芽
「『終焉を歌う焔火』」
イミティアの呪文が針の様に飛ぶ。
そうすると、彼女の掲げる短杖の先には巨人族でも抱えきれぬ程の火球が精製された。
……まるで太陽。
灼熱の惑星が、ウルブドールの空にもう一つ浮かび上がった。
イミティアの魔法によって形作られたそれは、煌煌と存在感を放ち、兵達……ひいては魔物共ですらその威容にたたらを踏む程だった。
イミティアは、短杖をツイと操る。
その軌道に従って、紅蓮の塊は気怠げに体を傾いだ。
烈火の魔法はぐんぐんと魔物共の荒波に迫り、着弾。
鮮烈な赤が閃くとそれは爆発、拡散し、魔物共の行軍を光の彼方へと連れ去った。雷を横裂きしたかの如く、魔法は甲高く嘶き、魔物の体を燃焼させるどころか蒸発させてしまう。
「……凄まじい威力だ」
その光量、熱量にまともに瞼を開けていられないセレティナは、友が投じた一石に舌を巻いた。
彼女が前世に見たイミティアの魔法とは比べ物にならない。きっとそれは、魔女達やヨウナシの様な人外を除けばこの世界に於いて至高の一撃だろう。
この世界に於いて、実戦レベルに熟達した魔法士というのはほんの一握りだ。
しかし接近戦であれば剣を振るえばいいし、遠距離から戦いたいのであれば弓を射かければいい。少々の火や水を操る程度の魔法など、一級の戦士からすれば侮りの対象であった。
……が、イミティア級の魔法を見た者ならば、その常識は覆されるだろう。
たった一人、たった一つの駒で戦況を変化させることができるのが、熟達した魔法士なのだ。
「もってあと三発だ」
イミティアはそう言って、横に流れる髪を耳に掛ける。セレティナは彼女の言葉にうんと頷いて、腰の鞘から宝剣エリュティニアスを引き抜いた。露わになった刀身は削り出した薄氷の様に繊細で、これから向かいゆく死地に似つかわしくない程に華麗に輝いている。
「……行ってくる。私が稼ぐ時間、無駄にはしてくれるなよ」
セレティナは浅く息を吐くと、意を決したように一歩踏み出した。
イミティアが「『終焉を歌う焔火』」……威力の高い大魔法を十全に振るうには時間が要る。無理に乱発すれば、先の戦いでイミティアを苛んだ魔力の枯渇による弊害が生まれかねないし、威力も落ちる。
「オルトゥス……分かってるな?」
「ああ、分かってる。心配するな」
セレティナはそう言って、肩を竦めてみせた。
死に急ぐなと、暗にそう言っているイミティアの表情がどこか脆かったからだ。
「じゃあ、行ってくる」
セレティナはそれだけ言って、駆けだした。
足取りは、軽い。しかしその一歩一歩は、鉛よりも重たい意志を孕んでいる。
「勇敢な兵士達よ!」
叫びながら、セレティナはエリュティニアスを横なぎに振るう。魔物の血肉を抉る剣先の軌道に従って、流星の様に銀光が駆け抜けた。
「私に続け! イミティア・ベルベットの大魔法発動までの時間を稼ぐ! 奴らに目に物を見せてやる好機だ!」
焼き焦がされた石畳をブーツで踏みしめ、地獄への一歩を何ら躊躇なく行く『天使』の背中に、兵士達は発破を掛けられた。今まで、彼らが見てきたセレティナの姿はいつも遠く、高かった。しかしこうして同じ大地に並び立てば、嫌でも彼女の線の細さとやや小柄な体躯が目についてしまう。中身が歴戦の戦士だろうと、『天使』だろうと、見た目はまだまだ成熟には至っていないのだ。そんなセレティナが、一瞬たりとて臆することなく魔物に立ち向かう姿は、想定以上に兵士達の勇気を駆り立てた。なにくそ、という火事場の馬鹿力やヤケクソに類するものなのかもしれないが。
何はともあれ、兵士達は怒号を上げながらセレティナに続く。
彼女が切り開く道を、まさに『天使』に導かれる聖戦が如く。
セレティナの剣は、冴え渡っている。
剣鳴は鋭く、体は軽く、視界も広い。体力は有限だが、それでも前世のポテンシャルの幾らかは発揮できていることを、セレティナは感じていた。
だが、それはいつからだ。
「……」
エリュゴール王国で黒白の魔女――ディセントラと出会ってから、セレティナは変わった。心がではない。明確に、体が変化し始めている。
体力の無さ、非力さは相変わらずだが、セレティナという器が持つスペックを十全に引き出せているように、彼女自身体感している。トレーニングをしたわけでもなく、精神面に何か変化が訪れたわけでもない。
「……体が、熱い……」
セレティナは首筋を抑えた。
ディセントラが彼女の体に残した『薔薇に絡みつく蛇』の紋章。
それはセレティナが力を振るう度に淡い光を強く灯し、彼女の体を蝕み続ける。
今までは何とも無かったはずだ。
ただ力や快調を彼女に齎すだけのものであったはず。
だがここにきてそれは、セレティナの体に対して熱という負荷を掛けはじめた。
(黙って、言うことを聞け……ッ!)
セレティナは舌を打つと、その熱を振り払う様に加速していく。
人魔入り乱れる混戦の中にあって、彼女はまるで台風の目だ。そこが聖域であるかの様に、宝剣『エリュティニアス』の届く範囲に踏み入った者から絶命し、首を飛ばされる。一人だけ、違う時間軸を渡り歩いているかのようだった。
力を振るう度、体の内が爆ぜる様に燃える。
燃える程に高く、セレティナは剣の頂へと導かれていく。嘗て自分がそうであったように。
「オルトゥス……」
イミティアは、ぽつりと呟いた。
セレティナの紋章は以前見たときよりも脅威を示し、存在感を発揮している。そこにあの魔女のいやらしい笑みが張り付いている様で、イミティアは焦燥感に駆られていた。
今、セレティナの体に植え付けられた種が芽吹こうとしているのを、この時は彼女自身でさえ予期できなかった。