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置き土産

 

 時の流れがねっとりとした粘り気を帯び始める。


 辺りはモノクロに色褪せ、セレティナに届く音はやけにくぐもった。

 人も魔物も愚鈍な時に抗うこともできずに――いや、自身達を取り巻いているその異常に気付くことさえできていない。


『黒白の魔女』ディセントラは、其処を歩く。

 モノクロの世界の最中さなか、魔女の瞳だけは煌煌と紅色に瞬いていて、ハイヒールの音はやけに嫌にセレティナの鼓膜を揺さぶった。この世界は全て私の掌の中――そう誇るかの様に、ディセントラはゆったりとセレティナの前に歩み寄る。




「ご機嫌よう。見ての通り、楽にしてくれて構わないわ。貴方の時間を、今は私だけが独り占め……何だかとてもロマンチックね」


「……ッ」




 氷結し始める世界の中、セレティナの瞳孔がしかと見開かれる。

 宝剣の柄を彼女らしからぬ強さで握り込み、何の躊躇いも無く横に薙いだ。


 空を滑る宝剣の剣身は確かな殺意と練度を持った必殺の技を纏い、ディセントラの今にも折れそうな細首へと駆けた。……だが、その一撃は届かない。



「……素晴らしいわ。以前より、ずっと素敵」



 血液を纏ったようなネイルが施されたディセントラのたった一本の爪が、セレティナの一撃をいとも簡単に御する。その感触を馴染ませるかの様に彼女はエリュティニアスに舌を這わせ、うっとりと恍惚の表情を浮かべた。



「うっ……」



 ぞわぞわと全身に鳥肌を浮かべたセレティナは弾かれたようにエリュティニアスを引っ込めた。明確な生理的嫌悪感からくる反応だ。


 ディセントラは「あん」と小さく漏らすと、後ずさるセレティナに僅かに寂しそうな表情を浮かべる。



「何故邪険にするの? 寂しいわ」


「……お前と慣れあう気など毛頭無い」



 自身の愛剣が舐められたところから腐食していくのではないかと内心ハラハラしたが、そういった反応は無く、セレティナは胸を撫で下ろした。


 ディセントラはセレティナのそういった仕草の一つ一つに充足感を示し、にんまりと笑みを浮かべている。傍から見れば、悪戯が成功した年頃らしい少女の微笑みだ。


 柔和な態度の魔女を睨みつけ、セレティナは再び剣を正眼に構える。



「ウルブドールをこの様な地獄に変えたのは貴様の仕業か」



 魔女が神出鬼没であることは百も承知……故にセレティナはディセントラの出現自体には然程驚きはしなかった。彼女は頭の隅にあった懸念を吐き捨てると、より一層に眼光を強めた。自然、語気も強くなる。


 ディセントラは軽い調子で「いいえ」と答えながら、漆黒の日傘をくるくると回した。その言葉に信憑性などやはり欠片も無く、セレティナの警戒をより高めるだけなのだが。



「私は見届けに来たのよ、オルトゥス」


「見届けに、だと?」


「ええ。この魔物の大量発生は私にとっても想定外の出来事。でも、丁度良いと思ったのよ」


「お前、何を言って」


「知っているでしょう、オルトゥス。私は貴方以外に興味は無いの。この世界が滅ぼうがどうなろうが……ね」



 セレティナの周りをゆったりとした足取りで回りながら、ディセントラは支離滅裂な言葉を紡いでいく。一般的に心地よいと思われるディセントラの声音も、セレティナにとっては神経を逆なでるだけのものでしかない。



「さぁ踊りなさい、私の愛しい人……この崩落寸前のウルブドールという舞台で。お相手は私が用意した、とっておきの子よ。きっと貴方にも楽しんでもらえると思うわ」



 後ろから、両肩に手を置かれ、耳元で囁かれる。

 セレティナの薄い耳朶みみたぶにディセントラの熱い吐息が触れ、感じるのはただひたすらに嫌悪感と憎悪のみ。



「俺に触れるなッ!」



 セレティナは叫び、激しく後方を切りつける。

 ……が、既にそこには誰もいない。


 ディセントラの醸す独特の存在感は一切消え失せ、モノクロの世界は色彩を取り戻し始めていた。

 氷結していた時も次第に細く流れを強くしていき、次第には何事も無かったかの様に秩序無き戦争の光景が広がっていた。



「ハァ……ハァ……」



 セレティナの首元から胸元へ掛けて嫌な汗が伝い、心臓の鼓動は不規則に乱れている。

 彼女はかぶりを振ると、脳の中を蝕む魔女の残像を追い出した。ディセントラの動向は確かに気になるが、あの紅色に光る眼を思考の外へ追いやらねば、出せる実力も出せないのだから。



「落ち着け、『私』……大丈夫。今は目の前の戦いに集中しないと」



 汗拭い、浅く息を吐く。

 ぴしゃりと頬を叩いて思考をリセット。

 セレティナの白い頬が、僅かに桜色に染まった。







 ――ゾク……。




 セレティナの産毛が、総毛立った。

 エリュティニアスを握り直し、息を整えた瞬間のことであった。


 そう遠くない場所。

 明確な殺意を持った何かが、セレティナへと近づいてくる。


 その殺意の歩みは決して速くない。

 だがそれが通った後には、人も、魔物も、生命という生命が刈り取られていったのが分かる。



「とっておきの子か」



 セレティナはディセントラが残した言葉を口の中で転がすと。唇を引き結んだ。



 何か、来る。





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