命を掴む
彼我の距離……目測でリキテルが抱える巨剣を十本縦に並べた程度だろう。
正常に考えれば、互いの間合いの外に他ならない。
しかし、彼らには瞬きの油断もない。あるはずもない。
片や魔女から力を授かった鬼才の剣士。
片や比肩できるものを挙げられぬ程の英雄……の魂を受け継いだ少女――と、獣人族でも希少種……狼の血を引く大魔法士。
既に、互いの間合いは触れ合っている。
これだけ離れていれば相手の出方を伺えるなどという猶予は残されていないのだ。
瞬きの間に闇の巨剣がセレティナを飛ばすか、逆にセレティナがそれを往なして懐に飛び込んでいるか、イミティアの魔法が嘶くか分からない。
時間が、凝縮されていく。
「……」
刹那を永遠と感じ、頬を撫ぜる風がじっとりとした熱と重みを含み始める。
ここら辺から焦りを覚えるのは、まだ青い。
だが、セレティナとイミティアは熟成された魂と経験を持ち合わせている。
ここで逸るほど、未熟ではない。
――先んじて動いたのは、やはりリキテル。
彼は巨剣を大仰に振り回すや、愚直に突進した。
愚直……といえども、あの速度。愚かだと到底馬鹿には出来ない迫力だ。
「来た……!」
迎え撃つ少女と半獣はそれぞれに剣を構え直し、衝突に備える。
闇の残光を従えながら目先まで迫った黒騎士は、右の巨剣を横一閃に凪いだ。
怖ろしい速度、恐ろしい威力。
「うっ……!?」
とても受けられぬ、と堪らずバックステップを踏んだイミティア。
しかしその隣には、一切の躊躇すらなく一歩を踏み出したセレティナの姿があった。
イミティアの体が総毛立つ。
あの威力の刃を、セレティナは僅かに身を屈めて首を寝かすだけで回避したのだ。
刃が、恐らく頬の薄皮を削いだ。
あとほんの少しでも距離を誤れば、絶命に至っただろうに。
セレティナは、瞬きすらせずにそれをやってのけた。
返しの一手は鋭利だ。
両の手に握られた宝剣『エリュティニアス』で、肩口から一気に腹の横まで一気に斬りかかる。冴える高音。空間そのものを切断しかねない一撃は、確かに無防備なリキテルを捉えた。
……が、ダメージはない。
堅牢な闇の鎧に斬撃が阻まれ、その刃が肉に到達することはなかった。
受けたリキテルに、リアクションはない。
セレティナの攻撃が軽すぎる為だ。
非力な彼女が操る剣に、重みが乗ることは有り得ない。
ある程度の堅さであれば”技”で両断することができるも、ここまで堅牢であればそうはいかない。かの王国最強騎士ロギンス程の規格外の膂力があれば、鎧ごと粉砕することも可能だろうが……。
しかしセレティナの瞳に動揺の色はない。
寧ろ両断できないからこそ、全霊の技をぶつけられたのだと言わんばかりだ。
振り下ろされた剣はそこで留まることはない。
無呼吸の内に、三度もリキテルの胴を往復したのだ。
硬質な音刹那の間に重ねられ、常人ではその六回もの音の発生を一回としか聞き取れないだろう。
しかし鉄壁。
受けて立つ、を地でいくリキテルは悠然とそこに聳え立つ。
まるでセレティナの連撃をそよ風だと言わんばかりに、彼はゆったりとした動作で巨剣を振りかぶり、縦に振り下ろした。
仮にそれをセレティナの頭蓋が受けたなら、頭の先から股座にかけていとも簡単に両断されていたことだろう。半身になって横に僅かに逃れたセレティナを通り抜けた巨剣は、石畳に着弾すると大爆発を起こした。
……否、爆発が起きたわけではない。
爆発と見紛うほどに、石畳を大きく、そして深く抉り取ったのだ。
石の礫が鋭く宙に四散する。
それだけでも大した威力だ。
自身の顔を覆う両腕に次々と礫が弾け、打ち傷に呻きながらセレティナは大きくバックステップを踏んだ。
ゆるりと身を起こすリキテル。
追撃の手を緩めようとしないのはどちらも同じだ。
彼は左の巨剣をしかと握りしめると、セレティナに再び迫ろうとして――その”起こり”をイミティアに抑えられる。
巨剣を振り上げようとする左腕の挙動を抑える様に、リキテルの左手首にイミティアの鋭い蹴りが突き刺さった。今のリキテル程とは言わずとも、半獣と化した彼女の膂力も馬鹿にはできない。
虚を突かれたリキテルの思考に余白が生まれる。
その僅かな間に、彼の視界は蒼炎が広がっていた。
イミティアの短杖が、リキテルの頭鎧の目の前に突き付けられていた。
「……これでちっとは痛い目見てろ」
台詞を吐いた直後、蒼炎の柱がリキテルを飲み込んだ。
圧巻の火力、光量。人であれば、骨も残らず灰燼と化す威力。
だが、リキテルは”受けて立つ”。
蒼炎の中を悠々と歩き、彼はイミティアの細首をむんずと掴み取った。
「うぁっ……!?」
「リキテル! やめろぉ!!」
リキテルは、動じない。
固く握り込んだイミティアの首を、決して離しはしない。
空いた手には、巨剣。
リキテルは首を擡げるようにして、セレティナを一瞥する。
『守れるものなら守ってみろ』
そんな彼の声が、聞こえた気がした。