闇に
第二巻本日より予約開始&コミカライズ化決定!
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「はぁ……はぁっ……」
静寂が、流れる。
時折倒壊した木箱が傾ぎ、呻いているのみで、組み伏せたセレティナとリキテルの間には痛い程の静寂が流れていた。
遠くには戦の音が生々しく繰り広げられているが、それがまるで他人事の様にさえ感じる程にはセレティナの耳には重たく心臓の音が響いている。それは耳に水が入ったかの如く外界の音を朧げにし、内から発せられる音がやけに大きく聞こえてしまう現象に似ている。
二人は、睨み合う。
何故?
それはセレティナには分からない。リキテルが己に向ける余りに強烈な殺意に理解が及ばないからだ。
「リキテル……お前は、騎士なのだろう。弱き者に寄り添い、陛下の剣となる立派な騎士なのだろう? その姿はなんだ」
その姿。
以前とは違う、魔女に魅入られたかの様なその姿は、一体なんなんだとセレティナは問う。
「」
「え……?」
リキテルが何かしらを呟いたが、セレティナはそれを認識できない。
きっとそれは優しい言葉ではない、ということは理解できる。
セレティナの瞼が、ぱちぱちと二回瞬いて——その直後。
「」
リキテルは絶叫した。
顔中に血管が走り回り、首が僅かに太く膨らみ、喉の肉が裂けているのではないかという絶叫だった。
それと同時に、彼の肩口に深く突き立てられた『エリュティニアス』が、どす黒い血の噴射によって押し戻される……否、それは血ではない。何か形状し難い、闇の奔流。
マグマよりも熱く、氷よりも冷たい。
セレティナは堪らず声を上げると『エリュティニアス』を手早く引き抜き、翻る様にリキテルから距離を取った。
リキテルは地面にのたうち周りながら絶叫し続け、闇を吐き出し続けている。
頭を掻き毟り、全身に脂汗を滲ませ、呪詛を紡ぎながらも、吐いて、吐いて、吐いて、やがて——。
◇
ひと際大きな音がウルブドールを大きく縦に穿つ。
倒壊……凡そ地震かと思う程の衝撃に、イミティアは「うわっ」と声を零した。
前につんのめりそうになりながらも自重を支え、練り上げた魔力を短杖から手放さない。
何事かと先の衝撃の方向を向くよりも早く、兵士達が色めき立った。
倉庫区画。
その中にある一つの大きな建築物から、天を目指す様に闇が飛び出している。
闇……形容するには余りに抽象的だが、事実イミティアはそれを見て即座にそう思う程度にはそれは闇だった。
影よりも更に深く、光を喰らい、青空に絶望そのものをぶちまけた様に闇は天を目指していく。
「セレティナ!」
突風に曝される後ろ髪を抑えながら、イミティアは例の闇が飛び出した倉庫から転がるようにして飛び出した友の名を叫んだ。セレティナは天に昇る闇を見上げながら、何かを叫んでいる。
「リキテル!」
悲愴感に満ちたセレティナの口から飛び出したのはイミティアも知る戦士の名だった。
(リキテル……?)
イミティアの心中に疑問と困惑が発生する。
リキテル、とは先の戦いで命を落とした筈の人間の名だ。
それに、あの闇。セレティナはあの闇に向かってリキテルの名を叫んでいる。
合点がいかない……と、イミティアはそう思っていた。
が……あの闇。
あの光を通さぬ黒を見ていると、じんわりとあの魔女の記憶が輪郭を現した。
『黒白の魔女』
歩く度、通り過ぎた跡が奈落に様変わりするかの様なあの黒い魔女に、あの闇が重なる。
それと同時に、イミティアの全身が嫌に総毛立つ。
研ぎ澄ませば分かる。
魔法士ならではの感性。そして嗅覚。
あの闇の中には、あの魔女の息遣いが確かにある。
あの魔女の艶かしい吐息が確かに掛かっている。
——ぞわ、ぞわ。
背筋を悪寒が這い回った。
あれが『黒白の魔女』の生み出したものならば、一体何を意味する。何が為される。
「一体どこまで……」
セレティナに付き纏う?
イミティアは身の内に決意の焔を灯すと、セレティナの元へ矢の様に素早く駆け出した。
「セレティナ!」
自身の名を叫ばれ、セレティナの肩がびくりと跳ねる。
そちらを見やれば、イミティアが切迫した表情でこちらへ駆けてくるところだった。
「イミティア、何をしてる! お前にはあちらを任せて——」
「馬鹿野郎そんなこと言ってる場合か! ありゃ何だ! あれに暴れられた方がよっぽど不味い!」
あれ……晴天に飛び出した高濃度の闇が、圧縮を始めている。
闇は、よく見ればリキテルの体を依代にしている様だった。宙に浮かぶリキテルの体を芯に、闇は更に色濃くなっていく。
「う、わ……」
近くに寄れば更に分かる。
大質量……儀式を伴った大魔法を目の当たりにした様な魔力の密度の濃さ。
魔女を側に感じる様な圧倒的な存在感。
イミティアは奥歯を力強く噛むと、絶叫しながら短杖を振るった。
杖の先から、太陽がずるりと飛び出した。
それは本来、魔物の海に放られる筈だった上級魔法。
横でセレティナが叫ぶ。
彼女はリキテルという友の名を叫びながら、魔法を絞り出したイミティアの腕を掴んだ。静止はやはり間に合わず……太陽は空に浮かぶ闇の元へと投じられる。
太陽は闇の中に飛び込んで——やがて闇に侵され始めた。
「な、に……」
狼狽するイミティアが、驚きに目を剥いた。
自身が生み出した火炎が、蝕まれている。闇に飲まれている。
闇は程なくして、イミティアの魔法を平らげた。