抜錨前夜
剣とティアラとハイヒールが投稿を始めて一周年となりました
二年目も出来る限り更新して参りますのでこれからも何卒よろしくおねがいします
「東の外壁が崩壊を始めたか……」
オーバンス将軍はその言葉の意味を確かめるように、自身の口の中で転がした。
彼は伝令係の兵に礼を言うと、静かに退室を促した。
閉まる扉の音が、やけに大きく静寂を打つ。
暫しの沈黙を破ったのは、イミティア・ベルベットだった。
「あんたの見立てで、何日内壁がもちそうなんだ?」
「二日……いや、一日もつかどうかといったところか」
「……時間は、無さそうだな」
皿に盛られた焼き菓子を摘まみながら、イミティアは肩を竦める。
『聖戦』の準備はまだままならない。
しかし、その時は刻一刻と迫り始めている。
魔物共は既にウルブドールの喉笛まで来ているのだ。
また僅かな静寂が訪れて……しかし今度はけたたましくそれが打ち破られる。
「終わったぞ」
扉を蹴破るように開き、莫大な資料を両脇に抱えた都市長エルバロはずかずかとやかましく入室するや、恨み節たっぷりにその資料をテーブルの上にぶちまけた。彼の憎悪の眼差しを受けたオーバンス将軍は、しかし皮肉たっぷりに良い笑顔を見せた。
「やるじゃないか。優秀な人間は嫌いではないぞ」
「嫌いではないなら僕の活躍の一つでも皇帝に進言してくれれば嬉しいものだがな」
語気は荒い。
エルバロはソファに身を投げると、水差しから直接水を掻っ食らった。
「全て僕の独断で指示と選別している。多少の穴は君の責任だぞオーバンス将軍」
「結構結構。よくできているじゃないか」
くつくつと喉を鳴らしながら、オーバンスはテーブルに投げ出された資料を流し見ていく。
『船』までの乗船経路や警備の人員、乗船市民や徴兵のリストなど、子細なものが全てそこには記載してある。ものの六時間程度で作成したものとは思えない。
オーバンス将軍は手放しでエルバロに賛辞の声を送りたい気分だった。
「これで、準備の前段階は終わったわけか……で、いつ出発するんだ?」
資料のひとつを退屈そうに読んでいたイミティアは、それを放るようにテーブルに戻しながらそう呟いた。
オーバンス将軍は、固く頷いてこう返す。
「……明日の正午、『天使』を擁した『聖戦』を決行する」
◇
夜の帳が下りる頃、『船』の積荷は全て下ろし終えていた。
船の傍らではベルベット旅商団の団員達がカンテラと酒瓶、それから適当な料理を広げ、宴が開かれていた。魔法によって光の玉が浮かび、陽気な音楽と踊りが絶えない様は、まるで小さなお祭りだ。
セレティナは横倒しにした小さな酒樽の上に座り、ゴブレットに注がれた温かな葡萄酒を飲んでいるところだった。
「お前の仲間はいつも賑やかで温かいな」
煌煌と灯る火に照らされた為か、酒が入り頬の辺りに朱が差しているせいか、セレティナの美しい横顔は更に妖艶なものとなっている。隣に腰掛けるイミティアはその横顔に僅かに見とれ、しかしその邪念を振り払う様に葡萄酒を飲み干した。
「ああ。あたしの世界で一番大切な居場所さ」
「毎晩これぐらいの宴を?」
「いや、ここまでの規模は街を出る前だけだ。抜錨前夜ってあたし達は言ってるけど、ただ何かに託けて飲みたいだけさね」
「はは、奔放な君らしい居場所だ」
セレティナは静かに笑ってゴブレットに口を付ける。
その所作が何というか、やはり女性らしい気品のあるもので、前世飲み交わした時との変わりようにイミティアは不思議な感覚に囚われてしまう。
「君は、『聖戦』に加わることを団のみんなには話しているのか?」
「いや、話しちゃいない。レミリアには話してあるが、な」
「何故話さないんだ」
「話しちまったら、なんか駄目だろ」
「駄目、とは」
「あたしは……いや、あたし達は生きて帰るんだ。話してなくとも、無事に船に帰ってこれたら問題ないだろう」
それは、イミティアなりの覚悟だろうか。
敢えて心残りを作ることで、帰るという気持ちを少しでも強くする為の。
セレティナとイミティアは戦う。
最後の最後まで。全ての人が魔に飲まれ、ウルブドールが黒一色に染まってしまう際の際まで。
生存率は限りなくゼロに近い。
さりとて、彼女らには帰る家がある。帰りをまっている人達がいる。
セレティナは酒宴に興じるベルベット旅商団達をぼんやりと眺めながら、アルデライト家の家族を思い出していた。彼女が前世持つ事の敵わなかった、肉親達。きっと、彼らはセレティナの帰りを待っているし、暖かく迎え入れてくれるだろう。
セレティナは、死ねない。
群青色の瞳に、僅かに決意の光が満ちる。
「……そんな難しい顔すんなよ」
茶化す様なイミティアの声。
セレティナがそちらを向こうとしたところで、イミティアはこてんと灰色の頭をセレティナの小さな肩の上に乗せた。
「……あたしが守ってやっから」
顔は、見えない。
しかし彼女の声音にもまた、決意を表す様な硬さが帯びていた。
「ああ、生きて帰ろう。共に」
セレティナはそう言って、揺らめく焚火を眺めるばかりだった。