浸食
「凄まじいな……」
銀級冒険者チーム『八首孔雀』のリーダー、グラン・グランドはごくりと生唾を飲み下した。
使い古された鎧に、小さな傷がいくつも刻み込まれたバスターソードを握り込み……いくつもの死線を乗り越えた老戦士は、老いゆえに垂れ始めた瞼の肉を押し上げながら目をまんまるとさせた。
『八首孔雀』はグラン・グランドを筆頭に、歴戦の老兵のみで固められたチームだ。
老いは力を削ぐが、身に染みた経験は若い戦士には培えないもの。八人の老戦士を率いるグランは、その中に於いても一際老獪極まる人物であった。
負け戦に身を投じず、『八首孔雀』が生き残る為であるなら他のチームを蹴落とすことも吝かではない。そんなグランにチームのメンバーは嫌な顔一つせず、今まで付いてきた。彼ら自身、金級冒険者や英雄と謳われる戦士達との間に隔絶とした壁が存在するのを知っているからだ。
魔物蔓延る世界で戦士として生き残るのであれば、狡猾さが必要不可欠。
それは、ある程度冒険者として慣らした者であれば誰しもが肝に銘じることであった
「グラン。ありゃ何だ? 帝国にあれほどの使い手がいたとは知らなんだ」
グランの横で、『八首朱雀』の副長が叫ぶ。
懸命に斧を振り回しながら絞り出された声は、しわがれていた。
「例の『天使』だとよ。眉唾な噂だと思っていたが、どうやら“本物”らしい。こりゃあ盤面ひっくり返るかもしれんな」
グランは大仰に笑いながら、額に流れる汗と血を拭った。
ひっくり返るなんてことはありはしないと分かってはいても、現在の戦況に生意気の一つでもいってやりたい気分だったのだ。
「おいおい、孔雀のジジイ達、まだしぶとく生き残ってんな!」
「……猫か」
入り乱れる戦場。
『八首孔雀』と背を合わせるように飛び込んできたのは、銀級冒険者チーム『銀猫万軍』のリーダー、ヴァル・オレリオだ。細く、鋭い鉤爪の様な双剣を扱う五人の冒険者達はまだ若い。新鋭ながらも、たったの一年で銀級まで上り詰めた彼らは、しかし既に満身創痍だった。よくよく見ればチームの二人ほど欠けている。
グランは舌を打った。
『銀猫万軍』が憎い訳ではない。若い彼らがこの死地にいるという事実に舌を打ったのだ。
「たわけめ! お前らひよっこはすっこんでいろと言っただろうが! こんな肉壁になるだけの戦争は儂らみたいな老いぼれだけでええんじゃ!」
「良く言うぜ、今まで図太く生き残ってたクソジジイ共がいっちょまえに死に場所決めやがってよ! ここは俺達のシマだ! お前らみたいな老いぼれに任せていたんじゃ夜も寝られねぇ!」
「何だと!」
「それに俺らだけじゃねぇ! 『獅子』も『閃光』もいる! 馬鹿な特攻野郎共は他にもいるってことよ!」
「んなっ……!」
グランは目をひん剥いた。
ヴァルが羅列したチームはいずれも若く前途ある冒険者チームだ。決戦前日、グランが口酸っぱくこの戦にはくるなと言っておいた新進気鋭の若人達。
グランの言葉は、全く届いてなかったということだ。
「お前ら……」
グランは頭を掻き毟った。
どこを見ても馬鹿ばかり。周りを見れば家族の為、国の為と自分の命を省みずに立ち上がった本当の“馬鹿”ばかりだ。
グラン自身、ヤキが回ったと頭を抱えたばかりだった。
自分達の故郷の最期ならばと死に場所を決めたが、明日のエールの味が惜しくなったと後悔したばかりだったのだ。
だが、触発される。
自分よりも熱量を持った、若い戦士達の輝きに、勇気と一種の明るい諦めを齎されたのだ。
グランはもじゃもじゃの髭の下で薄く笑むと、咆哮を上げる。
そしてしかと柄を握りしめるのだ。
「よぉし! こうなったら仕方ねぇ! お前ら冒険者魂見せてやれ! あの『天使』に手柄横取りされるんじゃねぇぞ!」
そうして集まる、『孔雀』『猫』『獅子』『閃光』。
いずれも銀級冒険者という、最強とはいえずとも優秀なチームばかりだ。
彼らが一丸となれば、突破口とは言えずとも、あの魔物共の多勢に対して一矢以上に報いることはできるかもしれない。
冒険者は普通の兵士達とは違う。常日頃魔物との戦闘に身を費やしてきた、本当の意味での戦士なのだから。
……しかし、次の瞬間にはグランの首は飛んでいた。
ヴァルも、『獅子』『閃光』の面々のいずれの首もだ。
胴体から首が綺麗に分かたれ、くるりくるりと生首が飛んでいく。
それは一瞬の出来事であり、彼らに死を感じさせないほどのものであった。
グランのまんまるな目が、最後に捉えたものは……。
「仮、面のおと……こ……」
◇◇◇
戦線は、乱れに乱れている。
統率の取れていない魔物の軍勢は身勝手に、思うままにウルブドールの地を踏み穢し、僅かでも風穴が開いたところから擦り抜けていくからだ。
(これほど苦しく、途方も無い戦は『エリュゴールの災禍』以来か……!)
セレティナは額に浮かぶ珠の様な汗を拭うことなく、次々に魔物を刈り取っていく。彼女の吹き荒ぶ様な激しい戦意に呼応するように、宝剣エリュティニアスは輝きを増していた。
いつの間にか、周りに味方という味方は視認できなくなっている。
しかし彼女が退かないのは、その後ろで待つイミティアの魔法を待っているからだ。
しかし待てど暮らせど、イミティアの魔法は飛んでこない。
いや、彼女自身の感覚が研ぎ澄まされ過ぎているせいで、時の流れがいやに遅く感じられるからだ。
(イミティア……まだか……!?)
その心の問いに応える者はいない。
……ただ、一人を残して。
「彼女の魔法はまだみたいよオルトゥス。さぁさ、もう少し頑張らなきゃね」
ぽん、と肩に置かれた手の感触は、か細い。
嫌に小さく、嫌に冷たく。
セレティナはその声を知っていて、知っているからこそ、エリュティニアスを何の躊躇いもなくその声の主に薙いだ。エリュティニアスの剣身は空気だけを切り裂き、その声の主に届く事はなかった。
セレティナは群青色の瞳で射殺す様に、そのモノクロの少女に視線を投げかけた。
「……ディセントラ……ッ!!」
『黒白の魔女』……ディセントラは、くすくすと、この戦場で浮かべるには余りにも軽薄な笑みを浮かべていた。