決意を固めて死地へ行け
「大変失礼致しました。彼女、少し気が動転しているみたいで……」
セレティナは困った様に笑みを浮かべると、頭を垂れた。
「よいのか?」
「ええ、少し頭を冷やせば大丈夫だと思います。色々と煩わせてしまって申し訳ありません」
……イミティアとティークは何か秘密を共有している。
それも、この生き死にが掛かった場面ですら隠したくなる程の秘密を。
オーバンス将軍は髭をゆったりと撫でながらセレティナを眺めた。
(その嘘は悪に由来したものではない……この少女はどうも善の性質、それも偏った善から成り立っている様にも見える……さて、どうしたものか……)
結論は出ない。
しかしこの少女との関係を壊してまで急いて欲する程の論ではない……そう決断を下した将軍は笑みを浮かべるのみだ。まるで薄っぺらい好々爺の様な笑みを。
◇
『聖戦』に向けての話は粗方終わった。
それからはセレティナの権利が及ぶ話では無くなってくる。
セレティナはあくまでも一人の兵。
そして兵達の象徴にしか成り得ない。
それ以降の人間の動かし方や管理は実権を持った大人達が進めていく事だ。
あの一室にはやがて多くの貴族や軍の”頭“が連なるだろう。そうなればもう彼女のするべき事はもう無い。
セレティナは来たる『聖戦』に向け、爪を研ぎ、英気を養う。それだけだ。
「……ふぅ」
息を吐き、肩を解す。
堅いやりとりは否応にも彼女の体に疲労を齎した。
(バルコニーにでも行こう……それよりイミティア、どこ行った?)
気分転換には外の空気に当たるに限る。
セレティナは相変わらずな成金趣味な廊下を抜け、バルコニーへの扉を押し開くと……居た。
「イミティア」
しょんぼりとした旧友の背中。
セレティナが声を掛けると、イミティアは幽鬼の様に振り返った。
どうやら海溝よりも深く反省していたらしい。
彼女はトボトボとセレティナに歩み寄ると、ガックリと頭を垂れたまま謝罪の言葉を呟いた。
「ごめん」
まるで叱られた子供の様。ぺこんとへたれた獣耳と尻尾を見るなら叱られた子犬か。
セレティナは柔らかく微笑むと、そんなイミティアの肩をぽんと叩いてやった。
「気にするな。私は気にしてないぞ」
「いや、しかし……」
言い淀むイミティア。
一歩間違えればセレティナの正体を明かすことにもなったから当然後ろめたい。
……まあ、あの場でオルトゥスの名を出したところでどこまでをどう捉えられるかは定かではないが。
セレティナは浅く息を吐くと、笑んだ。
少し困った様な笑みだ。
その微笑みは美しく、しかし嘗てのオルトゥスを思い起こさせるもので、イミティアはぼうっと見惚れてしまっていた。
「イミティアは昔から嘘を通すのが苦手だな」
「……すまない」
「謝らなくて良い。私はそんな君を好いているんだ」
「好っ……!? ……いや、なんでもな、い」
好いている。
勿論友人として、という枕詞が付いているのだが、それはセレティナの涼しげな顔を見れば嫌でも分かる。
イミティアは彼女の脛を思い切り蹴飛ばしたい衝動に駆られたが、流石にそれは控えておいた。
「君は商人の癖に昔から打算より感情や義理に傾倒して行動する節があるな」
「そうか? 周りからは結構冷徹だと言われているが」
「それは団員達から言われた事は?」
「……」
「君は身内に甘いし、優しすぎる」
「……そうか?」
「そうだ」
イミティアは大きく溜息を吐いた。
「……なぁ、うちの『船』に乗るつもりは本当に無いのか?」
「……残念ながらな」
「死ぬ気なのか」
イミティアの問いに、セレティナは首を振って否定する。
「死ぬ気は毛頭無い」
「……本当か?」
訝しむイミティア。
セレティナは肩を竦めてみせた。
「結果、死ぬことにはなるかもしれない」
「ほらやっぱり__」
「いいから聞け。イミティア、今の私はオルトゥスではない。セレティナなんだ」
「……どういうことだ?」
「私にも、帰る場所ができた。ということだ」
細むセレティナの目は、遠く、掛け替えのない存在を思い浮かべている。
__家族。
嘗ての前世には無かった、何物にも代え難い存在。
暑苦しい父。
優しく、厳しい母。
飄々とした兄。
戦士として、誇り高い死を。
最も効果の高い命の払い方を。
国の為、陛下の為。
オルトゥスは騎士として生き、騎士として死んだ。
……だが違う。セレティナには家族ができた。できてしまった。
生に対して、欲が出てしまった。
だからセレティナは全てを賭して、とは言えない。
途中で朽ちることがあってもそこに後悔は無いが、家族の存在に後ろ髪を引かれる彼女は生の目を捨て切れない。
「……お前は、戦場に残る兵を見てもそんな事が言えるのか。あのオルトゥスが兵を残してその場を去れるのか? この戦いは負け戦だ。敗走はあっても勝利は無い」
「……最後まで戦うさ。最後の一人になるまで。最後の一人になったなら、私はその時に戦場を離脱する」
「そんな甘えた事が罷り通るとでも?」
「……罷り通すのが“英雄”だ」
群青色の瞳は、真実に煌めいている。
真っ直ぐ、何よりも高潔に刺さる群青の視線は、イミティアが本当にそうなるのだと思わざるを得ない程だった。
英雄。
その称号を背負うに相応しい魂は、今尚少女の体に収められても色褪せない。
イミティアは半ば呆れて、半ば納得した顔で鼻を鳴らすと、やがて決心したように顔を上げた。
「お前の言いたい事は分かった」
「イミティア」
「でも、あたしも連れて行け」
イミティアは堅く、そう告げる。
その進言はセレティナの動揺を誘うのは容易だった。
「駄目だ。イミティアには旅商団があるだろう。彼らを君が引っ張って行かなくてどうする」
「彼奴らはあたし抜きでもこの都市を抜け果せるさ。伊達にこき使ってないからな」
「そういう話じゃない。もしも君が命を落としたら、どうするつもりなんだ? これは決して遊びじゃ……」
そこまで言って、セレティナは口を噤んだ。
イミティアの視線、表情、身に纏う空気……その全てが本気だとセレティナの肌をピリピリと弾くからだ。
そうだ、イミティアとて本気だ。
最愛の相手を、自らを光の道へ連れ出してくれた英雄を、またみすみすその手から取りこぼす様な女ではない。
イミティアはセレティナが言葉を切ったのを見計らって笑んだ。挑戦的な笑みだ。それはどこか彼女らしい表情だった。
「“英雄”が娘っ子一人救えないんじゃ世話無いな?」
守ってくれよ? という信頼。
そしてセレティナの背中を守るという決意。
イミティアは死ぬ気などさらさら無い。
生きて、『二人で』この都市を脱出する。
悲痛なまでの想いは彼女の挑戦的な笑みの更に下……深海の底に秘めたまま、セレティナの肩をぽんと叩いた。
セレティナは観念した様に微笑むと、
「もう娘っ子という歳じゃないだろう」
イミティアに脛を思い切り蹴飛ばされた。