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眠れぬ夜と黒き友

 

 

 セレティナは、眠れない。

 

 手の震えはまるで新兵……いや、見たままの儚げな少女のままに頼りない。

 彼女は毛布の中へと身を包ませながら、宝石の様な群青色の閃きをその震える掌に注がせていた。

 

 

 ――情けない、とセレティナは思わずにはいられない。

 

 

 前世……オルトゥスであったときは、いつでもどこでも寝られることが特技だった。

 オルトゥスについて語られる伝記の中に於いても、『エリュゴールの災禍』の前夜に誰よりも多く夕餉を食べ、誰よりも早く深い眠りについたことは有名だ。

 

 セレティナは決して驕らない。

 しかし、眠る事だけについては自信に満ちていた。

 

 しかしセレティナは今、眠れない。

 とく、とく、と明確に打つ脈の音を耳の奥で捉えながら、全身に満ちる緊張感で気が昂ぶっているのだ。

 

 

 明日、死ぬかもしれないという恐怖はいくつも味わってきた。

 戦場も、数え切れぬほど経験してきた。

 

 

 セレティナが培ってきた経験は、彼女の未熟な肉体に揺さぶられている。

 

 

「……」

 

 

 天井に伸ばした手は、何を掴むでもなく空を掠めた。

 月光に彩られた自身の白い細腕はまるで絹の様に滑らかで、戦士のそれとは明らかにかけ離れている。

 

 セレティナはその腕をなぞる様に、逆手の指を走らせた。

 柔らかく、滑らかな感触が指を伝う。

 

 

「……守れるのか、私は」

 

 

 表情は、苦々しい。

 

 それは、自身への猜疑からくるものだった。

『上級』の魔物との戦いで、白星を明確に上げられたことは無い。

 その結果は、人知れず彼女の自信と使命感に翳りを齎した。

 

 騎士として、戦士として、嘗ての英雄としての自尊心や自信というものは、ただの少女の殻に閉じ込められることで失われつつある。肉体が魂に干渉し、結果が彼女に不安を齎している。

 

 死ぬかもしれないという恐怖ではない。

 このか細い腕で、明日の脅威から人々を護れるのか、という恐怖だ。

 

 それはセレティナの心の大半を占めるほどのものではなく、しこりのように小さく実った不安の種だが、彼女はそれが気になって仕方がなく、眠る事ができない。

 

 

「……くそ」

 

 

 セレティナはむっくりと体を起こすと、黄金の後ろ髪を掻き毟った。

 しかしぼさぼさになることは無く、まるで形状記憶かの様にセレティナの髪は元の髪型に居直った。

 

 セレティナはベッドに立てかける様に置いていた『エリュティニアス』に手を伸ばすと、毛布を引き剥してベッドから飛び降りた。

 

 夜風にでも当たろうと思い立ったセレティナは、眠気と興奮を同居させた眼を従えたまま、ずんぐりとした動きで部屋を出た。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 空を仰ぐと、満天の星の煌めきが飛び込んでくる。

 

 春の硬くて冷たい空気が肺に滑り降りて、セレティナの火照った体を宥める様に全身を渦巻いた。


 吐息は白く煙り、鼻の頭に僅かに紅が差しつつもセレティナはウルブドールの街中を歩く。『エルバの浮舟亭』の周りは特区に指定されており、人気が全く無い。ある程度の要人と軍の頭脳しか立ち入りを許されていないからだ。


 セレティナの夜の散歩は、痛いほどの静寂が満ちていた。



「冷えるな」



 零した鈴の音のような呟きは、誰に届くでもなく夜空へと搔き消える。だが、それでいい。


 己の心を宥める為だけの散歩なのだから、孤独でいいのだ。

 叶うのであればウイスキーの一杯でも呷りたいところではあるが、なにぶんセレティナの体は酒に弱く、決戦前夜の飲酒には耐えられない。



「……」



 ぐるりと周りを一周。

 孤独な散歩は永遠とも思われたが、体が冷え始めている。


 セレティナは自らの脆弱な体を慮り、ようやく踵を返した。


 これ以上は体に障る。

 そう判断したセレティナはベッドの中へと無理矢理にでも体を沈めることを決心し、顔を上げて--気づいた。



 気づいて、どきりと心臓がひと跳ねする。

 もう少し気が抜けていたならば、声が出ていたかもしれない。


 何も無い、誰もいない石畳で舗装された通りの先に、一人の人間が立っている。



 髪は白。

 肌は嫌に紫を帯びた茶で、程よく筋肉の付いた上背のある人間だ。


 笑顔スマイルを貼り付けられた仮面で顔を隠しており、素顔は見えないが恐らく男だろう。


 全身にぴったりと張り付くようなラインの出る黒装束を着ていて夜の闇に今にも溶けそうだが、その存在感は泡立つ程に鮮明だ。




「何者だ」




 咎めるようなセレティナの声が、静寂に刺さる。


 異様な存在感。

 さりとてセレティナは顔を上げるまで露ほども気づくことができなかった。


 何もないこの場にて、セレティナに悟られることなく接近できるなど同格……またはそれ以上の戦士であるかもしれない。

 彼女の警戒のレベルはグンと引き上がった。



『エリュティニアス』の柄に白魚のような指を這わせ、いつでも抜けるように呼吸を整える。



 仮面の男はゆらりと、気怠そうに両手を振ると、その手にはいつのまにか一対の黒剣が握られた。

 剣身は短剣ほども無く、どちらかといえばナイフに近いだろうか。



 セレティナは仮面の男の臨戦態勢に気づくと、息を一拍置いて--次の瞬間、両者の間に火花が散った。



 目測でもかなりの距離があったにも関わらず、仮面の男は瞬きの内に距離を詰め、セレティナの喉笛目掛けて黒剣を走らせたのだ。



 セレティナは迂闊な声を上げ、黒剣の威力を御しきれずに石畳へともんどり打って倒れた。

『エリュティニアス』の腹で一撃を受け止めたが、捌き切る前に押し出されたのだ。



 セレティナは呻きながら石畳の上を転がると、弾き出されるように身を起こす。

 宝剣を再び構える動作に一切の無駄は無く、臨戦態勢を取るまでに時間はかからない。



 セレティナは切っ先を仮面の男に向けようとして……しかしそこに男はいなかった。




「……消えた」




 気配を消したのではない。

 本当に消えたのだ。


 先程までこの場を支配していた仮面の男の存在感は霧散し、再び夜の静けさが帰ってくる。



「今のは……」



 セレティナは宝剣を鞘に収めると、浅く息を吐き零した。その吐息は僅かに震えていて、彼女の動揺を色濃く示している。


 先程受けた剣筋には、見覚えがあった。


 野に生きる獣のような荒々しさは、記憶に新しい。


 セレティナは震える唇の隙間から、その名を零した。






「……リキテル……?」






 夜は、一層に深くなる。


 夜明けには、きっとウルブドールは崩壊してしまうだろう。






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[一言] いったい何が……(゜ω゜)
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