゥスが死ねと言えば死に、国王を殺せと言えば躊躇なく殺すことだろう……と思えるほどに。



(しかし、そんな事は有り得ない)



 ロギンスは鼻を鳴らすと、肉を一口摘んだ。


 死者の復活など有り得る事ではない。


 どの様な大魔法士でも体現できない神の御業なのだから、仮に復活出来たとしたらそれはまさしく神だ。


 エイフィアの妄言は所詮妄言。


 取り留めのない彼女の発言を、いちいち真に受ける程ロギンスは柔軟な頭を持ち合わせてなどいない。

 半ば呆れ気味の彼とは裏腹に、エイフィアは神が好んだ肉料理を心ゆくまで堪能していた。



 時折「これが神の」とか「私は今神と同じものを」とか、ぶつぶつと呟いている。




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[一言] ~どこかの時間軸にて~ セレティナ「む?何か寒気が・・・
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