【第二巻発売記念特別SS・狂信者】1/4
書籍版剣とティアラとハイヒール第二巻発売まで残り一週間となりました。
本編の途中ですが、ここで記念的な特別SSを発売まで公開させて頂きます。
WEB版、書籍版、そしてコミカライズ版とこれからも何卒よろしくおねがいします。
書籍、コミカライズに関してはツイッターか小説家になろうマイページの活動報告にて追ってさせて頂きます。
「次、お願いします」
涼やかな女の声は、小さいながらも男所帯の修練場によく通った。
エイフィアは額に浮かぶ汗の珠を袖で拭うと、軽やかに木剣を構えた。
彼女の口調は硬いが品性があり、それでいて容姿も美しい。
猫の様なぱっちりとした眼は多少きつい印象も人に与えるだろうが、それもチャーミングポイントだと捉えれば愛嬌があって良い。亜麻色のふわふわとした髪の毛は後ろで一つに括られ、弾む度に色香が香るようだ。
重ねて言うが、エイフィアは美しい女性だ。
「次、どなたか相手をしてくださる方はいませんか」
しかし、彼女の問いかけに答える男はいない。
折角の美女からの誘いだというのに、誰もそれに応じることはない。
寧ろ彼女を見る男達は呆れたような……それでいて疲弊しきったような表情を見せている。
「……」
エイフィアの少し棘のある視線が、ぐるりと修練場を舐め回した。
男達はその視線から逃れる様に目を背け、或いは目が合った者はそそくさとその場を後にさえしてしまう始末だ。
エイフィアは、見るからに避けられていた。
「……」
ほんの僅かにむくれ面を晒した彼女は、至極つまらなさそうに木剣を仕舞いながらこう呟いた。
「今日はここまでにしておきましょうか」
その言葉に、周囲の緊迫した空気が見るからに弛緩した。
それがエイフィアの機嫌を更に損なうとも知れずに。
「……」
改めて、彼女を紹介しよう。
エイフィア・リックマン。
エリュゴール王国騎士団に所属する紅一点の女騎士。
齢二十の未だ青き乙女は、その他者を寄せ付けないストイックさと、時期団長候補とさえ囁かれる剣の才から『鋼のエイフィア』と呼ばれていた。
◇◇◇
水を張った桶に麻の布を放り込み、それをもって体の垢と疲れをこそぎ落していく。
エイフィアの鍛え抜かれた四肢は程よく筋肉を蓄えており、滴る水は彼女の隆起した筋肉に従って環状を描きながら下に垂れていった。
エイフィアは桶に溜まった水をざぶりと頭から被り、火照った体を冷ましていく。
「……」
しかし、足りない。
この火照る体を冷ますには、鍛錬が、修練が、精錬が、まるで足りていない。
エイフィアの体は、まだまだ剣を振るって己を鍛えたくて仕方がなかった。
それは彼女が単なるトレーニングマニアだから、ということではない。
エイフィアには、目標がある。
それは高く、遠く、分厚くて、遥か頂きにある目標だ。
そこに至るには、いや、その高みへ手を翳すことすら彼女には憚られた。
だからこそエイフィアは常に向上心を燃やし、鍛錬に飢え、精神を戒める意味でもストイックに自らを律するのだ。だから彼女は今、じくじくとした怒りと焦りを抱えている。
(何だ、あの体たらくは)
エイフィアは鼻先から落ちる水滴を目で追いながら、忌々しく下唇を噛んだ。
彼女の脳裏に思い起こされるのは、先日王城内で起きた事件のことだ。
当時エイフィアは何者かの魔法の不意打ちを受け、兵舎の中で眠らされていた。
守るべき王とその御子達が上級の魔物の脅威に晒されているというのに、自分はのうのうと健やかに眠っていたのだ。それは、エイフィアにとってこの上ない屈辱と羞恥に他ならない。
「……」
きっとあのお方であれば私の様な無様は決して晒さなかったはずだ、とエイフィアは拳を握りしめた。彼女が目標としている騎士の背中は、いつでもその瞼の裏に焼き付いている。
エイフィアはぷるぷると頭を振って水滴を飛ばすと、亜麻色の髪を絞り、思い至った様に面を上げた。
これからの予定は、もう決めてある。
王都に居を構えて以来一日も欠かさず足を運んでいるあの場所へと、エイフィアは今日とて行くつもりだ。
◇◇◇
城下町のバザーは活気に満ちている。
食欲をそそる香辛料の香りが漂い、陽気な音楽がそこかしこで奏でられ、エールが注がれたグラスをかち合わせる男達の喧騒は鳴りやむことがない。この騒がしさと熱気が苦手だという貴族が大半を占める中、エイフィアは貴族の身でありながらも悠々と喧騒の波間を縫って歩いていく。見目麗しい女性が共も連れずに歩いているというのに、彼女に声をかける者はいない。
『鋼のエイフィア』の名は、既に町中に知れ渡っているのだから。
エイフィアはいつもの花売りの露店を見つけるや、勝手知ったるといった風に歩んでいく。
「やあ、今日も寒いな」
声を掛けられた露天商の老婆は、エイフィアに気が付くと皺だらけの顔を一層皺くちゃに綻ばせて笑んだ。
「こんにちは騎士様。まだまだ春も始まったばかりですからね」
「風邪を召さない様にお互い気をつけないとな。それよりいつものを一輪いいかな」
「はいな。いつものですね。今日も『約束の丘』へ?」
「ああ」
頷くエイフィアに、老婆はより一層の笑みを浮かべた。
「ふふ。きっとあのお方も騎士様の様な美人が毎日会いに来られて喜んでおられると思います。道中お気をつけて」
そう言って老婆は一輪の淑やかな青い花を差し出した。
「……そうだといいがな。ありがとう、気を付けていってくるよ」
エイフィアの形の良い眉根が、少し困ったようにハの字に曲がった。
青い花を恭しく受け取ったエイフィアは多少の色を込めて老婆に銭を握らせると、ゆったりとした足取りで踵を返す。
老婆は握らされた銭を見やると、少し驚いた様子でエイフィアを呼び止めるた。
「あいや騎士様。お待ちください、これは……」
「私の気持ちだ。受け取ってくれ」
「ですが……」
「……腰、悪いんだろう」
「え」
「私は騎士だ。体の扱いに慣れているせいか、どこか痛めていれば良く見ていれば分かる。そいつで町の薬師に何か良い薬を調合してもらうといい」
「騎士様……」
「貴女に倒れてもらっては、私はどこに花を買いに行けばいいんだ? これからも息災で頼むよ」
エイフィアはそう言って、再び踵を返した。
(きっと、あの人だって同じことをしただろうから)
老婆はいつまでも柳の様に頭を垂れていた。