大詰め
「来たか」
西門近くに建てられた大聖堂の扉を押し開くと、中にはオーバンス将軍……それから幾人かの鎧に身を包んだ兵士が、固い面持ちでセレティナとイミティアを待っていた。
椅子は取り下げられ、代わりに聖堂の中央に置かれた巨大な円卓の上にはウルブドールの子細な地図と木製の駒が置かれている。例の貴賓館からこちらへと本部が移されているのだろうが、それもものの数時間で魔物共に飲みこまれると思うと奇妙な感覚に囚われてしまう。
セレティナは彼らに深く頭を下げると、着席を促されるまで円卓の側に控えた。
対照的に、イミティアは構わずに椅子にどかりと座り込んだのだが。
「例の『天使』だよ」
オーバンス将軍はそう兵士達に紹介しながら、セレティナに座るようジェスチャーを交える。
屈強な兵士達は感嘆の声を小さく漏らしながら、セレティナへと小さく会釈した。
「噂に聞いていた『天使』とはいえ、まだ斯様な少年だったとは」
「いやはや、驚いたな」
「その歳と細腕で『上級』の魔物と渡り合えるとは……興味が尽きませんな」
「噂はかねがね。君の様な戦士と戦えるというのは非常に心強い」
各々に評しながら、しかしセレティナを見る目の色は尊敬だ。
南門での天使降臨と、『上級』との戦闘でそれなりに箔が付いたということだろうか。
セレティナはそれらの反応に謙遜しながら、丁寧に礼を述べていく。
「身に余るお言葉を頂きありがとう存じます。ですが私は一介の卑しい駆け出しの冒険者。この様な席にお招きいただき恐悦至極にございます。重ねて、礼を申し上げます」
凛として、それでいて聞く者の心にするりと染み入る様なセレティナの声は、大聖堂と相俟ってまるで天使の歌声だ。立て板に水を流す様な挨拶は、粗野な冒険者から発せられる様なものでは当然無い。帝国兵の男達はセレティナの堂に入った挨拶と、あくまでも奥ゆかしい態度に好感触を示した。
「君の様な品の良い流れの冒険者は初めて見ました。よろしく頼みますよ」
そう答えたのは、セレティナの位置する円卓の真向かいに座る男だ。
老いによって禿げあがった頭の男は、にこにこと顔に皺を刻みながら頭を下げる。
「私の名はググガン。『方舟』側を指揮することになったオーバンス将軍に代わり、『聖戦』での指揮権を預かった者です」
少し困惑したセレティナの意思を汲み取る様に、ググガンは自らの立場を柔らかく明かした。
それと共に、セレティナの背筋がピンと伸びる。
「初めましてググガン様。改めまして、流れの冒険者をやっておりますティークと申します。この度はこの『聖戦』に私を加えて頂き、誠にありがとうございます」
「そう構えずとも良いのです。一人でも優秀な戦士が必要ですからね。こちらこそティーク君のような戦士と共に戦えるのは、願ったり叶ったりですよ」
ねぇ、将軍。と、ググガンはオーバンス将軍に目を配ると、彼は大仰に肩を竦めた。
「止してくれググガン。私は『方舟』と共にこの都市を離れる身なんだ。心強いのは変わらんが、同意するのも憚られる。私としては是非ティーク君にはこちらに着いてもらい、帝国の騎士として働いてもらいたい程なのだがね」
「ふふふ……貴方程の武人がそれほど買っておられるとは、この『聖戦』もひょっとすれば奇跡を望めるかもしれませんな」
「ググガン……」
そう言って、ググガンはこれから死にゆく者とは思えない悪戯な笑みを見せた。
この『聖戦』と名付けられた戦争に勝利など無い。『方舟』を逃がす為のただの時間稼ぎであり、ここに集う兵士達は後に離脱するオーバンス将軍を除けば一人足りとて生存は望めない。
しかしググガンを筆頭に、彼ら歴戦の兵士達の表情は勇ましいものだ。
外で待機している義勇軍よりは、余程の平静を保っている。
……いや、それは覚悟の上の悟りの境地の様なものなのかもしれないが。
「それでは私の役目はもう済んだ。ググガン、後の事は頼むぞ」
「ええ……確かに任されましたよオーバンス将軍。後ろを振り返ることなく、どうぞお行きください」
「ふん……」
オーバンス将軍は円卓から立ち上がると、セレティナとイミティアに向き直った。
「……もしも、生き残れたのなら……また会おう。小さき英雄よ」
将軍はそれだけ言って、足早に大聖堂を後にする。
彼には、どうにもセレティナの死が予感できないでいた。それは、仮にセレティナがオルトゥスの生まれ変わりであったのなら、という心の隅にある期待と畏敬の念からくるものであったが、それは彼自身意識したことではない。
「……」
セレティナは、深々とお辞儀をしながらオーバンス将軍を見送った。
再び会える日がくるのなら、次はティークではなくセレティナとしてお会いしたいという気持ちを胸に刻みながら。
「……さて、『天使』様が来られた訳だし、いよいよ大詰めです。情報のすり合わせも兼ねた『聖戦』の最終的な概要を、これから話していくことにしましょう。私達が命を散らすに相応しい、戦の話を、ね」
しばしの沈黙の後、そう切り出したのは朗らかな笑みを湛えたググガンだった。