竜
「……次の仕事だ」
蛙捌きも程々に、セレティナは例の部屋を後にした。
蛙班一同に惜しまれながらの退場となったが、何分例の部屋は臭い。ガブドゥが連れ出してくれた事はセレティナにしても有難かった。
別の仕事があるのならそれをするに越した事は無い。
衣服に付着した異臭に顔を顰めながら、セレティナはガブドゥの広い背中の後をついていく。
「……」
対するガブドゥの心中は穏やかではなかった。
いびるつもりであの部屋に閉じ込めたというのに、恋敵は更に株をあげてしまったのだから。
ひょろひょろなよなよの顔だけの男と踏んでいたが、どうやらそうではないらしい。
(……くっそぉ……)
脳裏を掠めるのはヴィヴィシィの控えめな笑顔だった。
あの笑顔が他の男に向けられる事を想像すると、ガブドゥはいてもたってもいられない。少年らしい未熟な恋心は、未熟な加虐心を更に煽る事となった。
(とは言ってもどうするか……こいつが腰を抜かしたり度胸がないところを何とか皆に知らしめないと……)
ガブドゥは元々で言えば素直でよい子の部類だが、この時は浅ましい嫉妬に絡め取られていた。
嫉妬の炎は彼を炙るようにじりじりと焦がしている。
「そうだ」
ガブドゥはとびきりの意地悪を思いついた。……いや、思いついてしまった。
「どうしましたか?」
セレティナは何も知らず、ガブドゥに何事かを聞いた。
ガブドゥは笑いを噛み殺し、くるりと振り返る。
「なあ、もう一つ仕事を任せていいか?」
◇
竜とは、この世界で最も気高い生物である事は周知の事実だ。
最も歳を重ね、最も力を蓄え、最も知識に富んでいる。
故に気難しく、扱いも難しい。
温和な個体もいれば、凶悪な個体もいる。
さりとて全ての竜の認識として共通しているのは、彼らは人間を見下しているということだろう。
さて、ベルベット旅商団は二頭の竜を抱えている。
というのも、いずれも旅商団が飼い慣らしている訳ではない。
ギブアンドテイク……相互利用の関係だ。とはいえ、竜と対等に契約を結べているだけでも賞賛に値するのだが。
白鱗のソームは美しい。
滑らかな流線を描いた体は淑やかな女性を想起させる。
頭部に二つ、隆起するように飛び出た角は翡翠色に煌めいていた。その二本の角を切り取ることができたなら、想像もつかない程の値打ちで取引されるに違いない。
ソームはするすると蛇の様な艶かしい身を捩り、小さく欠伸をした。
黒鱗のゴダラは壮健だ。
ソームと違い、直線的な線が目立つ体は剛健な男性を想起させる。
頭部に一つ、螺旋状に飛び出た角は血の様なドス黒さを湛えている。触れることさえ躊躇われる毒々しさは、ソームの持つそれとはまた違った価値を見出すことだろう。
ゴダラは乱杭歯がびっしりと生えた口腔を覗かせると、大きく欠伸をした。
二頭の竜は霞を食むだけで何百年と生きることができる。
食事は必要とせず、睡眠も何十年に一度取るだけで良い。しかし食事や睡眠を娯楽として嗜む竜は少なくないのだ。
ベルベット旅商団が彼女らに提供したのは食事と安全。
三大鉱物と呼ばれる『竜石』は竜の大好物であり、更には彼女らに活力を漲らせることができる。
これが中々に価値が高いもので、ベルベット旅商団の人脈と財力を以ってしても数を揃えるのは困難を極める。しかし、これを提供できるからこそソームとゴダラは旅商団に力を貸しているのだ。
そして、そんな竜石をセレティナは抱える様に二つ抱いていた。
西瓜程度には大きいが、驚く様な軽さだ。まるで重さを感じられない。
「これをあの二頭に食べさせればいいんですね?」
セレティナが問うと、ガブドゥはうんと頷いた。
「顔の目前まで持っていけば勝手に食うからな。頼むぞ」
「それだけ……ですか?」
「え?」
「いや、仕事を任せたいなんて言うからもっと大仰な仕事だと思っていたので……」
「あ、あぁ……俺はちょっと竜が苦手でな……」
「はぁ……」
セレティナはまるで肩透かしを食らった様な心境だった。
手伝えることがあるなら手伝うが、これならば誰にでもできることではないか、と。
そしてそれはガブドゥとて同じことだった。
竜の世話をしてくれと頼めば必ず尻込みをすると思っていたからだ。あの巨大で見た目には凶悪な生物の目前にまで行けと言われてビビらない者など今まで見たことがなかったのだから。
(あいつ……もしかして竜も見たことがあるのか? ニガブリ蛙も物凄い勢いで捌いてたし……もしかしてあいつって本当に凄いやつなんじゃ……?)
小脇に竜石を抱えてセレティナはソームとゴダラが聳えるその下まで歩いていく。
二頭は目も眩む様な大きさだ。
セレティナの体など、噛む間もなくするりと喉の奥に流し込まれることだろう。
何ともない、といった様子のセレティナの後ろ姿をガブトゥは至極つまらなさそうに見送っていた。
.
「お、おい……あれ……」
少し離れて。
セレティナを見た誰かが、不安そうに言葉を溢した。
たった一つの小さな呟き。
それに呼応する様に騒めきが伝播する。
「おい、あれ……今日の石当番は誰だ?」
「ガブ坊じゃなかったか?」
「お、おいおいあれって例のティークとかいうガキか……?」
「おい!今直ぐあの坊主を止めろ!」
騒めきは、直ぐに拡大し、やがて騒ぎとなった。
「……?」
ガブドゥは理解していない。
ソームとゴダラは温厚な竜だ。慈悲深く、人に理解がある。
まるで歩いてはいけない場所を、触れてはいけないものに触れようとしているかのように騒ぎ立てる周りの団員に対してガブドゥは理解が出来ないのだ。
ガブトゥは、ベルベット旅商団の一員としてはかなり若い方だ。
年数的にも、年齢的にも。
だから知らない。
ソームとゴダラ……気高き二頭の竜は、縄張りの中の人間……つまりはベルベット旅商団の人間のみにしか気を許さない。その他の近寄る人間に対してどれほど脅威的であるかを。




