警告
「魔物の全ては、人間の魂の成れの果ての姿であると……?」
セレティナは俄かには信じがたいヨウナシの主張に、息を飲んだ。
彼女はオルトゥスである時から、ただ只管に魔物を切り伏せてきた。故に奴らの残虐性も知っているし、その異常性は身に染みて知っていた。
神が作ったこの世界でも余りに異質で、異形そのものといった忌むべき存在。
それらが、今この時を生きる罪のない人達が生きたその終着点であると、ヨウナシは言ったのだ。
ぐにゃりと、セレティナが立つ石畳が撓んだ。
セレティナの中で何かが破損し、別の何かが芽吹くことで、視界がマーブル調にとろけていく。
セレティナは、からがらセリフを絞り出した。
「それを、信じろと?」
ヨウナシは細く煙を吐き出して、緩やかに首を横へ振る。
「信じろなどと無責任に言えたことではない。儂は儂の物差しでそういう理論に至った。故にこれはただの儂の自論じゃ。それに何より、魔女が実際に魔物を生み出したところを見たわけではないからな。だが……」
それに、とヨウナシは付け足す。
「仮にそうであるならば、魔女とはこの世界の構造、理に直接手を加える事ができる存在となる。そうであるならば、奴らは既に神に等しい存在よの。屍人の魂を好きに扱えるなど……それが如何程のものなのか、童でも想像がつく」
「……」
他者の魂を好きに与える存在……なのだとしたら。
それ程の御業を魔女が習得しているのなら。
「……」
セレティナは己の掌を見た。
己の魂が巡るこの肉体、これらはやはり全て……?
彼女と考える事は同じな様で、後ろに立つイミティアもゴクリと喉を鳴らしている。
そんな彼女らを他所に、ヨウナシは空を仰ぐ。
闇そのものという球体に蝕まれているリキテルの姿を。
「あれがどういう状態にあるかくらいはわかるものじゃ。魔法でも、魔術でもない。あれは『魔』そのものに変貌しつつある。どういう仕組みかはわからんが、あれはもう人より魔物に性質が近い。それがどういう意味か分かるか?」
言葉に詰まるセレティナ。
ヨウナシは構わずに続ける。
「あれは少なくとも既に死んでいるか、魔女に魂を掌握されている。かの魔女の玩具に成り下がったただの化け物よ。つまり助ける手立てなどもうなかろうて」
「……私はまだ諦めちゃいない」
返すセレティナの言葉は、ひたすらに前のめりだった。
彼女を英雄と成すその核……それは、他者を救うことに対する果てのない執着なのだから。
ヨウナシはセレティナのひたぶる視線を受け、クス、と笑みを浮かべた。
「そうか……ならば精々足掻けよ、セレティナ女史。儂はもう行く」
「……貴女はあれを……いや、ウルブドールを救うのに助力してくださらないのですか」
「ん?」
ふらりと立ち去ろうとするヨウナシの背中に、セレティナは問いかける。
ヨウナシは緩やかに振り向くと、ひらひらと手を振った。
「儂はしがない物書きの女じゃ。アテにされても困るの。それに、儂はただ貸した駒を回収しにきただけ。あれのどうこうに手を貸すつもりはない。……それに”本丸”も釣れたし、儂はこれから忙しくなる」
「駒……」
ふと、セレティナの背後から二つの存在感が滲み出す。
振り向けば、黒装束を纏った二つの影――ユフォとヨウファが、遠くの壁に背を預けているのが見えた。
「ユフォ」
セレティナが小さくその名を転がすも、彼は遠巻きにセレティナの瞳を見ているだけで、何も答えてはくれない。ユフォはただのひとつの身じろぎもせず、セレティナの視線を返すのみだ。
――『駒』
ユフォのその反応に、何故だかその言葉がストンと腑に落ちる様な気がした。
セレティナと彼らは最初から仲間ではなく、ヨウナシの駒として傍に置かれていただけ。
ユフォのあの無機質な瞳の輝きを見ていると、まるで本当に意思を持たぬ傀儡なのではないかと、錯覚する……が。
「ありがとう、気を付けて」
セレティナは、その錯覚を真としない。
ここまでの道程に誰一人欠けたとてこれはしなかったのだから。
だから、ここで今生の別れになるやもしれぬなら、感謝の言葉の一つでも言いたかった。
どこへ行ったと思っていたが、彼らには彼らの都合があるらしい。最後にこうして姿を現わしてくれたのはセレティナにとって本当に有難いことだった。
言葉を受けたユフォ、そしてヨウファは無機質な瞳のままに肩をすくめた。
その一端の人間らしい小生意気な仕草は、やはり今まで見てきた彼らのままだった。
「小さき勇者セレティナ……さらばじゃ。精々……足掻いて見せよ、この絶望の真ん中でな」
紅蓮の炎が、足元からせり上がる。
猛る炎は球状にヨウナシの体を包み込むと、次の瞬間には空へ溶けた。
そこに揺らめく陽炎のみを残し、ヨウナシは消えていた。
「……」
振り返れば、やはりユフォとヨウファの姿も失せている。
まるで先程の会話が嘘であったかの様だ。
「行っちまったな」
ヨウナシと面識がない為に静観を決めていたイミティアが、静かに口開いた。
セレティナは頷くと、旧友の顔をしかと確かめる。
「行こうイミティア。論じたい事は籠一つで足りないほど山盛りだが、私達は、今私達にできることをやるしかない」
「ああ、一先ずあれを止めるぞ」
そう言って、二人は空を大きく仰いだ。
空に浮かぶ、闇。
このウルブドールを瞬く間に崩壊させかねない破壊の権化――と、成り果てた仲間。
セレティナは大きく息を吐くと、ヨウナシの言葉を振り落とした。
まだ、何も成していない。
何も試みていない。
ならば、きっとあのリキテルに平手の一つでもくれてやれば、目を覚ますのかもしれないのだから。
セレティナとイミティアは、頷きあうと時計台に向かって走り出す。
あそこがこのウルブドールで最も空に近く、リキテルに接近できる場所だ。