拒絶
まず最初にリキテルを支配した感情は、困惑。
事実に理解が追い付かず、脳が処理不全に陥る。
エリュゴール王国から共にここまで旅してきた黄金の少女セレティナ。
耽美的な容姿を持ち、彼が聞き及んでいたオルトゥスと変わらぬほどの英雄性を秘めていた。そして、驚嘆すべきはあの戦闘力。一朝一夕では到底身に付かぬ技量を、この包丁の一本も持ったことが無いような少女が蓄えていた。
その力の出自はどこから……?
思い返せば力ばかりに目が向いていて、リキテルは”セレティナ”という少女に対して、
、その背景に僅かの興味も抱いていなかった。
あの王国最強のロギンスが、自らの腕を見込んで目付を任された謎の少女。
合点がいく。
あの特異性。
齢十四にも関わらず、王国内でも比肩できぬほどの精神性と実力を持つその異常。
あの病弱な体の培う努力では到底追い付かぬ多彩な技を持つその不自然。
肉体の性能を最大値に引き上げる魂がなければ、到底説明がつかない。
リキテルは、ゆったりと瞼を開ける。
闇を振り払い、燦然と輝く少女がそこにいた。
何という威風。
何という漢らしさ。
正義を据えるその群青色の瞳の輝きに、一点の曇りなし。
他者に手を差し伸べるその尊さ、美しさを、その少女は知っているのだから。
少女となった英雄――英雄の魂が収められた少女。
本質は……変わらない。
例え心臓を抉りだされようと、乳房を曝け出そうと、彼女はその歩みに一切の躊躇いを生じさせないことだろう。
「俺はここだ……! このオルトゥス、逃げもしなければ隠れもしない! リキテル……お前を悩ませるその咎の意識、強者であることの焦燥、全て俺が引き受けてやる! そして、お前の全てを許そう……!」
自らを導く、指導者としての言葉。
真正面からぶつかってくる、上辺だけでない温かい言葉などいつぶりなのだろうか。
リキテルの心に、やにわに染み渡る。
セレティナは一層に光を増して続ける。
「帰ろう……帰って、まずは湯船に浸かるのがいい……! それから食事……旨い赤身の肉に葡萄酒を添えて、これからのことをゆっくり話そう……! お前は疲れてる……救いのないこの世界に傷つき、休む間もなく緊張していたんだろう……? 眠ろう……たらふく飯を食らって、愚痴や悩みを飽きるまで吐きこぼして、大きなベッドで酔いと微睡みに迎えられながら心行くまで眠るんだ……!」
……嗚呼、耳触り良い言葉の数々。
セレティナの言葉は悪魔の囁きよりも甘く、馨しい。
闘争ではなく、欲していたのは休息と安寧だったのだと、この時リキテルは初めて思い知らされた。母の……或いは父の腕で微睡む幼子の心境は、こういう感じなのか、とも。
「俺がお前を守ってやるリキテル! お前の全てを保護してやる……だからリキテル!!」
セレティナは、そう言って手を伸ばす。
リキテルがその手を取ろうと思えば、取れる距離。
彼は目を白黒とさせた。
温かい言葉。
温かい眼差し。
差し伸べられた手は、善意と気遣いに彩られている。
「手を!!!」
まだ、間に合う。
リキテルはセレティナの手を――
――振り払い、鳩尾に蹴りを見舞ってやった。
もう、全てが遅いのだ。
リキテルの前に英雄が現れるには、全てが遅すぎた。
◇
「む……っ!」
遥か上空を睨むイミティアは、僅かに唸った。
セレティナが闇の濁流に飲まれ、数分。身じろぎ一つない、膠着状態にあった上空の状況に漸く変化が訪れた。
空に展開される闇が、砕け散った。
セレティナの放つ光の波導を忌む様に、四散したのだ。
それと同時に、一つの影が落下する。
……セレティナだ。
「まずい……!」
光の翼も、守護魔法の力も使い果たした。
重力に抗えぬセレティナの小柄な体は、ゆるりと落下を始めている。
意識はあるだろうが、まともに地面に直撃すれば死は免れない。
イミティアは牙を向き、全身に銀色の体毛を芽吹かせると、即座に半獣形態への変貌を遂げる。彼女は四つ足で地を穿つと、セレティナの落下地点へと急いた。
家屋の屋根を蹴り飛ばし、石畳みに蜘蛛の巣を形成しながら、飛ぶような加速を繰り返す。
「オルトゥス!」
イミティアはセレティナがあわや落下するといった直前に首根っこを牙で咥え込むと、落下のエネルギーを分散させるように、転がりながら教会の屋根へと飛び込んだ。
「うおっ!」
老朽化した屋根は容易く底抜けした。
木屑と梁を諸共突き崩しながら落下した彼女らは、幸運だったと言えるだろう。
まともに屋根にぶつかるよりかは、随分とダメージが軽かった。
「いてててて……」
「大丈夫か……! イミティアすまない……いや、ありがとう」
「っつぅ~~……尻打った……どういたしまして」
半獣形態を解いたイミティアが、目端に涙を浮かべながら尻を擦っている。
打撲程度で済んだのなら僥倖。
セレティナは自身の無傷を確かめると、自らが突き破ってきた教会の大穴を睨んだ。
空に君臨するリキテル・ウィルゲイム……だった者。
彼は両の手を大きく広げ、遥か下にあるセレティナを見下していた。
あれはどういう表情というのだろうか。
怒っているようにも困っているようにも、悲しんでいるようにも、怯えているようにも……。
彼はゆっくりと口をこう動かしていた。
『守りたいなら、守ってみろ』と。